まだプロ野球が国民的娯楽だった昭和の時代、あの名場面をプレイバック!

週プレよりも長いプロ野球の歴史。その最高峰の対決である日本シリーズでは毎年、死力を尽くした闘いが繰り広げられてきた。涙あり、笑いあり、ホームランあり、ボーンヘッドあり。この50年に起きた、後世に残る伝説の瞬間をふり返ってみよう。前回記事に続き、【激闘!昭和編2】をお届けする。

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【1985 阪神vs西武】トラトラトラ! 21年ぶりセ優勝の阪神がその勢いのまま頂点へ猛虎の雄姿に『六甲おろし』がこだまする

『六甲おろし』の大合唱が所構わず響き渡り、狂喜乱舞した阪神ファンが次々と道頓堀川に飛び込んでいく。

阪神の21年ぶりとなるリーグ優勝で巻き起こった“虎フィーバー”の熱狂は、関西のみならず全国へ広がっていった。

そしてこの勢いは、2年ぶりにパ・リーグを制覇した西武との日本シリーズでも、とどまるところを知らなかった。

1番・真弓明信に始まり、4月に“バックスクリーン3連発”の伝説をつくったランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップを中心とした「猛虎打線」は、経験豊富な西武投手陣をも粉砕。なかでも、三冠王のバースは勝負を決めるホームランを連発するなど、シリーズでも破壊力を発揮する。

投手陣も初戦で池田親興(ちかふさ)が完封勝利を収めると、第2戦はリッチ・ゲイルから福間納(おさむ)、中西清起(きよおき)へとつなぐ必勝リレーで、敵地で2連勝。初の日本一に向けて最高のスタートを切った。

その後、地元・甲子園で連敗を喫してタイに持ち込まれたが、第5戦では“ミスタータイガース”掛布に先制3ランが飛び出して大勝。

王手をかけて所沢に移動した第6戦では、初回に大洋から移籍してきたベテラン長崎啓二の満塁弾で主導権を握る。

9回には掛布が阪神ファンで埋まるレフトスタンドに向けて“祝砲”を放ち、これで勝負あり。最後は、先発のゲイルが伊東勤をピッチャーゴロに打ち取り、ついに悲願の日本一を達成した。

この夜、またしても大阪が暴動すれすれの“スペシャルナイト”になったのは言うまでもない。

西武の秋山、バク宙ホームイン

【1986 西武vs広島】 史上初の第8戦までもつれた熱戦を若き獅子パワーが制す 秋山ホームラン、バク宙ホームイン

1986年の日本シリーズ第1戦。

2-0と西武のリードで迎えた9回裏、完封目前の東尾修は、1アウトから小早川毅彦に一発を浴び、さらにこのシリーズを最後に現役引退する山本浩二にもライトスタンドに運ばれて同点に追いつかれる。試合は延長に突入したが、両チーム共に決め手を欠き、延長14回引き分けに終わった。

第2戦以降は、勝負どころで力を発揮した広島が3連勝し、あっという間に王手をかける。

後がなくなった西武は、この土壇場でリリーフの渡辺久信と、第2戦で先発した工藤公康の配置転換を敢行。これが見事に的中した。

第5戦では同点の延長10回から東尾の後を継いで登板し、広島打線を翻弄(ほんろう)。延長12回裏には、広島の守護神・津田恒実からサヨナラヒットを放つなど、工藤の投打にわたる活躍で、ようやくシリーズ初勝利を挙げた。

これで風向きが変わったのか、第6戦、第7戦と西武が連勝し、逆王手をかける。

そして迎えた日本シリーズ史上初となる第8戦。広島が3回に2点を先制したが、西武は6回に秋山幸二が2ランを放ち、側転からバク宙でホームインするというド派手なパフォーマンスで流れは一気に西武へ。8回にはブコビッチのタイムリーで西武が勝ち越すと、最後は工藤が締めて、3連敗からの4連勝で日本一を達成した。

特にこのシリーズの西武は、MVPの工藤をはじめ、渡辺、秋山、さらに全試合4番を任されたルーキー清原和博らの若手が、物おじせず伸び伸びとプレー。彼らは“新人類”と呼ばれ、この年の流行語にもなった。

