「学園野球部をつくった第二代教祖の死後からPLはおかしくなった。勝つには勝つが、野球ばかりに熱心で信仰心の薄い選手が増えてきたからです」と語る柳川悠二氏

桑田真澄、清原和博、立浪和義、宮本慎也、前田健太らそうそうたるOBをプロに輩出しながら、2016年夏に突然休部した名門PL学園高校野球部。その「謎の休部」の裏側を関係者らへの取材で明らかにしたのが『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』だ。

同学園野球部を取り上げた書籍は数多くあれど、その創設の経緯や黄金期の圧倒的な強さの背景に、母体であるPL教団の「信仰」が深く関わっていたことを明かしたのはおそらく本書が初めてである。著者の柳川悠二(やながわ・ゆうじ)氏に聞いた。

* * *

―高校野球の書籍というと、どうしても美談になりがちですが、この作品はPL学園の「宗教と暴力」に真正面から切り込んでいる点がとても新鮮でした。

柳川 神様にお願いをして野球部が強くなるとは思っていませんが、全盛期のPL学園には信仰によっていろいろなことを皆で共有できる強さが根幹にあったのだと思います。ただ、野球部をつくった第二代教祖(おしえおや)が生きているうちはよかったが、(83年に)彼が亡くなってから野球部はどんどんおかしくなった。

勝つには勝つが、野球ばかりに熱心で、信仰心の薄い選手が増えてきたからです。そんななか、暴力事件が重なった。それまで眉をひそめていた教団の人たちからしたら、この暴力事件は渡りに船だったと思いますよ。これで野球部を潰す理由ができた、ぐらいに思っていたのではないでしょうか。

―そうした切り口ゆえか、本書では「私の写真が教団の警備員室に張られている噂まである」と、教団関係者に敵対視されたであろう様子も書かれています。

柳川 広大な敷地を持つPL学園は近鉄長野線の富田林(とんだばやし)駅側と、喜志(きし)駅側、両方に入り口があります。学校とグラウンドは1.6㎞ぐらい離れていて、野球場に行くのなら富田林のほうが近く、学校に行くなら喜志のほうが近い。その両方に警備員がいるのですが、私が行くと「とにかく、お帰りください」と言われました。

もちろん、こちらも、それはおかしいと抵抗しましたよ。宗教法人であるPL教団の敷地は、厳密には私有地とは言えない。しかも、こちらは取材目的という正当な理由がある。

「信者でないから入るな」とは言えないと思うんです。PL学園には、信仰していなくても信者だ、と言っている人もいっぱいいるわけですし。

「私たちの人生を狂わせないで」とまで言われた

―会うことになったものの、結局、話を聞くまでには至らなかった関係者のエピソードも披露されてます。取材を断られた人数は相当な数になるのでは。

柳川 取材期間は約2年9ヵ月で、週刊誌からの依頼記事も入れると月2回のペースで大阪に行っていました。でも、教団関係者は基本的には何を聞いてもノーコメント。機嫌を損ねさせてしまって、「あなたにはしゃべりたくない」と言われたこともある。

ある方には「私たちの人生を狂わせないで」とまで言われました。50人近くの方に取材を断られてるんじゃないですかね。野球部の不祥事を告発した人にも、個人的なルートを使って接触したのですが、ほとんど受けてくれませんでした。

―その熱心さが伝わり、なかなか取材を受けてくれなかった、PL学園の甲子園初出場時の監督にして、伝説のスカウトマンでもある井元(いのもと)俊秀氏を引っ張り出すことに成功しています。この本の前半のひとつのクライマックスですね。

柳川 何度、電話をしても、また今度と言われ、その繰り返しでした。でも、その井元さんに話を聞けたことで、これだけの評価をしていただいた(第23回小学館ノンフィクション大賞受賞)のだと思っています。

