角中選手ともども好物だというチョコのアイスを片手に熱く語る稔さん 角中選手ともども好物だというチョコのアイスを片手に熱く語る稔さん

今季は2位以下に大差をつけて、自身2度目のパ・リーグ首位打者を獲得した千葉ロッテのキーマン、角中勝也(かくなか・かつや)。

そんな角中をスパルタで鍛え上げた父、角中 稔(みのる)さんを直撃した!

■角中の母校でも父は“伝説の人”だった

いきなり先制パンチを食らった。

「いや、参ったわ。アンタが書いたあの記事は」

(えっ……)

冗談なのか、怒っているのか。こちらは、曖昧(あいまい)な笑みを浮かべるしかなかった。

9月某日。今季、パ・リーグ首位打者がほぼ当確のロッテ・角中勝也の実家がある石川県能登半島の七尾(ななお)を訪れた。角中の父親・稔さんと、2度目の首位打者のタイトル奪取の喜びを分かち合うためである。

4年前、角中がブレイクし、“独立リーグの星”と騒がれていたときにも、稔さんに話を聞いたことがあった。そのときの記事の内容が気に食わなかったようなのだ。

稔さんはわかりやすく言えば、“現代版・星一徹”だ。

角中に、3歳のときから1kmのロードワークを課し、小学校に上がってからは自宅の一部を練習場に改造し、本格的に打撃練習に取り組ませた。一日2時間の練習だったが、一球でも気の抜いたスイングをしたら、鬼の形相で叱り飛ばしたという。稔さんが不在で、角中が練習をさぼったときは、夜中に叩(たた)き起こしてでもノルマを消化させた。

「僕も七尾工業で野球やっとった。ただ、運動神経はいいけど、努力は嫌いやった。だから大成せなんだ。それがわかってるから勝也に押しつけた部分もある」

角中に素質を見いだした稔さんは、あるときから「こいつが1億円プレーヤーになる確率のほうがはるかに高いと思った」と宝くじを買うことをやめたという。

そんなエピソードをある記事で紹介したのだ。

「参ったよ。言ったこと全部、そのまんま書いてあっから」

た、確かに。でも、「それって、ダメなことなんでしょうか」とは言えず…。

「ネットに、てんでに好きな会話するやつ、あるやろ。あそこに、ボロクソ書かれとった。『今なら虐待や』とか」

掲示板で炎上していたとは…。やや質問するのが怖くなる。だが、そうこうするうちにまた、怖いのか、おもしろすぎるのか、判別しかねる“親子愛”の話が繰り返される。隠すわけでもない。アレ?「やっぱり、書いてもいいんですよね?」とは聞けず、まずは拝聴。

あの“変態打法”のルーツは少年時代に

稔さんは角中の母校・日本航空第二高でも“伝説の人”だったそうだ。

「夜、勝也が自主練やっとるかどうか、よう抜き打ちで見に行った。『また、あのオヤジが来たぞー』って言われてな(笑)。で、そこにおらなんだったりすると大変なのは同級生も知ってるから、俺に嘘つくわけや。『さっきまでいたんですけど…』って。しばらくすると、勝也が慌てて走ってきたりする。そんなこと、何回かあったさかい」

稔さんが教え込んだ、最後まで引きつけて、コンパクトで速いスイングでライナーを飛ばす角中の打法は、ファンの間で“変態打法”と呼ばれている。きれいなフォームではないが、追い込まれても泥くさく粘って、シブく結果を残す。

ーー不服かもしれませんけど“変態打法”って呼ばれてるらしいですね。フフフ。

「引きつけて打つ技術は、プロでもトップクラスやな」

呼び名については、完全スルー…も、こう続ける。

「子供のときから、絶対、(ポイントを)前で打たせなかった。呼び込んで、呼び込んで、三塁側にファウルを打つ練習させとった。今も、上半身は小学校のときと同じ打ち方をしとるわいね」

 実家に隣接したバッティング練習場。角中は少年時代、ここで連日、バットが潰れるほどに振り込んだ。 実家に隣接したバッティング練習場。角中は少年時代、ここで連日、バットが潰れるほどに振り込んだ。

稔さんの理想は、イチローだ。だから、角中も右投げ左打ちにした。長打はいらないという考えだ。イチローが年間210安打のプロ野球記録(当時)を打ち立てたのは1994年、角中が小学校1年生のときだ。そこからイチローは毎年、首位打者を獲得し、年俸はうなぎ上り。角中が高学年に上がる頃には、すでに3億円に迫っていた。

「勝也に一万円札を見せて、1枚やったら吹いたら吹っ飛んでしまうけど、イチローは3億やぞと。積んだら天井まで届くぐらいやと。一流になれば、おもちゃでもなんでも買えるぞー、って言ったんよ。小学生なんて『プロ目指せ』って言ったって、『ふーん』てなもんや。『子供に金の話をするなんて』って叩かれたこともあるけど、自分、行儀のいい人間じゃないから。目標つくるためにも金のことを教えるのはいいことだと思うぞ。