クロマティのユルユル守備が狙われた

【1987 西武vs巨人】隙を突く激走で巨人を撃破。清原は試合中から男泣きクロマティのユルユル守備が狙われた

シングルヒットで一塁走者がホームイン。そんな珍しいシーンが大舞台で起きた。

1987年の日本シリーズは、巨人と西武の2度目の盟主対決である。この年よりパ・リーグ側のホーム試合のみ指名打者(DH)制が採用された。

また、この年は西武・清原和博と巨人・桑田真澄という、PL学園で名をはせた「KKコンビ」がプロの頂点で対戦することも大きな話題となった。

シリーズは、西武の左腕・工藤公康がキャリアの絶頂期で、その工藤の快投もあって3勝2敗で西武が王手をかけた。

迎えた第6戦。西武は2回に清原が出塁して二塁に進むと、ブコビッチのセンター後方へのフライでタッチアップを敢行。三塁を回ったところでいったん躊躇(ちゅうちょ)するが、そのまま本塁に突進し先制点を挙げる。

実は、このとき三塁ベースコーチを務めていた伊原春樹は、センターを守るクロマティの送球が緩慢であることをシリーズ前からチェックしており、ひそかに機会をうかがっていたのである。返球されたボールが本来のカットマンのショートでなく、セカンドに返ってきたり、それをファーストに転送したりと巨人の野手陣が大慌てしていたことも見逃さなかった。

だが、これだけではない。あっと驚かせる場面は8回裏にも訪れた。一塁走者に俊足の辻発彦(はつひこ)を置いて3番・秋山幸二はショートと二塁ベースの間を抜けるライナー性のヒットを放つ。好スタートを切った辻は、二塁を蹴って三塁へ。そしてさらに、右手をグルグル回す伊原コーチを見た辻は失速することなく三塁ベースも蹴ると、そのまま一気にホームイン!

クロマティの緩慢な送球と、三塁で止まると信じて疑わず中継のボールを受け取った川相昌弘の虚を突いた伊原コーチの戦術は、ダメ押しとなる1点を呼び込む“奇跡の激走”となった。

そして、試合は西武リードのまま9回表、巨人最後の攻撃へと進む。すると、先頭打者・吉村禎章の遊ゴロをさばいた清家政和からの送球を受けて1死後、なんとファーストを守る清原が一塁ベース上で感極まって号泣。それを見て驚いた辻が二塁から近寄り、「オイ、しっかり目を開けんかい!」と肩を叩(たた)いて激励した。その姿に胸を打たれた伊東勤、秋山がもらい泣きし、ベンチではクールな東尾修までもが涙を浮かべたという。

清原が涙でかすんだ目で守るなか、ウイニングボールをセンター秋山がキャッチしてゲームセット。抜け目のない野球と、打倒・巨人への強い思い―。西武黄金時代の強さを語る上で、外せない名場面であった。

まだある! 昭和の激闘!

【1974 ロッテvs中日】カネやん率いるロッテがV

通算400勝の大投手・金田正一監督の「やったるでぇ!」を合言葉に、「走れ走れ野球」で鍛えられた村田兆治らロッテ戦士が躍動。巨人のV10を阻んだ中日を勢いで圧倒し、24年ぶりの日本一に。これぞ元祖「下克上」か!?

【1976 阪急vs巨人】第1次長嶋巨人、日本一ならず

前年セ・リーグ最下位の屈辱を味わった長嶋巨人が、チームの大改革を断行してリーグ優勝。阪急とのシリーズは3連敗から巻き返し、第6戦では0-7からの大逆転で逆王手をかけたが、最終戦は足立光宏が好投し阪急がV2。

【1981 巨人vs日本ハム】どっちもホームの後楽園対決

“親分”こと大沢啓二監督率いる日本ハムと、藤田元司体制となった巨人が激突。どちらも本拠地が後楽園球場のため、全試合同球場で行なわれたシリーズは、江川卓、西本聖、ホワイトらの活躍で、巨人がV9以来の王座奪還。

【1984 広島vs阪急】三冠王ブーマーがまさかの不発

この年のパ・リーグ三冠王のブーマーと広島投手陣の対決が焦点となったシリーズ。そのブーマーは徹底マークで不発。阪急は福原峰夫らの奮闘で3勝3敗まで詰め寄ったが、広島・長嶋清幸の神がかり的な活躍の前に屈した。

★続編⇒『名将対決に舌禍事件。プロ野球・日本シリーズ伝説の瞬間「熱狂!平成編1」』

(文/キビタキビオ 谷上史朗 寺崎江月)