「もうあれ以上、怖いものはない(笑)」と語った奥村選手をはじめ、光星ナインのほとんどが大学でも野球を続ける予定だ

球場の雰囲気が一変したのは9回裏、4点を追う東邦が攻撃に入る直前だった。ブラスバンドが演奏を始めるとその曲調に合わせ、球場中から手拍子が湧き起こる。この奇妙な現象が、すべての始まりだったーー。

この夏の高校野球全国大会、甲子園を舞台に起きた“あの出来事”を彼らはどう捉えたのか?

■球場中から湧き起こった「奇妙な手拍子」

西日を浴びた八戸学院光星(青森)の選手たちは、母校のグラウンド脇の芝生の上で車座(くるまざ)になり、甲子園史上最大の「逆転負け」をふり返った。

ひとりの選手が、キャプテンで捕手の奥村幸太にこうちょっかいを出す。

「おまえ、最終回の映像、見た? 目ぇ、死んどったで」

県外出身者の多い光星は、様々な方言が飛び交う。

「(頭)真っ白やった。ほぼ真ん中構えとったな」と奥村。

「おまえ、洗脳されとったんやないか(笑)」

洗脳ーー。何に? 甲子園の声援に、である。

この夏の甲子園で、球場にすむといわれる「魔物」の正体を見たと思える試合があった。8月14日の第3試合、光星と東邦(愛知)の2回戦だ。

球場の雰囲気が一変したのは9回裏、4点を追う東邦が攻撃に入る直前だった。東邦のブラスバンドが演奏を始めると、その曲調に合わせ、球場中から手拍子が湧き起こったのだ。

光星の右翼手、田城飛翔(つばさ)が、困惑気味に言う。

「4点差もあんのに、なんでこんなに応援してんやろうなって。でも、あれで宙に浮いているような感じになった」

伏線はあった。7回表を終えて、東邦は2-9と大量リードを奪われていた。それでも諦めずに7回裏に2点、8回裏に1点と、じりじりと詰め寄る。その姿に打たれたのか、観衆は彼らの背中を少しずつ押し始めていた。

僕らもまさか負けると思ってなかったんで…

そうはいっても、奇妙な現象だった。

これまでも甲子園で似たような雰囲気を感じたことがあった。ひとつは2009年の決勝戦で、中京大中京(愛知)に一時は3-10と7点リードされていた日本文理(新潟)が9回表、1点差まで詰め寄ったとき。もうひとつは07年の同じく決勝戦で、8回裏、0-4で広陵(広島)に負けていた佐賀北が5-4と試合をひっくり返したときだ。

いずれも、優勝未経験の新潟勢が最多優勝を誇る強豪私学を、あるいは地方の公立高校が名門私学を追うという、「弱者」が「強者」に食らいつくという図式があった。

判官贔屓(はんがんびいき)の甲子園ファンが弱者に肩入れする気持ちは十分、理解できる。しかし、このときは優勝4回を誇る東邦のほうが、むしろ「強者」といえた。さらにいえば、先に挙げた2試合は決勝という晴れ舞台だったが、光星-東邦のカードはまだ2回戦。超満員ではあったが、次の履正社(大阪)と横浜(神奈川)という好カードを目当てにやって来たファンも少なくなかったように思う。

記者席の後ろで、東邦のブラスバンドの演奏に合わせて手を打ち始めたふたりの子供のうちのひとりが興奮気味に言った。

「こっから、逆転したらすごいな」

その言葉が観衆の心理を象徴しているように思えた。いうなら、おもしろ半分ーー。捕手の奥村も言う。

「あのとき、ファンも逆転するとは思ってなかったと思いますよ。僕らもまさか負けると思ってなかったんで……」

東邦の森田泰弘監督は試合後、こうふり返った。

「最終回は応援に乗って、いけそうな気がしましたね」

その9回裏。東邦は2本のヒットで1点を挙げ、なおも1アウト1塁と攻め立てる。ここで迎えるは、今大会のスター選手のひとり、4番・藤島健人。スタンドは、さらにヒートアップする。しかし、その藤島は中飛に倒れた。これで2アウト一塁。点差はまだ3点あった。

光星の仲井宗基(むねもと)監督は、こう胸の内を明かす。

「正直、勝ったと思いましたよ。あれで」

動揺から、光星のマネジャーのスコアには最後の「レフト前ヒット」が「センター前ヒット」と誤って記録されていた

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(取材・文・撮影/中村 計)