サッカーは国境を超える。その象徴ともいえる存在が、これまで19もの国と地域でプレーしてきた伊藤壇(だん・41歳)だ。
現在、20ヵ国目となる移籍を目指して東ティモールに渡っている彼を出国直前に直撃。その常識破りのキャリアをふり返ってもらった。
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今や欧州に限らず、世界各国でプレーする日本人サッカー選手。そんな流れに先駆け、これまでアジアの19もの国と地域でプレーしてきたのが、かつてJリーグのベガルタ仙台に所属していた異色のフットボーラー、伊藤壇だ。
伊藤は2001年にシンガポールに渡ると、その後は「1年1ヵ国」をノルマにアジア各国のリーグを渡り歩き、ついには在籍リーグ数の世界記録(それまでの記録はドイツ人GKルッツ・ファンネンシュティールの世界6大陸、15の国と地域)を更新。日本サッカー界でもその名を知られる存在となった。
すでに17年限りでの現役引退を表明している伊藤は、現在、自身20ヵ国目の地となる東ティモールでのプレーを目指し、現地でトライアル(入団テスト)に挑んでいる。出国直前に直撃した。
―今回はなぜ東ティモールに挑戦することに?
伊藤 僕はこれまでもお金やリーグのレベルではなく、「どこに住みたいか」でチームを探してきたんですけど、東ティモールって新しい国で(*21世紀最初の独立国で、アジアで最も新しい国)、情報が少ないのが面白いなと思ったんです。実際、トライアルには行くものの、これまでで一番現地の情報がない。いつもは『地球の歩き方』とか持って行くんですけど、それすらないですから(笑)。
―そんな状態でも、まずは現地に行くんですね(笑)。
伊藤 一応、クラブのスタッフとは連絡を取っていて、移籍期限が11月中旬までらしいんです。ただ、来年2月開幕だと聞いていた来季のリーグ戦が、もしかしたら今年の12月に前倒しになるかもという噂もあって…まぁ、行ってみないとわかりません(笑)。
―今回に限らず、目をつけたクラブとは、どうやってコンタクトを取るんですか?
伊藤 今回もそうですけど、最近はFacebookなどSNSで知人を通して紹介してもらったり、直接メッセージを送ることが多いですね。昔は今みたいにネットもなかったですし、道場破り的に練習に参加して、契約してもらうことがほとんどでした。
海外に行き始めた頃はファクスを使ったりしていましたけど、返信がないのが当たり前。だから、結局は現地に行っちゃったほうが早い。これは営業の仕事をやられている人にはわかってもらえると思うんですけど、まずは現場に足を運ぶことが大事です。
―なるほど~。
伊藤 ただし、なんとなく現地に行ってもダラダラしてしまうので、以前はクレジットカードを持たず、往復の航空券と現金10万円だけを持って、「期限までにクラブが決まらなかったら、サッカーを辞める」という覚悟で行ったりしていました。そうすると、1日も時間を無駄にできないですから、否が応でもやるしかなくなります。
まずは現場に足を運ぶことが大事
―とはいえ、相手にすれば、“謎の日本人”。売り込みは大変なのでは!?
伊藤 そうですね。特に僕は今年で41歳。ここ数年はプロフィールを送っても、まず年齢で引っかかります。だから、まだ動けることを見せることが必要になります。トライアルでは、派手なスパイクを履いたりして、とにかく目立つように心がけていますね。
―チームを探すコツは?
伊藤 基本的に前年に上位だったチームはあまりメンバーを入れ替えませんし、下位のチームは経済的に苦しいことが多い。直感に頼る部分は大きいですけど、狙い目は中位のチームですね(笑)。
★後編⇒『破格の好待遇も! 移籍20ヵ国目に挑む41歳・元Jリーガーの仰天“蹴活”テク』
●伊藤壇(いとう・だん) 1975年生まれ、北海道出身。仙台大を経て98年に仙台に加入。2年で戦力外通告を受けると、その後はシンガポールを皮切りに、アジアで19の国と地域でプレー。MF。身長173cm、体重71kg
(取材・文/栗原正夫)