ロッテの入団会見のとき、球団の偉い人が『グラウンドには金がたくさん埋まってる。掘り起こすのはキミたちだ!』と。いい話だなーと思って、勝也に『掘り起こしてやれ!』って言って帰ったわい」

角中がこれまで掘り起こした“お金”は、首位打者を獲得したプロ6年目に4200万円と急上昇。そこから昨年までの3年間は打率3割超えこそないものの、毎年、堅実な働きをし、5000万、7100万、8000万と順調に上昇。今オフの大台突破は確実な状況で、ついに稔さんが買った“宝くじ”が当選する瞬間がやって来るのだ!

孫には野球をやらせたくない

12年の首位打者獲得は、2位の中島裕之(当時西武、現オリックス)とわずか1厘差の僅差。しかし、今年は独走状態だった。8月には、一時、3割打者がリーグで角中ひとりという時期もあったほど。

「余裕やね。こんな気持ちいいこと、ないな」

これ以上ないほどに幸せそうだ。よし、今だ!

ーーついに1億円が見えましたね!

正直な稔さんは表情の端々でガッツポーズをつくっているように見えた。そして、笑いを堪(こら)えるように、「いくらロッテでも…いくらロッテでも…」と二度、繰り返した。その先の言葉をグッと堪えるあたりに、喜びの大きさが感じられた。

当の角中は、昨年の契約更改で「昔、黒木(知宏)さんに2億円もらって一流と言われた。税金を払っても1億円残るくらいになれるよう頑張りたい」と話していた。稔さんが叩き込んだ「掘り起こしてやれ!」というプロフェッショナリズムは骨の髄まで染み込んでいる。

稔さんは、子供をプロ野球選手にしたいという父親からよく相談を受けるそうだ。

「やめとけ、って言う。親子の縁が切れっぞ、って。何かあっても直接言わずに、お母さん経由で言うてくるようになる。これは、つらいぞー。怒ったことのない娘まで、お父さんは怖いって、口きいてくれねんだ。でも、それがあるから今がある。僕がおらんかったら、勝也は普通の子ですよ」

角中には3歳の息子がいるが、稔さんは、孫には野球をやらせたくないと話す。

「息子と一緒のことを、かわいい孫にさせたくない。倒れる寸前まで走らせたり。今でもかわいそうなことしたって思っとるわいね。それでも、孫がやる言うたら、夏休みは『石川県で1ヵ月キャンプや!』って言うてしまうやろね(笑)。勝也も嫁に『もし、子供が(野球を)するって言ったら、俺は厳しいぞ』って言うたらしい」

お父さんも怖い、おじいちゃんはもっと怖い…。いやはや想像するに恐ろしい。

居間には角中が大谷翔平から本塁打を放ちガッツポーズをしている写真が掲げてあった。めったに感情を露(あらわ)にしない角中の貴重なショットだ。

「最近は、たまーに、ガッツポーズするわ。ちょっこり、楽しんで野球をするようになったんかな。子供のときは楽しそうにやってるの、見たことなかったから」

稔さんは、そうしんみりする。角中も以前、こう語っていたことがある。

「ちっちゃい頃は父親も野球も嫌いでしたね。でも、ド田舎だったので、野球をするしかないのかなと」

幼少期に父親への恐怖心を植えつけられてしまった角中は、今でも、自ら稔さんに話しかけることはめったにないそうだ。それでも、稔さんが誘えば、野球談議もする仲だ。

2回獲って満足するなよ!

 当時、地元新聞に掲載された角中の作文。父・稔さんについては「おこると鬼コーチになる」と書かれている 当時、地元新聞に掲載された角中の作文。父・稔さんについては「おこると鬼コーチになる」と書かれている

「ふたりとも酒が弱いから、正月でも一緒にロッテのアイスクリームを食いながら話しとる。『雪見だいふく』とかな」

想像すると、ちょっと笑えるが、とてもすてきな絵だ。

「毎日、息子が野球しとる姿をテレビで見られるなんて、幸せわいね。年俸2億でもいいさかい、40歳までプレーしてほしいな」

誤解なきよう書いておくが、稔さんも、息子を愛する平凡なひとりの父親なのだ。ただ、これまで首位打者を3度獲得した選手は11人しかいないことを伝えると途端に目をギラつかせた。達成者は張本勲、長嶋茂雄、イチローらレジェンドばかり。

「ええこと聞いたわい。今度、言うてやるわ。『2回獲って満足するなよ!』って」

それでこそ、お父さん! 年俸が3億円に到達したとき、またお伺いさせていただきます! 一緒に“祝アイス”を掲げましょう!

(取材・文・撮影/中村 計)