9月25日(日)、さいたまスーパーアリーナで開催される『 RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016無差別級トーナメント開幕戦』でMMAデビューをする山本美憂(みゆう)。
あのレスリングの元世界王者がMMAに転向するというだけでも大きな驚きだったが、対戦相手がいきなりシュートボクシング世界女子フライ級王者・RENAに決まったことで、さらに注目度が増している状況だ。それは多くの男のファイターを差し置いて、セミファイナル(全13試合中12試合目)で行なわれることからも窺える。
山本美憂ーー小学生の頃よりレスリングを始め、13歳の時、第1回全日本女子選手権で優勝。その後、全日本4連覇を達成。1991年、17歳で世界選手権に初出場して史上最年少で優勝(94年、95年にも世界選手権連覇)という偉業を成し遂げた元祖レスリング女王。
そんな彼女の足跡を語る際に、父親やきょうだい、つまり山本家の特殊な“格式”について触れなければなるまい。
“Work hard,play hard.”
世界トップレベルのアスリート、されどイケイケで自由奔放なプライベート。おそらく山本一家に対する世間のイメージはこんな感じであろうが、それは全く間違いではない。
父・山本郁榮(いくえい)、長女・美憂、長男・徳郁(のりふみ=KID)、次女・聖子という格闘エリート家族は、昔から「よく学び、よく遊べ」が人生のモットーだった。
一家の長である郁榮は、日本体育大学に入学してからレスリングを始めたにもかかわらず、全日本選手権3度優勝、そして1972年のミュンヘン・オリンピック(グレコローマン57kg級)にも出場を果たした天才レスラー。自身の輝かしい実績だけでなく、後進の育成にも尽力し、もちろん我が子にも英才教育を施す。
その教育とはレスリングの練習のみならず私生活にも及ぶもので、そのほとんどが郁榮オリジナルのものだったから、のちに山本一家が特異な個性を醸(かも)し出すこととなったのは当然だったのかもしれない。
例えば、食。郁榮自身が母親から受け継いだものらしいが、とにかく食べ物はすべて身体にいいものだけを摂らせ、なおかつ好き嫌いを認めなかった。それは栄養のバランスが取れて健康にいいからというのは当たり前として、郁榮理論だと「食べ物で好き嫌いを作ってしまうと、間違いなく他の分野にも悪影響を及ぼしてしまうから」らしい。
「あいつは好きだけど、こいつは嫌い」と選り好みすると人付き合いにおいて摩擦を生み、勉強でも「この科目は好きだが、あの科目は嫌い」と偏(かたよ)りを起こすのだという。
「好き嫌いがあるということが当然になってしまうと、レスリングの試合でも対戦相手によっては『あいつは苦手だ』という意識が芽生えてしまうんです。そうなると気持ちが前に出て行かないでしょ。だけど小さい頃からそうやって育てていくと、苦手なものがないから『絶対に自分が勝つ!』っていう心持ちになってくるんですよ。それは母親からそう育てられた僕自身がそうだったからね」(郁榮)
ジャンクな食べ物を口にしたい欲求がない
郁榮は大学2年の時に独学で作った栄養価の一覧表を今でも大切にとってある。学生時代からスーパーでその一覧表を見ながら食材の買い出しをしていた。周りは誰も栄養学などの知識がなかった時代、その徹底ぶりがあったから自分はオリンピックに出られて、大学の教員になれて、アメリカにも留学することができたのだと信じている。
だから子供達にも同じ道を、しかも幼少期から辿(たど)らせたのだ。山本家の食生活は本当に徹底していて、周りの子供達がどんなにジャンクなお菓子を美味しそうに食べていようが、山本家のおやつは煮干しを蜂蜜に漬けたものだった。市販のジュースが家に置いてあったことなどただの一度もない。
「確かに俺のこの身体を作ってくれたのは間違いなく親父ですね。たぶん子供の頃に食ってたもので人間の身体の細胞って決まっちゃう。だから子供の頃に太っちゃうと、大人になってからも絶対に太るって言うじゃないですか? でも俺はガキの頃からそうやって知らず知らずのうちに身体にいいもんばっか食ってたから、一回も太ったことはないですし、身体の作りも他の子とは全然違う。それはやっぱ自分の身体がいいものを記憶してるから」(KID)
きょうだいは、今でもジャンクな食べ物を口にしたい欲求がないという。肉の脂身の部分は身体が受けつけない。どんなにお金がない時でも、コンビニで済まそうという選択肢はなく、不味くてもいいからスーパーで食材を購入して自分で調理する。その際、化学調味料は一切使用しない。
食以外では、早寝早起き、TVはほとんど観させないなどといったことの習慣化も挙げられるが、郁榮オリジナル教育法には「大きく、広く、高く」というキーワードがある。
例えば、子供はものを貰った時、それが高価なものか安価なものかで一喜一憂などしない。とにかく物理的に大きなサイズのものを貰うと喜ぶのだという。そして、大きなものばかりを見て育つと、自然と器の大きな人間に成長する。だからガンダムのプラモデルにしても一番大きなものを買い与えた。
