サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』がスタート!
現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。
第2回は、高校時代からの長い付き合いというセルジオ越後氏との出会いについて。
*****
サッカー界の辛辣(しんらつ)なご意見番で、彼がいなければ現在の日本サッカー界の姿はなかったかもしれない。だけど、私にとってはそれ以上の存在だ。人生を振り返った時に、この人と出会っていなければどうなっていたかなと思う。その人こそがセルジオ越後だ。
彼に初めて出会ったのは、私が高校1年か2年の時だったと記憶している。以来、親愛の情を込めて“セルジ”と呼んでいるけれど、当初のセルジは、それはもう怖かった。
すでにJSLを引退し、日本サッカー協会公認のサッカースクールを全国でやっていたけど、まだ34、35歳。今みたいなコロコロした体型ではなくて、バリバリにプレーできていたからね。
彼に初めて会ったのはサロンフット。当時はフットサルのことをそう呼んでいて、千葉県内の体育館にセルジの他にフジタ工業や日産でプレーしたマリーニョなどが指導に来ていた。そのスクールに月1、2回参加して練習するようになった。
セルジがJSLのフジタでプレーしていた頃、国立競技場とかで何試合かは見ていたんだ。ライン際でのプレーが驚異的なうまさだったね。ゴール前で右からきたパスを左足でトラップしながら体の左側に持ってきて、そのまま左のトゥキックでシュート。「なんだ、それは!」とビックリして、家に帰ってずっと真似していた。
だから、サロンフットでセルジと初めて会った頃の私は、エラシコをやるわ、ダブルタッチをやるわ、足技が得意なイケイケな選手だった。それもあってサロンフットにはどんどんのめり込んでいったね。
それで1年くらいした頃にセルジ主催のサロンフットのイベントがあって、当初出場予定だった選手が出場できなくなったから急遽、代役でそのツアーに参加させてもらえた。相手はブラジルの強豪、パルメイラスのフットサルチームで正真正銘の本物。
私は相手の名前を聞いただけで舞い上がっていたけど、セルジは至って普通だったね。いつものように自陣ゴール前の最後尾にポジションを取って、ボールを受けるとパルメイラスの選手たちが本気でボールを奪いにくるのを軽々とかわしていく。ブラジル人の連中が試合後に真っ先に駆け寄って握手を求めるほど圧倒的な選手だったよ。
試合中は冷静にプレーするセルジだけど、内心はすごくカッカしてるんだよ。相手がパルメイラスだろうとなんだろうと絶対に勝ちたい。何がなんでも勝ちたい。でも、私のミスでやられるから、ハーフタイムに襟首をつかまれて「あなたのミスで2点だよ!!」って厳しく責められてさ。こっちはまだ高校生だけど、試合になれば年齢なんて関係ない人だったね。
「おまえはどこで死にたいんだ?」
その後、「日本でサッカーやりたいんだろ?」って聞かれて、「やりたい」と答えたら、「外国人はうまくなきゃいけないんだよ」って言われて。それで後半も使ってくれたね。
その試合の最後のプレーで、同点か勝つかという局面でマリーニョがシュートを打てばいい状況なのにヒールでパスを戻してきた。私は無我夢中で左足を振り抜いてゴールネットに叩き込んで会場が盛り上がった。きっとセルジに怒られすぎていたのを見て「こいつに決めさせないと選手として終わっちゃう」と考えたのかもしれないね。
今だからこそ、セルジもマリーニョも愛情を持って高校生の私に接してくれていたと思えるけれど、やっぱり当時の私にとっては怖かった(笑)。ただ、そのツアーを経験したことで、彼らとの距離も近くなった。だから、大学に進学してからも千葉県内でスクールをやると聞いたら率先して手伝いに行ったんだ。
大学生の頃、国籍の悩みを聞いてもらった時のセルジにもらったアドバイスは忘れられない。
「おまえはどこで死にたいんだ?」と聞かれて、「日本かな」と答えたら、「じゃあ、おまえは日本人だよ」って。そういう割り切りもいいなって思えたんだよね。その後も何かあるたびに、いつも相談していた。
セルジは全国各地でスクールを開いて延べ50万人もの少年少女にサッカーを教え、その中から数多くのJリーガーも生まれた。私は彼らと違って、半分外国人という距離の近さがあったし、引退後はメディアの仕事をするようになったこともあって、セルジの切り拓いてきた道に対しては本当にスゴすぎてリスペクトしかない。
メディアにいると“本音”と“建前”を使いがちだけど、セルジは“本音”を出す最大限の努力をしている。解説者として厳しいことを言うけれど、議論が生まれるように愛情を持って発言している。私も常にそうありたいと思う。
最近はお互い仕事が忙しくてなかなか会えないし、若い時のように酔っ払って夜中に電話するのも控えている(笑)。セルジには健康のためにもあんまり太り過ぎないようにしてもらいたいな。「太る前のスーツはないの?」と、いつまでも軽口を言いたいからね。
【“セルジ”との出会いのインパクト】 星5つ ☆☆☆☆☆
(構成/津金壱郎 撮影/山本雷太)
■宮澤ミシェル 1963年 7月14日生まれ 千葉県出身 身長177cm フランス人の父を持つハーフ。86年にフジタ工業サッカー部に加入し、1992年に移籍したジェフ市原で4年間プレー。93年に日本国籍を取得し、翌年には日本代表に選出。現役引退後は、サッカー解説を始め、情報番組やラジオ番組などで幅広く活躍。出演番組はNHK『Jリーグ中継』『Jリーグタイム』など。