杉田は6月末のアンタルヤ・オープンで念願のツアー初優勝。直後のウィンブルドンでも四大大会本戦初勝利を飾った。 ※写真はイメージです 杉田は6月末のアンタルヤ・オープンで念願のツアー初優勝。直後のウィンブルドンでも四大大会本戦初勝利を飾った。 ※写真はイメージです

28歳にして大ブレイク! 男子テニス界の“遅咲きの星”杉田祐一が目覚ましい活躍を見せている。

今年4月末のバルセロナ・オープンでベスト8、そして6月末からのアンタルヤ・オープンでは元世界3位のフェレールら強豪を下し、念願のツアー優勝を果たした。ATPツアー制覇は松岡修造、錦織圭に続いて日本人男子3人目。4月時点で91位だった世界ランキングも、現在44位まで上昇している。

しかし、これまでの杉田のテニス人生は決して華やかなものではなかった。

18歳のプロデビューからわずか3ヵ月間で、世界ランクを1500位台から500位台にまで上げるも、その後は急ブレーキ。同年代や年下の日本人選手にも後れを取り、ここ数年は100位台の中盤を行ったり来たり。2009年から14年にかけては、17回連続で四大大会予選敗退という不名誉な記録も刻んでいる。

テニスライターの内田暁(あき)氏もこう証言する。

「以前は気持ちの浮き沈みが激しく、本人もそこが課題だと話していました。負けたときは会見でも口数が少なくなり、声も小さくなりがちでした」

そんな苦労人の杉田がここにきて急成長した理由はなんなのか? そこには知られざる“師匠”の存在があった。内田氏はこう続ける。

「それは7つ年下の西岡良仁(よしひと)選手です。14年の仁川(インチョン)アジア大会で19歳ながら日本人として40年ぶりの優勝を果たすなど、若くして活躍する西岡選手と杉田選手はトレーナーが同じで交流も多い。そんな西岡選手に刺激を受け、彼のトレーニング期間や出場大会を見直したことが転機になりました」

出場する大会を絞って休息とトレーニングの時間を確保し、万全の状態で試合に臨む。それが西岡から学んだ戦略だ。

「以前の杉田選手のように多くの下部大会に出れば、その分、勝てる機会は増えますが、移動や試合で心身共に大きな負荷がかかる。そんなときに西岡選手の戦略を見て『若いのにすごく頭が良くてよく考えている』と感銘を受けたそうです。最近では、負けても以前のように落ち込むこともなくなりました。杉田選手本人も『西岡がいなかったら、今の自分はなかった』と話していました」(内田氏)

そんな杉田が目標に掲げるのが世界ランキング30位入りだ。実現できれば、四大大会でのシード権を得ることができる。

四大大会でシードされた杉田と錦織が勝ち進み、決勝のコートで激突する。そんな夢のようなシーンを見たい!