ただし、買い与える際も条件がある。誕生日やクリスマスのプレゼントはなし。唯一、レスリングの大会で優勝した時だけ子供が欲しいものを買ってあげるという賞金制だ。もちろん、欲しいものは大きなものに限定される。
また、家族で外食をする際も、料理の美味い不味いは二の次で、かならず天井の高い、広いレストランを選ぶようにした。広々としたところで過ごすと、大きな気持ちを持つことができるようになるから。子供達をホテルニューオータニの最上階や東京タワーに連れて行っては、ずっと眼下の景色を眺めさせた。物事を広い視野で見ることができるようになれるのだという。
「僕自身も子供の頃、花火大会に行くのにでも一番規模の大きな大会に連れて行ってもらってた。サーカスを観に行くとなったら、当時一番大きかった木下大サーカスに行く。母親はそういうところにばかり、どんなに遠くても僕の手を引っ張って連れて行ってくれたんですよ。そこで『郁榮、よく見とくんだよ』って教えてくれるんです。だから僕はこうして何事にも物怖(お)じしない性格になった。そうなったら自分の子供たちもそうやって育ててやらない手はないよね。だから3人とも全然物怖じしないじゃない」(郁榮)
家族の中でも美憂が一番イケイケだった
そうして、とにかくレスリングのための身体づくり、精神づくりに関しては徹底的に、子供達に有無も言わせずやらせた一方で、息を抜くところでは思いきり遊ばせた。きょうだいが中高生時代、夜な夜な六本木のディスコなどに繰り出していても、それはオフだからと全く干渉をしなかった。山本きょうだいがそれぞれ、オンからオフへの切り替えがバチッとできるのは、この頃から習慣として身についているからなのだ。
「レスリングのことを家に帰ってからも引きずらなかったりとか、父はそういうオンとオフの使い分けとかを身につけさせたいという気持ちもあったのかなって」(美憂)
子供の夜遊びに干渉しないのは、おそらく教育方針というよりは、郁榮自身も意識をオフにしている時間帯と被っていただけのような気もするが――。
とにかく美憂のみならず、続いてKIDも聖子もレスリングで高成績を収めることとなった。KIDはMMAにおいてもHERO’Sミドル級世界王者に輝き、現在もUFCの契約ファイターという栄光ロードを歩み続けている。
そんな山本家の長女のMMAデビューである。
「俺ら家族の中でもやっぱ美憂が一番イケイケだったっスね。行動力がハンパなかったから。イケイケで人間的に自立してるから3回も離婚しちゃうし(笑)。でも、姉貴がひとりで頑張って稼いじゃうから問題ないんですよね」(KID)
郁榮が山本家の監督だとしたら、長女の美憂はずっとキャプテン的な存在で家族を引っ張ってきた。KIDは「身体能力的にも性格的にも、家族の中で一番格闘技に向いてるのは美憂」と言い切る。
「家族内での喧嘩とか、レスリングのスパーの時にも取っ組み合いの喧嘩みたいになることもありますけど、それは常に相手が男の子なんですよ。相手が女の子の時はなんか遠慮しちゃうんですよね。バーンとぶつかっただけで、『あっ、ごめんねっ!』みたいな。だけど今回(RENA戦)はそんなんじゃいけないじゃないですか(笑)」(美憂)
42歳にして新たな世界への挑戦を決意した時、郁榮は「おまえは生涯現役だから」と言ったという。美憂がトレーニングをしていたり、活発に動いている姿をずっと見ていたいのだろう、かつて美憂が主婦として家事をやっていた時期、その姿を郁榮はつまらなそうに見つめていたという。
MMAの戦いの厳しさを身をもって知っているKIDは、最初は「グラップリングだけだったらいいんじゃないの? MMAはやめろ。俺にストレスをかけるな」と反対したが、やると決めたら絶対に意思を曲げない美憂の性格も知っているから、二度目の会話でついに「コーチになってあげるから1日でも早く(生活をしていたカナダから)日本に来い」とサポート役を買って出た。実際、試合までのトレーニングメニューやスケジュールに関してはKIDが完全に管理している。
妹の聖子も「そういう危ない人生、なんなの?」と心配をしたが、やはり最終的には「まあ、頑張ってね」と理解を示した。
デビュー戦を目前に、通常の都内での練習とは別に、週末になると美憂はKIDと美憂の息子アーセン(同日、才賀紀左衛門と対戦する)とともに山梨県下に出向いて合宿を張っているようだ。具体的な場所は親しい関係者にも明かしていないほどだから、どんな内容の練習を行なっているのかは知る由もない。ただ、KIDは「絶対に美憂が勝つ。もう間違いない」と、デビュー戦勝利に太鼓判を押しているという。
そして父・郁榮は「女は40を過ぎて、男性ホルモンが増え始めてから強くなるんだ。ほら、街行くおばあちゃんとかを見てみろ、男か女かわかんねえだろ」と、お得意の郁榮理論で美憂の必勝を断言。郁榮が言うのだから、そうなのだろう。
決戦は間もなく。果たして――。
(取材・文/井上崇宏)