日本シリーズで、この50年に起きた伝説の瞬間をふり返る

週プレよりも長いプロ野球の歴史。その最高峰の対決である日本シリーズでは毎年、死力を尽くした闘いが繰り広げられてきた。涙あり、笑いあり、ホームランあり、ボーンヘッドあり。この50年に起きた、後世に残る伝説の瞬間をふり返ってみよう。

まずは昭和を代表する名勝負から。プロ野球が国民的娯楽だった時代、長嶋茂雄、王貞治をはじめとするスターや、渋い技が光るいぶし銀の職人プレーヤーたちが日本一の座をかけて激しい闘いを繰り広げた。

中でも日本シリーズ史上屈指の名場面とされるのが、王貞治(巨人)が山田久志(阪急)から放った逆転サヨナラ3ランのシーンだ。

昭和40年代のプロ野球は、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄と、一本足打法の王による「ON砲」が円熟期を迎えていた。一方のパ・リーグは、闘将・西本幸雄監督率いる阪急がリーグ制覇の常連となるものの、日本シリーズでは3度巨人に敗れていた。そして、これが4度目の挑戦。

だが、1勝1敗で迎えた第3戦、9回裏に起きたドラマが、打倒・巨人に燃える阪急ナインの意欲をそぎ取ってしまう。

シーズン22勝、最優秀防御率を獲得した山田と、セ・リーグ新人王の関本四十四が、それぞれ移動日を挟んで中1日で先発するという、現在ではありえない投手起用から始まった第3戦のサヨナラ劇。

この一打を、王は「生涯一のホームラン」と語り、山田は「あの一発で鼻をへし折られ、成長できた」とふり返る。結局、シリーズは4勝1敗で巨人がV7を飾った。

劇的な一打が伝説になる一方、阪急サイドが悔やんだのは、王の一発よりもその前の3番・長嶋に打たれたセンター前ヒットだった。当時、阪急コーチで、後に監督となる上田利治は、事前のデータから長嶋のヒットコースを想定していながら、二遊間を詰める確認が甘かったのだ。

「飛んだ瞬間、勝ったと思った」というゴロは、ショート阪本敏三のグラブのすぐ先を抜けた。そのわずかな差が、シリーズの勝者と敗者を分ける結果となった。

平成の日本シリーズの伝説

そして時代は昭和から平成へと移り、世の中の価値観も多様化する。球界でも巨人中心から12球団すべてが主役となり熱狂は全国各地へと広がっていった。

その入口となった1989年、「日本一」の栄冠をあと1勝で初めて手にするチャンスが近鉄バファローズに訪れた。

前年の「10・19」でリーグ優勝を僅差で逃したが、この年はブライアントの4打席連続本塁打などにより、王者・西武を倒して日本シリーズの舞台に立った。

その勢いのまま巨人に挑み、たちまち3連勝して一気に王手。だが、だが、である。

3戦目のヒーローインタビューで事件は起きてしまったのだ。この試合で好投した加藤哲郎が、「まぁ、打たれそうな気ぃしなかったんで、大したことはなかったです」。

今思えば、この発言で切り上げればよかったが……。初の日本一が見えた安堵感からか、さらに「シーズンのほうがよっぽどしんどかったですかね。相手も強かったですし……」と発した言葉が記者の取材などを経た後、翌朝、「巨人はロッテよりも弱い!」という“挑発発言”として報じられてしまったのだ。

3連敗で意気消沈していた巨人ナインは、この報道を知って大いに発奮。第4戦で先発した香田勲男がタテに落ちるカーブを駆使して近鉄打線を完封したことも追い風となり、勝負の流れは一気に巨人側へ傾いた。まさかの3連敗である。

迎えた最終決戦では、再び発言の“主”である加藤と対決。巨人は駒田徳広の本塁打をきっかけに打線が爆発して、加藤をKO。試合は巨人が8-5で逃げ切り、逆転日本一に輝いた。

近鉄が3連勝したときから、近鉄百貨店は「優勝セール」の準備に追われたが、記念のV商品は世に出ることはなかった。

日本シリーズの歴史にはこんな劇的なドラマが詰まっている。発売中の『週刊プレイボーイ』44号では、数々の伝説の瞬間を特集した。是非ご覧いただきたい。

(文/キビタキビオ 谷上史朗 寺崎江月)

■週刊プレイボーイ44号「プロ野球「日本シリーズ50年」伝説の瞬間」より