「女房を質に入れてでも買ってください!」その小気味のいい口上はもはや漫談の域で、これを聞くために競馬場を訪れるファンも多い。
「ミスター船橋」こと川村栄一、70歳。競馬場公認の予想屋=場立(ばた)ちを極めた男の鉄火場の作法とは!?
* * *
近年、経営悪化が続く、船橋競馬場(千葉県)に“生ける伝説”と呼ばれる男がいる。
頼りない蛍光灯に照らされたスタンド下の通路には、8つの予想台が並んでいる。昔は2階にも予想台が並んでいたが、今は1階だけ。
ほとんどの台が、客がいないか、いてもひとりかふたり。そんななか、ひとつだけ十数人の客に取り囲まれ、にぎわっているブースがある。
「この騎手は、今日は一回走り(その日、1レースしか騎乗予定がないジョッキーのこと)。一回なら、がんばっちゃうでしょ! 俺も夜、一回ならがんばれるもん」
ブースの中心では、予想紙を挟んだ古いバインダーを片手に、縁なしメガネをかけた初老の男が香具師(やし)のような口調でがなっていた。
キャップ帽、ウインドブレーカーの上下、墨汁と朱墨汁の細かな液が飛び散り、それが模様のようになっている白いスニーカー。それが彼のユニフォームだ。
「あっちのほうは柔らかいけど、予想はカタイ! ね、はーい」
2色の墨汁を使い分け、掲げられた出走表の馬名の上に棒線を引いたり、「穴」と書いたり、「〇」印をつける。墨汁を使う昔ながらのスタイルを貫くのは、船橋競馬場では彼だけだ。
屋号は、ミスター船橋。ファンの間では「ミスター」の愛称で親しまれている。名刺には「川村栄一」と本名がつづられていた。
船橋市は“ギャンブル王国”だ。中山競馬場があり、船橋競馬場があり、昨年3月までは日本初のオートレース場、船橋オートがあった。ミスターはそのうち、船橋競馬場と船橋オートを根城にしていた。船橋オートが廃止された後は、船橋競馬場の隣に新しくできた場外車券場がその代わりとなっている。
ミスターの売りは、なんといっても、聞いている人を飽きさせない口上だ。
「私は予想屋ですからね。住んでるのは(千葉県)大穴(おおあな)。で、嫁さんは、ダイアナ」
ギャンブル狂でも馬好きでもない
予想屋は、マイクや拡声器の使用を禁じられている。この道で約50年、酷使され続けた声帯から絞り出される声は、インクの切れかけた極太マジックを想起させる。
「同業者のなかには、喉頭がんで死んじゃったやつもいる。俺も月に2回、医者に診てもらってる。声帯には、三角の盛り上がっている筋肉層があるらしいんだけど、俺にはもうそれがないんだって」
馬券購入の締め切り時間が残り6、7分となったところで、ミスターは特注の番号スタンプを回転させ、出目を合わせる。通常は、本命馬とヒモの組み合わせの馬連復5点以内に絞る。小さな紙切れに、そのスタンプを叩きつけては、三方から伸びてくる客の手中に押し込む。
「はーい、おめでとー」
「はーい、ありがとうございます!」
「はーい」は口癖で、「おめでとー」は、まだ結果はわからないが、縁起を担いでいるようだ。
予想料は1レース200円、一日通しで買えば1000円。客の多くは通しで払っているようで、いちいち小銭を出さずに紙切れを手にしていく。だが、どさくさに紛れて手を出す客には、ミスターが「はーい、200円よ」と釘を刺す。通しで買った客の顔を、しっかり覚えているのだ。
■ギャンブル狂でも馬好きでもない
ありとあらゆる競馬の予想業者は、大きな矛盾を抱えている。本当に当たるのなら、そんな商売に手を出す必要はない。しかし、大半の予想業者は、当然といえば当然だが、その的中率を誇大なまでに宣伝する。そんななか、ミスターはひとり、別世界にいる。
―博才(ばくさい)、あると思います?
「ないね」
即答だった。
ある意味、ギャンブルの本質を誰よりも知っているからだろう、ミスターは絶対に馬券を買わないのだという。
「買いたいな、って思うときはあるよ。予想屋が馬券を買うことを『手張り』って言うんだけどね。でも、手張りは覚醒剤と一緒。それで、みーんな失敗してる。博才なくても予想屋になれるよ。口がうまければ」
もともとミスターは、ギャンブル狂でも、馬好きだったわけでもない。ただ、話すことが好きだった。
「それで食っていく方法はねえかなー、って」
大井のオートレース場で初めて予想屋を見て…
高校を卒業し、まずは河合楽器に務めた。宇都宮で、あっという間にトップセールスマンとなる。
「楽器のことなんて、全然知らないし、全然好きじゃなかったんだけど、なんの苦労もせずに売れたね」
新宿にあったショールームに栄転となったが、場所柄、遊びまくって仕事も辞めた。
「もう、エロエロ(いろいろ)遊んだよ」
その後、姉の職場でアルバイトをしながら、テキヤになろうと考えた。テキヤも一種の「話芸」の商売だ。しかし、ヤクザの事務所まで行ったものの、そこで組員の指の欠けた手や、派手な刺青(いれずみ)を見て、おじけづいた。
デパートの実演販売もいいなと考え始めたとき、職場の上司に連れられていった大井のオートレース場(73年廃止)で初めて予想屋を見た。
「こういう雰囲気、好きだなーって。客を集めてね。俺に合ってると思った」
アルバイトを辞め、一時、派遣社員として大井町の阪急百貨店の日曜大工売り場に務めた。しかし、ケンカ沙汰を起こし、千葉県津田沼の小さな店舗に飛ばされた。
すると、そこの近所にオートレース場があった。船橋オートである。その偶然に運命を感じ、船橋オート、船橋競馬場、大井競馬場の3つを本拠とする予想屋の下に弟子入り。助手時代の給料は「つまんで、はい」と小銭をもらうだけ。数百円だった。
一人前として認められるようになると、大井競馬と船橋競馬の開催が重なったとき、親方は大井競馬を優先し、ミスターは船橋競馬場の台を任されるようになった。
「意外とすぐできたよ。親方の言葉をノートに書き留めたりして、自分ならこうやりたいなー、というのをずっと考えてたから」
ただし、42歳で独立するまでは、売り上げの6割を「かすり」として親方に納めなければならなかった。それだけに初めて自分の台を持ったときは感無量だった。
「うれしかったねぇ……。全部、自分の稼ぎになるんだから。死に物狂いで働いたよ」
★後編⇒船橋競馬場伝説の予想屋・ミスター船橋の作法「俺の名刺、交通安全のお守りになるんだ。“当たらない”ってね」
●川村栄一(かわむら・えいいち) 1946(昭和21)年10月14日生まれ、千葉県市川市出身。高校卒業後、楽器店のセールスマンを経て、予想屋の世界へ。主に船橋オート、船橋競馬場で約50年予想を売り続ける。住まいは千葉県の大穴(おおあな)だが、予想スタイルはカタイ
(取材・文・撮影/中村 計)