―それにしても、第三代教祖を新幹線の車内で直撃しようとするなど、かなりゲリラ的な取材も多かったようですね。

柳川 (発売後)いやがらせの手紙とか抗議文が来るかもと思っていたのですが、そういうことはなかったですね(笑)。あったらあったでいいと思っていたんですが。

―そこまでこのテーマにこだわることができた理由は、なんだったのでしょう。

柳川 そういう厳しい状況も含めて、面白がれたという部分もありますし、後はきれいごとかもしれませんけど、記事によって世論を動かしたかったというのもあります。早い段階で廃部になることはわかっていたのでアクションを起こしたかったし、正義感みたいなものもあった。

とはいえ、なんとしてでも廃部を食い止めたい、ということではありません。ただ、最後の12人の選手がかわいそうだった。知らぬ間に彼らに感情移入していましたね。

―部員募集を停止したため、最後の部員は12人しかいなかった。そのなかでも特に、病気で留年した記録員、本書の中で「上原浩治(シカゴ・カブス)に似た」と表現されている土井塁人君に対する思いが強かった印象があります。

柳川 土井君、とてもかわいらしい子で。本当に練習熱心な選手で、私が練習試合くらい出ればいいのにと言うと、「僕は試合に出ないほうがチームのためになる」と、あくまで裏方に徹していました。監督経験のない素人が監督に就任した後、作戦を決めていたのも彼だったと思うのですが、それを尋ねても、監督を気遣って否定するんです。

彼だけには個人的に話を聞きたいと思っていたのですが、「学校の許可がないと……」と断られました。その断り方が本当に丁寧で、不快な感じがまったくなかったんです。また、最後の夏、PLが負けたとき、ある部員から「2年間、取材していただいて、ありがとうございました」と言われたときは胸が熱くなりました。

有名大物OBも教団に働きかけることはできない

―PL学園野球部は、日本一の実績を誇るといってもいいほどの名門野球部でした。影響力のある偉大なOBも何人もいる。率直に、なんとかならなかったのでしょうか。

柳川 昨年2月、週刊誌に2016年度の一般入試受験生が定員75人に対し28人しかいなかったという記事を書きました。あの頃から、教団の財政事情にもどんどん詳しくなっていって、廃部はやむなしだなと確信するようになりました。確かに有名大物OBは何人もいます。しかし彼らも教団と野球部は別であるということをよくわかっていました。PL学園を飛び越え、教団に何か働きかけるということはできない、と。

―もうひとつ、PL学園の野球部を語る上で避けられないのは、何度も表面化した暴力です。かつては多くの野球部に暴力があったとはいえ、客観的に見て、やはり尋常ではないですよね。

柳川 野球部における暴力を一概に悪いと決めつけたくはなかったんです。PLに限らず、かつてはよくあったことだし、今もあるところにはある。ただ、今回、書き切れなかったのは、そういう事件で部を辞めざるをえなかった選手たちの気持ちでした。なかには命を落とした子もいます。野球部の中で生き残った人たちは、「あれが後の人生の役に立った」と肯定する人は多い。でも、去っていった人は、どうでしょうか。ただ、去っていった人はなかなか見つからなくて……。

―そうした書き手の姿勢は行間からにじみ出ているように思いましたし、取材相手を選ぶ際、タブーをつくらないという気概が作品の心棒になっていると感じました。ちなみに、次回の作品は、どんなものを考えているのでしょうか。

柳川 KKコンビ(清原和博、桑田真澄)のドラフトについて掘り下げてみたい気もしますが……、でも、今はPLから少し離れます(笑)。

●柳川悠二(やながわ・ゆうじ)1976年生まれ。ノンフィクションライター。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、出版社勤務を経て独立。2000年シドニー五輪から16年のリオ五輪まで夏季五輪5大会を現地で取材する。高校野球の取材は05 年から。以降、春秋の甲子園取材をライフワークとする

■『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』 小学館 1500円+税2016年夏をもって休部したPL学園野球部。全国制覇7回を誇る名門はなぜ突然「事実上の廃部」に追い込まれたのか? 母体であるパーフェクトリバティー教団や学園、さらにはOBらへの取材により、この真相を明らかにする。2016年、第23回小学館ノンフィクション大賞受賞作