満身創痍ながら「毎回、最後だと思って」マウンドに上がってきた黒田

日本シリーズ直前の10月18日に突如、引退表明した広島の黒田博樹。潔い引き際やチームへの思いなど、マスコミはこぞって黒田の“男気”(おとこぎ)をたたえたが、そんな風潮に、ちょっと困惑気味な球団関係者もいる。

「確かに黒田のカープに対する愛情は本物です。ただ、あの『男気』という言葉、本人は、ちょっとカッコよすぎると思っているはずですよ」

黒田に“男気”という言葉が最初に使われたのは、遡(さかのぼ)ること2006年オフのこと。カープでFA資格を得て、「阪神入り確実か」と報じられるなか、残留したことから使われるようになった形容だ。

「育てられた(カープの)赤いユニフォーム相手に投げる自分がイメージできない」

そんな言葉でチームへの愛着を表現して残留した黒田には以後、“男気キャラ”がすっかり定着。だが、前出の関係者はこうも証言する。

「彼は当時“移籍先のチームでも同じ投球ができる保証はない”“そう思うとカープを飛び出す勇気はない”とも考えていました。ああ見えて、現実的な一面もあるんです」

メジャーで活躍した後、約20億円ともいわれる再契約話を蹴ってカープに復帰した15年も、マスコミからは一斉に“男気”がフォーカスされた。だが、実は金のことより、黒田はアメリカで暮らしていくことの大変さに限界を感じていたともいう。

「実際の黒田は繊細な性格で、いうなら気が小さく、いい意味で人間くさく魅力的な男。カープに復帰したときも身内には“今年勝てなかったらどうしよう”と漏らしていたし、0勝に終わった今年の5月などは“もう1勝もできないかも”と悩んでいた。でも、彼はそんな様子を外部には一切見せなかったし、いうならば勝手に背負わされた『男気』という十字架を、なんら言い訳することなく、引退まで背負い続けた。むしろそこに男気を感じましたね」