日本シリーズは平日昼間にやっていた!?

プロ野球・日本シリーズで、語り継がれる名勝負・珍シーンを「激闘!昭和編」「熱狂!平成編」と4回にわたり振り返ってきたが、そのほかにも歴史を感じるこぼれ話を紹介しよう。

■いたいた! シリーズになると急に活躍するヤツ

日本シリーズになると、シーズン以上に活躍する「シリーズ男」がいる。

1984年の長嶋清幸(きよゆき)(広島)は強烈で、第1戦逆転弾、第3戦満塁弾、決戦の第7戦で同点アーチと、打った本塁打すべてがカープの後輩の鈴木誠也(せいや)も真っ青の「神ってる」活躍だった。

また、神がかり的なら、2005年にロッテの今江敏晃(現楽天)が8打席連続安打を記録したのも負けていないだろう。

そうかと思えば、簑田(みのだ)浩二(阪急)のように、もともと控えだったのが、77年のシリーズで代走として披露した好走塁をきっかけに、翌年以降、外野の定位置を奪取した例もある。83年に江川卓(巨人)から値千金のサヨナラヒットを打った金森栄治(西武)は、翌年から死球王で有名人に。

西武では、大塚光二もシリーズではよく打ち、92年にはかつての辻発彦を彷彿とさせる「シングルヒットで一塁から長駆ホームイン」も再現した。

投手ではヤクルトの高津臣吾が、93年以降のヤクルト4度の日本一ですべて胴上げ投手となり、シリーズ通算失点ゼロという無双ぶり。シーズン1勝なのにシリーズ2勝でMVPになった2004年の石井貴(西武)のケースも珍しい。

一方で「シリーズ男」ならぬ「逆シリーズ男」の存在も。松中信彦(ダイエー)、金本知憲(阪神)、福留孝介(中日)、谷繁元信(中日)らの名選手が、呪われたように不振に見舞われた。

投手では北別府学(広島)、山本昌(中日)が、シリーズ未勝利のまま現役を引退。短期決戦の気まぐれには、さしものレジェンドたちもかなわなかった……。

94年の巨人対西武戦からナイトゲームに

■聞けば世代がわかる。日本シリーズは平日昼間にやっていた!?

日本シリーズといえば、デーゲーム―。そんなイメージがすぐ頭に浮かぶ人は、おそらく30代後半以上の“オヤジ世代”だろう。

確かに、デーゲームの時代は長かった。1950年に第1回日本シリーズが開催されて以来、64年の南海対阪神戦で東京オリンピックに配慮して全試合ナイトゲームで開催された以外は、ずっとデーゲームだった。

晩秋独特の澄んだ日差しのなかで行なわれる試合は、交流戦もない時代だけに、普段見られないチーム同士の対戦であることも相まって、新鮮な空気と緊張感を感じられたものである。

それが、ナイトゲームに変更になったのは、94年の巨人対西武戦でのこと。昼間だと、仕事や学校で観戦に来られない人が多く、観客動員やテレビ中継の視聴率に影響するという意見があり、まずは平日限定で試験的に導入されたのだ。そして、翌95年からは全試合ナイトゲームとなり、現在に至っている。

以前は、10月は日が落ちるのが早く、試合が進むにつれて寒くなるという事情もあったが、現在は地球温暖化と、ドーム球場の増加により、その影響は薄れてきたようだ。

また、日本シリーズは、対戦カードによって注目度や観客動員数が大きく変わることもあった。1980年代頃までのセ・リーグは、巨人がシリーズに出場するかどうかで、全国的な注目度が大幅に変化していたのだ。

最近では、地方に本拠地を置く球団が増えたため、地元の球団が出場しない地域では注目度がぐっと下がる傾向も。日本シリーズが国民的行事であった時代は、「今は昔」となりつつある。

(文/キビタキビオ 谷上史朗 寺崎江月)