ライセンスを絶対視する風潮には違和感を覚えると語るセルジオ越後氏

現役選手の彼がなぜ今、声を上げたのか。狙いや意図はわからない。ものすごく唐突。でも、共感する部分もあるし、議論のきっかけになればいい。

先日、メキシコに移籍した本田圭佑が自身のツイッターで「サッカーの指導ライセンスについて」と題して、持論を展開した。その内容は「指導テストなど別に必要ない。必要最低限のルールテストで合格すればS級を渡すべきで、そのほうが絶対にサッカー界にとって有益なんです。そもそも指導法に正解なんてないんですから。1人では何も変えられないので皆でルールを変えましょうよ」というもの。

日本サッカー協会が公認する指導者ライセンスは、少年サッカーを指導するC級などから、Jリーグのクラブや日本代表の監督を務められるS級まで、細かく分けられている。

なかでも最もハードルが高いのが最高位のS級。これまでに450人以上が取得しているんだけど、3度の短期研修をはじめ、講習会やインターンシップ(海外プログラム2週間以上、Jリーグクラブ1週間以上の実地研修とリポート提出)などがあり、受講には約1年の期間を要する。また、費用は交通費、宿泊費などの経費を含めれば、軽く100万円以上かかるといわれる。

このS級については、本田に限らず以前から「もっと簡略化すべき」「画一化されすぎ」といった声があった。個人的にも、最低限の講習などは必要だと思うけど、時間とお金がかかりすぎると感じていた。何より皆が同じサッカーを学び、意識するあまり、昔よりも個性的な選手が出てこなくなった印象がある。実際、協会批判になるから公には言わないだけで、S級保持者の中にも同じことを言っている人はたくさんいる。

また、苦労して資格を取っても、監督としての仕事が保証されるわけじゃない。S級を取っても、チームの指導をずっとやっていない人はたくさんいる。運転免許を持っているのに、車を持っていないようなものだよね。ほかにも、性格的に明らかに監督に向いていない人もいる。なかには、解説者をやっているのに協会に批判的な内容の話は一切せず、いつも無難な話ばかりする人もいる。なんのためのライセンスなのかなと思うことはよくある。

水戸黄門の印籠(いんろう)のようにライセンスを持ち歩いて…

ただ、その一方で、今のライセンス制度に満足している人がたくさんいるのも事実。僕の知人のS級保持者は、サッカースクールで地方に行く際、水戸黄門の印籠(いんろう)のようにライセンスを持ち歩いていた。笑っちゃうよね。僕が「S級を持っていても、監督のオファーが来ないからムダだな」とツッコんだら、少しムッとしていたけど。

でも、日本は学校教育もそうだけど、「上に従う社会」だから、指導の現場でライセンスを見せると、なんの疑問も抱かれずに「おー、スゴい」となる。そうやって形にこだわるのは、いかにも日本らしいし、日本の文化ということなのだろう。

もちろん、サッカーの勉強をするのは素晴らしいこと。でも、S級さえ取れば、誰でもいい指導者になれるわけじゃない。ライセンスを絶対視する風潮には違和感を覚えるね。

今回の本田の問題提起があまり拡散していないのは残念。彼の言うように、サッカーの指導法に正解はないのだから、常に問題意識を持って、オープンな議論をして、ダメな部分はどんどん変えていけばいいと思う。

(構成/渡辺達也)