世界選手権200m決勝で入賞を果たしたサニブラウン 世界選手権200m決勝で入賞を果たしたサニブラウン

18歳のサニブラウン・ハキームは、ロンドンで開催された世界選手権でアッサリと世界と戦える手応えを得たようだが、個人の5レースを終え、彼はこう話した。

「100mは今大会のレベルでは通用していたと思うし、200mも最初の100mはほとんどトップの位置で通過した。そこからラスト100mをドンドン伸びていく選手に食らいついていけるような練習をやっていけたらいいなと思います」

サニブラウンが世界に衝撃を与えたのは、大会初日の男子100m予選。小さなミスが命取りになるため誰もがナーバスになる種目だけに、緊張しても当然だったが、予選で世界歴代2位の9秒69の記録を持つヨハン・ブレイク(ジャマイカ)に0秒08先着。向かい風0.6mで、10秒05の自己タイ記録で1位通過を果たしたのだ。

「ちょっと寒くて心配したけど、緊張しないので大丈夫かなと思っていました」と言って笑顔を見せたサニブラウンは、翌日の準決勝で再びブレイクと同走。だが、今度はスタートして3、4歩目で大きくつまずいて失速。10秒28で7位という結果に終わった。

1位になったブレイクは向かい風0.2mの条件で10秒04。サニブラウンが普通に走っていれば決勝進出できる可能性が高かっただけに悔やまれるミスだった。

「いや、やらかしましたね。盛大にやらかしてしまいました。200mも一部分一部分が大切だけど、100mはより一歩一歩が大切になってくるので、ひとつでもミスを犯すとそこで出遅れて巻き返すのが大変だと身に沁みて感じました」

こう話すサニブラウンだったが、表情は晴れやかで、怖じ気づくことなく走れば、世界選手権でも自分の走りは通用するという自信をつかんだ様子だった。

それは200mで形となって表れた。日本選手権の2本を含めて今季は4回しか走っておらず、練習も100mが主だったため、それほど走り込んでいなかったが「スピードがあれば、あとは我慢するだけ。それに元々苦手じゃない」と、本人はリラックスしてレースに臨み、見事に決勝に駒を進めた。

世界選手権は調整も含めてその時一番強い人が勝つ大会

10日の決勝では、彼以外の全員が19秒台のタイムを持っていたが、「メンバー的に見て自分より速く100mを走る人はいないと思ったので、前半はいけるだけいって後半もリズムを保っていければ前で勝負できた」と強気な走りを披露した。

しかし、コーナーの出口付近で予選前から張りが出ていた右太股裏上部に痛みが出てしまい、そこから「ラスト100mは脚が痛くて全然動かなかった」とバラバラの走りになってしまい20秒63で7位に終わった。

200mの世界記録を持つボルトや100mで優勝したジャスティン・ガトリンは出場せず、自己ベストトップ(19秒25)のブレイクは準決勝で敗退。レースは本命不在で混戦になり、優勝したのは20秒09でラミル・グリエフ(トルコ)。もし脚が万全で、トップで直線に出ていたら他の選手はさらに力み、結果もわからなくなっていただろう。

「世界選手権は調整も含めてその時、一番強い人が勝つ大会ですね。いくら速い自己ベストを持っていても、結局は全ラウンドを走り切らなければ意味がないんだなと肌で感じました」

こう語ったサニブラウンが今回の世界選手権で学んだのは「9秒台や19秒台の必要性はそんなに感じないですね。勝てるならそんなタイムもいらないと思っているので」と本人が言うように“一番を争うだけ”という競技の本質だ。

確かに9秒台や19秒台はスプリンターにとってはひとつのステイタスだが、その数字は目安でしかない。そんな気持ちになれたことも世界のトップに仲間入りした証拠なのだろう。また、そういう意識は他の日本短距離選手に最も必要とされているものでもある。

サニブラウンにとって100mの9秒台も、200mの19秒台も壁ではない。彼はこれから「世界で勝ちたい」という思いでそこを軽々と乗り越えていくはずだ。そうなれば他の選手にとっても、それは壁ではなくなる。日本の陸上短距離界にもそんな状況を作り出せる準備ができた──今回の活躍の最大の成果はまさにそこにあったといえる。

4×100mリレーにおいても、ボルトが引退するジャマイカの若手の成長が今一歩という状態で、日本にとって追い風が吹いてきている。今回、銅メダルを獲得した選手たちも当然、サニブラウンの存在を強く意識しているはずで、決勝を外れたケンブリッジ飛鳥やこの世界選手権に出場できなかった山縣亮太も彼を念頭において復活を期しているはず。

サニブラウンが開けた風穴は、日本男子スプリントを新しいステージに引き上げるものになるはずだ。

(取材・文/折山淑美 写真/アフロ)