メジャー3000本安打を放った直後のイチロー。普段、なかなか見ることのできない“素の表情”をとらえた一枚

メジャー3000本安打に到達した世界一のヒットマン・イチローが、これまで本誌に語ってきた「イチロー語録」をあらためて繙(ひもと)く!

■地元での記録達成を楽観視しなかった人物

陽射しのきついマイアミから、蒸し暑いシカゴを経て辿(たど)り着いた、標高1マイル(1.6km)の街、デンバー。通称“マイル・ハイ・シティ”には、心地よい涼風が吹いていた。試合前、まだ開門前のクアーズ・フィールドのスタンドに座って、誰もいないフィールドを眺める。

メジャーでのイチローを2001年から16年間、ずっと撮り続けているカメラマンの田口有史(ゆきひと)さんが隣に座った。

「今日、三塁側のカメラ席に入るか、一塁側に入るか、迷ってるんですよね」

左バッターを撮るときの正攻法は三塁側に位置取ることなのだという。しかし田口さんを迷わせたのは、デンバーの球場だった。ここではマーリンズのベンチは三塁側になる。イチローの大記録を祝うチームメイトが、果たして三塁側ベンチから一塁ベースまで歩み寄っていくのだろうか。

イチローを包む歓喜の輪はせっかくなら近くから撮りたいし、仲間に囲まれた笑顔は(それがシングルヒットなら)一塁側からのほうが撮りやすい。しかし一塁側からだと、引っ張った打球に関しては打ち終わりをカッコよく撮れるものの、逆方向へ流されたら表情が見えず、厳しくなる。そもそも左バッターを一塁側から撮ろうというのはリスクが高すぎるらしい。田口さんは迷いながら、試合前のフィールドへと下りていった。

そもそも今日、あと1本に迫ったイチローのメジャー通算3000安打は本当に出るのだろうか……ブラジルではリオ五輪が始まり、日本では夏の甲子園も幕を開けた8月7日。当初の予定ではシカゴを8月4日に発ち、5日には帰国するはずだった。しかし、思わぬ事態から予約していた国際線のフライトをキャンセル、新たにシカゴ発デンバー行きのチケットを買った。

思えば渡米したのは7月23日、イチローの3000安打まであと4本という状況だった。その直前の1週間でイチローは6本のヒットを打っていた。あと4本ならば2試合で達成できる数字ということもあって、急遽、予定を3日早めての出発だった。7月22日から31日までのホームスタンド10試合で4本……ナマで3000本を見たいと、イチローを追うメディアもファンも、マイアミでの達成を疑ってはいなかったはずだ。しかし楽観視していない人物が一人だけいた。そう……イチローである。

1打席のための準備は前日のゲームが終わったときから

■「(苦しんだ原因は)代打じゃないですか」

デンバーでイチローがスタメンから外れた8月6日、センターのカメラ席の前に陣取ってベンチの中のイチローを追ってみた。今のマーリンズで代打に出るとしたら、9番ピッチャーのところしかない。だからイチローも、試合の序盤はベンチにいない。

クラブハウスでの準備の様子は窺(うかが)い知ることができないのだが、試合の後半になるとイチローはベンチに現れて、バッターボックスに入るための身支度を始める。打順の巡りによっては出番が次の回になることもあるのだが、その間もベンチの中で柔軟体操をしたり、バットを握ったりと、いかにも手持ち無沙汰な感じが見て取れた。イチローが代打の難しさについて、こんなふうにコメントしたことがあった。

「1打席のために(準備は)朝から……もっと言えば前の日のゲームが終わったときからやるわけですから、その1打席の結果によって、僕の中のムードが変わる。そりゃ、(ヒットを)出せなかったときは整理ができないかな。それに慣れるとしたら、失敗することを前提に立たないといけないですからね」

言うまでもないが、スタメンで出ているときの“10試合で4本”と、代打が主たる役割になってからの“10試合で4本”は難易度がまったく違う。イチローは以前、「1打席で1本打つのは難しい」とも言っていた。例えば代打の1打席で1本打つのと、スタメンでの4打席で4本打つのとではどちらが難しいかと訊(き)かれたら、普通は“1の1”より“4の4”のほうが難しいと答えてしまうだろう。

しかし、イチローはそうは考えない。なぜならスタメンでの4打席で打つ4本は、常に「次がある」というメンタリティでバッターボックスに立った結果の4本だからだ。代打の1打席での1本は、「次がない」という崖っぷちでのアプローチである。だから“1の1”は難しいのだ。3000本を打った直後の会見でイチローは、到達まで苦しんだ原因を問われ、こんなことも言っていた。

「(苦しんだ原因は)代打じゃないですか。ただでさえ代打ってしんどいですからね。この状況で代打で結果が出ないっていうのは、ダメージが大きいですよ。重いですね。僕も、切ったら赤い血が流れますからね。緑の血が流れてる人間ではないですから(苦笑)……感情ももちろんあるし、そりゃ、しんどいですよ」

人に会いたくない時間もたくさんあった

記録達成の地は、マイアミでもシカゴでもなく、デンバーだった

一昼夜を費やして準備をしてきても、一日が一打席で終わってしまう。そのたびに周りのため息が聞こえてくる。それが、日に日に両肩にのしかかってくるのだから、イチローが息苦しくなってくるのは当然だったろう。会見でのイチローは、こんな気持ちも吐露していた。

「(メディアの方々には)これだけたくさんの経費を使っていただいて、ここまで引っ張ってしまったわけですから、本当に申し訳なく思っています。ファンの方たちの中にも(お金を使って追い掛けてくれた人は)たくさんいたでしょうし、そのことから解放されたという思いは、僕の中では大変に大きなことですね」

何しろ、空気を読むことに関しては動物並みの嗅覚を持つイチローである。具体的な会話を交わさなくとも、連日、周りを取り囲むメディアの面々の顔色から、先の見えない旅に疲弊するネガティブな雰囲気はさんざん、感じ取っていたに違いない。そして、それもまた重荷となって、“1の1”へのアプローチのさらなる足枷(あしかせ)となる。イチローはこうも言った。

「人に会いたくない時間もたくさんありました。誰にも会いたくない、しゃべりたくない……僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけども、それもうまくいかず、という苦しい時間でしたね」

8月6日、デンバーでの2試合目で代打に出たイチローは、12打席ぶりのヒットを放って3000本まであと1本とし、その翌日、スターティング・ラインアップに名を連ねた。そしてその試合の4打席目、これまでの苦しみをすべて振り払うかのような心地よい打球が、デンバーの大空に舞い上がった。

イチローのメジャー通算3000安打は、8月7日のデンバーで成し遂げられたのだ。それもイチローにとっては最も絵になる“スタンディング・トリプル”(滑り込む必要のない三塁打)での達成となったのである。

◆この続きは『週刊プレイボーイ』37号の連載「イチローイズム再検証 vol.9」にて掲載。是非こちらもお読みください!

(文/石田雄太 写真/田口有史)