優勝インタビューで涙ぐむ稀勢の里。15歳で角界に入門し、15年かけて初優勝と横綱昇進を達成。新入幕から73場所での横綱昇進は、過去最も遅い。四股名の由来は、「稀なる勢いを作る」という願いを込めて

1月22日、初場所千秋楽。大関・稀勢の里が横綱・白鵬をすくい投げで下す。

それは1998年の若乃花以来、19年ぶりとなる日本出身横綱誕生を確実なものにした瞬間だった。

両国国技館に駆けつけていた稀勢の里の父・萩原貞彦氏は、勝利直後、土俵上の息子と「目が合った」と言う。

「視線に『おめでとう』という気持ちを込めました。その後、私から祝福はしていませんし、息子からも報告はありません。これまで感謝の言葉のようなものもありません。以前から、そういう親子関係なんです」

そして、「これからが大変です」と貞彦氏は続けた。

「伝統文化や様式美を継承し、礼儀作法や道徳、誰からも模範になるような人間になることが横綱の使命だと思います。より稽古し、人間的に尊敬され、愛される人間になってほしい」

25日、日本相撲協会の使者が昇進を伝達すると、稀勢の里は「横綱の名に恥じぬよう精進いたします」とシンプルな口上を述べた。その後の会見で、稀勢の里が両親に「頑丈な体にしてくれた」と初めて感謝の言葉を口にすると、その会場にいた両親の目には涙が浮かんでいた。

(写真/日刊スポーツ/アフロ)