1969年、ドラフト1位でヤクルトアトムズに入団して以来、昨年まで一度も球団から出ることなく47年間ヤクルトひと筋だった八重樫幸雄(やえがし・ゆきお)氏。
選手、コーチ、フロントとして、誰よりも球団を見てきた男が、低迷する古巣に熱きメッセージを送った。
■僕も含め、近年の編成の責任は大きい
―今季は交流戦の10連敗をはじめ、スワローズは苦しい戦いが続いています。
八重樫 主力にケガ人が多いとはいえ、野手の選手層が薄いですよね。これは僕も含めて、ここ数年の編成の責任です。会社からの「即戦力投手が欲しい」という要望に応えすぎた反動といえるかもしれない。山田哲人以外の野手はほぼFAやトレード、テスト入団ばかりだからね。
―確かに大引啓次、坂口智隆、大松尚逸(しょういつ)、鵜久森淳志(うぐもり・あつし)などパ・リーグ出身選手の活躍が目立ち、「再生工場」などともいわれています。
八重樫 でも、「野村再生工場」のときとはちょっと違うと思うよ。今、活躍している選手たちは衰えを見せ始めたとはいえ、もともと実力や実績がある選手ばかり。野村さんの頃はそうじゃなかったから。
―なるほど。
八重樫 それに移籍選手が活躍できる土壌があるのはいいことだけど、これが多くなってくるとヤクルト本来の家庭的なムードとか、チームの一体感が薄まってくるようにも思える。やっぱり生え抜きの選手がもっと奮起しないと。
―八重樫さんは09年から昨年までスカウトをされていましたが、その視点から現状をどう見ていますか。
八重樫 僕は北海道と東北の担当だったんだけど、八戸大学(当時)の秋山翔吾(現・西武)はぜひ獲得したかったな。でも、「外野手は余っている」という事情で指名できなかったんです。
―やはり会社は「即戦力の投手が欲しい」と。
八重樫 以前は各地区の担当スカウトが薦める選手をスカウト全員で見ていたんだけど、ここ5、6年はそれもなくなってきてね。それよりもトップの判断が優先されるというか。きっかけはライアン(小川泰弘)だったと思う。
―と、いいますと。
八重樫 彼が12年のドラフト2位で入ってきて、すぐに16勝して、最多勝に新人王でしょう。それで社長も「即戦力投手が欲しい」となって、そこからは毎年、投手ばかり指名するようになったね。
―確かに12年以降は、13年の杉浦稔大(としひろ)、14年の竹下真吾、15年の原樹理(じゅり)と即戦力投手の1位指名が続いています。
八重樫 チーム事情を考えるとそれが悪いとは言わないけど、そうそううまくいくもんじゃないし、もう少し高校生野手に目を向けてもいいよね。
ここ数年の編成上の問題が表れている
―数少ない若手野手も、なかなか台頭してきません。
八重樫 生え抜きの若手を育てないといけないのは明らかだけど、最近の指導者は「ちょっと無責任かな」と思うこともありますね。僕がスカウトで獲得した選手については、2軍に行って自分で指導したこともあったから。まぁ、もうそういう時代じゃないのかもしれないけど。
―一方、今季も主力に故障者が続出し、リハビリも遅々として進まず。この状況がとてももどかしいです。
八重樫 僕らが指導者だった頃と比べると、リハビリがより慎重になってる印象がある。なかなか実戦に戻さないから、選手のモチベーションも低下しているんじゃないかな。
―それは、「過保護」ということですか?
八重樫 医者の診断どおりにやるんだよね。医者が「全治2ヵ月」と言ったら、そのとおりに2ヵ月待つ。本当はもう治っているのに、完治まで待つから時間がかかる。ヤクルトはその傾向が特に強いかもしれないね。だから、現場のコーチとリハビリ担当で意見が対立することもある。
―その結果、常に「戦力が手薄」という状態ですね。
八重樫 故障者が続出。リハビリに時間がかかる。だから即戦力選手を欲しがる。その一方で、生え抜きの若手が育たないから、移籍選手に頼らざるをえない。ここ数年の編成上の問題が今年のヤクルトに表れていると思いますよ。自前の選手を育てられず、その場の補強でなんとかしのぐ。
―どこかで聞いたような話ですね。
八重樫 うん、巨人と一緒だよね。スケールが小さい分、“ミニ巨人”というか。スワローズはそれじゃあダメだよ。
(取材・文/長谷川晶一 撮影/下城英悟)
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●八重樫幸雄(やえがし・ゆきお) 1951年6月15日生まれ(66歳)、宮城県出身。仙台商高から69年ドラフト1位でヤクルトアトムズに入団。以来、93年の現役引退まで実働23年間で773安打、103本塁打を放つ。引退後はバッテリーコーチ、2軍監督、1軍打撃コーチを歴任。2009年からはスカウトに就任。昨年まで47年間、ヤクルトひと筋