毎年恒例、新日本プロレス「1.4東京ドーム」のメインイベントで、オカダ・カズチカが保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するのは、かつて“北米の路上王”と呼ばれたカナダ人レスラー、ケニー・オメガだ。
オメガが初めて日本の地を踏んだのは2008年。DDTに所属し、高い身体能力を活かしリング内外で危険な技を炸裂させ、着々とスターへの階段を昇った。そして、2014年1月に新日本プロレスに移籍。
2016年1月にジュニアヘビーからヘビー級に転向すると、夏の祭典『G1 CLIMAX』で初出場・初優勝の快挙を果たした(外国人選手の優勝は史上初)。そして、2017年の1.4東京ドームでついにIWGPヘビー級のベルト狩りに挑む。
日本で頂点を極めつつある男の、次なる夢とは何か――。
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―まずは、ケニー選手のルーツを教えてください。2008年に初来日しましたが、なぜ日本を選んだのですか?
ケニー プロレスをやる前に、日本でサブカルの本場を見たかったのさ。
―えっ、サブカル?
ケニー 私が子供の時に好きだったゲームとかアニメとか、全部が日本で作られたもの。「ニンジャガイデン」とか「スーパーマリオ」とか「マザー」とか。「アトム」「ドラゴンボールZ」とか。当時はこれらが日本のモノだなんて全然知らなかったけどね。
―じゃあ、もともと日本とは相性がいいのかも?
ケニー そう思うね。14歳の時かな? WWEでTAKAみちのく選手を観て、ゲームやアニメだけじゃなくて、プロレスでも日本のスタイルにハマった。だから、「OK! じゃあ日本に行ったほうがいい!」と。ただ、その頃はまだ本格的なトレーニングは始めてなかったね。「バックヤード・レスリング」ぐらいはやったけど。
―バックヤードということは、裏庭でリングみたいなものを作って?
ケニー その通り。庭や公園で、ベッドのマットレスとかを使ってね。ロープはなしか、チューブとかホースとかなんでも使ったな。
―仲間はどうやって集めたのですか?
ケニー みんなプロレスファンだから。お父さんとお母さんが仕事してる時とかに、学校サボって私の家とかでね。
―ケニー選手の家が溜まり場になっていたと(笑)。
ケニー で、誰かがカメラマンだったかな。チケットは売ってなかったけど、お客さんがいたね。普段は10人ぐらいだったけど、よく誰かのハウス・パーティでやったから、50人とか60人とか集まったね。
「飯伏選手の試合を観て、同じ考え方かなと思った」
―ところで、カナダでレスラーを目指すとなると、どうやって始めるのでしょうか? 世界的なレスラーを何人も育てたスチュ・ハート氏の道場がありますよね?
ケニー スチュ・ハートさんの道場は遠かった。車で16時間ぐらいかな。私が15歳になった時、住んでる所にRCWというインディーの団体が出てきた。16歳以上の人が試合してたね。私はまだトレーニング不十分で試合はできなかったけど、15歳からずっと試合前とかにいろいろ、リング作りとか入場曲を流したりとか、たまにアナウンスとか裏仕事を手伝っていたね。
―そうやってプロレスを始めていったんですね。日本で最初に所属したDDTには、どうやって自分を売り込んだのですか?
ケニー アメリカのジャージー・オール・プロレスリング(JAPW)で活躍してチャンピオンになって、そこのリングでベストバウトを獲ったら、アメリカに住んでいる、ある日本人がウェブサイトに日本語でニュースを書いたのさ。
そのインタビューの中で私は「もし日本に行ったらDDTかK-DOJOに入りたい」と言った。そうしたら、高木(三四郎、DDT社長)さんがそれを見て「ケニー・オメガを呼ぼうか」って。そして、日本のリングに初参戦したのさ。
―なぜ、その2団体が候補に?
ケニー K-DOJOは、TAKAみちのく選手をとても尊敬してたから。DDTは、飯伏(幸太)選手の試合を観て、彼のモチベーションとかインスピレーションとか、私と同じ考え方かなと思ったね。だから、一度試合したくなったのさ。
―来日して、最初はどこに住んだのですか?
ケニー DDTの寮に住んでいたよ。
―そこに住んでる間、食事は?
ケニー あんまり思い出せないけど、毎日スシだったかな。
―毎日、寿司!?
ケニー そう、安いやつだよ。みんなが買ってくれて。
―日本に来て、たとえば先輩後輩の上下関係などカルチャーショックはあった?
ケニー あまりなかったな。日本のドラマとかも観ていたから、そういうショックはあまりなかった。
「インディー時代には、今の自分は想像できなかった」
―ケニー選手は日本語がとても上手ですが、最近はヒール集団「バレットクラブ」のリーダーということもあり、マイクアピールなどで日本語を封印していますね。ジレンマはありませんか?
ケニー もしホントに言わないといけない大事なことがあったら、日本語で言うかもしれないな。
―かつて、「エニウェアマッチ(路上プロレス)」の動画をネットで公開していました。これはどのような目的で?
ケニー ああ、それはDDTへの自己紹介だったな。「This is Kenny Omega!」という、インパクトのためにそれを作った。
―そこから始まって今や外国人レスラー初のG1覇者にまで! インディー時代、そんな自分は想像できましたか?
ケニー 想像してない! インディー時代、本当に夢だったのが飯伏選手との「ゴールデン☆ラヴァーズ」で週プロとか東スポとかのベストタイトルを獲ることだった。それがMAXだったさ。
―2010年にプロレス大賞のベストバウトを獲得し、その夢が叶いましたね。では、今の夢は?
ケニー 世界と勝負したい。自分のスタイルが一番さ! 私の活躍する団体が一番! それをちゃんと世界に見せたい。
―夢がめちゃめちゃデカくなってます! それはいつから思うようになった?
ケニー 今年!
―つまりヘビー級に転向してからということですね。
ケニー その通り。去年は一番強いジュニアになりたかった。でもまだ、もっとできることがあると思った。東京ドームで田口(隆祐)選手から初めてベルトを獲ったその日も、もっとできることがあると思った。で、1年間ぐらいずっとKUSHIDA選手との抗争があって、それが終わった後に、「じゃあ、もっと上を目指そう」って。
1.4では、私が一番だということを皆にしっかり見せたい。そして、新日本をもっと世界にアピールしたい。世界進出だよ。チャンピオンで、ベルトを守りながらね!
―2017年は世界と戦う、と!
ケニー Yeah! 世界と戦うさ!
●ケニー・オメガ 1983年生まれ、カナダ・マニトバ州出身。183cm、92kg。2000年2月に地元ウィニペグのローカル団体でデビューし、アメリカのインディ団体などで活動した後、08年7月に初来日。DDTのリングで飯伏幸太との「ゴールデン☆ラヴァーズ」で活躍し、10年1月には新日本プロレスに初登場。14年11月より新日本プロレス所属となり、16年8月の『G1 CLIMAX26』では初出場にして初優勝、史上初の外国人覇者となった
●『戦国炎舞―KIZNA―Presents WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドーム』 2017年1月4日(水)/東京ドーム/15:30開場、17:00開始 最新情報はイベントオフィシャルサイトまで
(取材・文/明知真理子 撮影/平工幸雄)