田臥(たぶせ)で始まり、田臥で終わった―。そう言ってもいい「Bリーグ開幕元年」だったのではないだろうか。
2016年9月22日に産声を上げたBリーグ。東京・国立代々木第一体育館で行なわれた開幕戦「アルバルク東京対琉球ゴールデンキングス」の一戦には9132人が詰めかけた。観客で埋まる客席を、田臥勇太は眩(まぶ)しそうにテレビ解説席から見渡していた。
「日本のバスケットも、こんな時代になったんだ」
それから8ヵ月後、5月27日のチャンピオンシップファイナル「栃木ブレックス対川崎ブレイブサンダース」の一戦。田臥は、今度は選手としてコートに立っていた。開幕戦と同じ会場に詰めかけた観客は、1万144人に及んだ。
今季Bリーグが発足し、例年以上に田臥のメディア露出は多かった。そのたびに「まだ現役だったのか?」という声も聞こえた。能代工業時代の少年をイメージする人も多いだろう。そんな田臥も現在36歳になった。しかし、シーズン中に話を聞くと、悲観など一切していなかった。
「『年を取ったから、これがダメだ、あれもダメだ』じゃなくて、『年を取ったからこうなるんだ』という発見を楽しんでいます。今、よく考えるのは、いかにプレーを遅くできるかってことですね」
競技への情熱も探究心も、まったく衰えてはいなかった。
そしてファイナルでのワンシーン、今なお田臥がリーグナンバーワンのポイントガードであることを証明するかのようなプレーがあった。
「ナイスパスとはどんなパスか?」
ゲーム終了まで残り38秒、82-79、栃木のリードはわずか3点。田臥がマークマンを抜き去り、ビッグマンが慌ててカバーリングする。
田臥は目線でフェイントを入れてブロックに飛ばせ、ノーマークになったチームメイトにスピードのある、しかしキャッチしやすいワンバウンドパスを送った。そのパスを受けたチームメイトがレイアップを沈め5点差に。この得点が栃木の勝利を決定づけた。
はるか昔、田臥に「ナイスパスとはどんなパスか?」と聞いたことがある。ノールックパスが代名詞の彼に「意表を突くパスです」という回答を期待したが、答えは違った。
「チームメイトが取りやすいパスです」
こんな能代工時代の伝説がある。体育の授業でバスケが行なわれた。得点王になったのは、田臥のチームメイトで、その日までバスケの授業で1点も獲ったことがない背の低い柔道部員だった。“能代発NBA経由栃木着”の男のパスは、いつの時代も優しい。
85-79の最終スコア。試合終了のブザーが鳴った直後、顔をクシャクシャにしながらチームメイトと抱き合う田臥を見て、能代工時代の面影を見たファンも多かったはず。この日、能代工業で3年連続3冠を獲得し、日本中を熱狂させたバスケ小僧が20年の月日を経て、再び日本中のバスケファンを歓喜させた。
試合後、たったひと言だけ言葉を交わせた。「素晴らしい試合でした」。そう伝えると、田臥は誇らしげに言った。
「ありがとうございます。チームメイトとファンのおかげです」
日本で一番バスケットボールが好きな男は、こういう男だ。だからこそ、彼のパスはどこまでも優しい。
(取材・文/水野光博 写真/アフロ)