オシムさんとの思い出を語った宮澤ミシェル氏

サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第19回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、前回に続き、日本代表監督としてジェフ市原(現在の千葉)監督として、日本サッカーに多大な貢献をしてくれたイビツァ・オシム元日本代表監督。今も強烈に印象に残っている数々のエピソードとは…。

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前回、オシムさんの提言に触れたから、今回はオシムさんについて。今でも彼ほど日本サッカーの未来を真剣に考えてくれた監督はいないと感じている。ジーコさんもザッケローニさんも、確かに日本サッカーを大きく前に進めてくれたけど、オシムさんの“あの強烈な言葉”と影響力の大きさは格別だと思う。

オシムさんとの付き合いは、僕の古巣のジェフ市原の監督になった2003年から始まり、日本代表監督時代まで続いた。とにかく取材陣泣かせだったね。いろんな思い出が強烈に残っているよ。

いつも斬新な発想力で我々を驚かせたオシムさんほど「日本人らしさ」について考えていた人はいなかったな。

2006年に日本代表監督になった時、ブラジルから01年に帰化した三都主アレサンドロをなぜ代表に招集しないのか訊ねたら「日本人としてプレーするのなら呼ぶよ」という回答だった。つまり、ブラジル人としてプレーしている三都主は必要ないということ。うまくて戦力になる外国人選手が日本にいるなら帰化をしてもらって、と考えている人が多い中、オシムさんだけは違った視点から日本代表というものを捉えていた。

オシムさんの強烈なエピソードは、挙げたらキリがない。日本代表メンバーが発表された時に、FWだけ空欄で「明日のJリーグを見てから決めるよ」と。それで本当に週末のJリーグのパフォーマンスで決めてしまった。大変だったのは選手たち。夜のうちに空港の近くまで移動して、朝一番の飛行機で移動して代表に合流。無茶なところもあったけれど、柔軟な考え方の重要さを示してくれた。

ジェフの監督時代には、昼3時から浦和レッズと対戦し、不満の残る結果に終わると「帰ったら練習だ」と言ってバスに乗り込んだこともあった。当時、キャプテンだった阿部勇樹が「今日は勘弁してください。明日からしっかりやります」と返事をして、そのままバスが練習場に到着したんだけど、オシムさんは阿部に向かってこう言った。「キミが監督になった時は明日からにしなさい。私はやる」と。

怒らないと思っている人もいるけれど、実際は違う。責任の所在を明確にする監督だったから、ジェフ時代はこってりしぼられる選手もいたよ。

2003年の1stステージでジェフが優勝に王手をかけたジュビロ磐田戦のこと。リードしていたのに最後の最後で坂本將貴がポジショニングをミスって同点に追いつかれて引き分けた。そうしたら、オシムさんは彼のミスを徹底的に指摘して追及した。ものすごい迫力で、ロッカールームで坂本が泣くほどだったよ。

その翌日にはメシに誘って、きちんとフォローしたんだけど、食事後に坂本が先に帰った後、残ったスタッフと会話していたら、オシムさんはまた怒りだして「あいつ(坂本)のミスで負けたんだ!」と言っていたと聞いた。

プロフェッショナルの世界なのだから、勝負にこだわるのは当然だよね。それがなければ成功するわけがない。確かに、プロ選手をまるでアマチュアの子どものように扱うことも時にはあったけど、しっかり評価して選手をその気にさせるのもうまい人だった。だからこそ、多くの選手から慕われたんだと思う。

日本人のキャラクターや文化を理解していた

ある日の練習で、オシムさんは羽生直剛にお手本となるデモンストレーションをするように指示をした。でも、羽生はそれがうまくできなくて、他の選手がトレーニングしている間、グラウンドを走らされていた。次の日もその次の日も、お手本のデモがうまくできず、走らされての繰り返し…。

これは羽生から聞いたことだけど、ある時、オシムさんは彼を呼んで「日本代表に入る選手だと思っているからデモをやらせているんだ。おまえはできる」と。その言葉を聞いて、ついていこうと決めたら、オシムさんが日本代表監督になった時、すぐ抜擢されて、運動量豊富な「水を運ぶ人」としてクローズアップされたんだ。

当時、オシムさんが住んでいたのは千葉の僕と同じ街で、駅前のホテルやスーパーでよく出くわした。190cm以上もある大柄な外国人がジャージ姿で歩いていると、ものすごく目立っていたよね。会うといつもいろいろな話をしてくれて、とても勉強になった。街中で会って立ち話を始めると長話になってしまう時もあったから、先にオシムさんを見つけても、私が忙しい時は声を掛けないで、そっと歩く方向を変えて遠回りしたこともあったよ(笑)。

ジェフ市原の監督になってすぐの頃、国立競技場で浦和との試合前にトイレでばったり遭遇したら「キミはジェフのOBだろう」と英語で話しかけてくれたのが最初だった。

試合前だというのに「浦和にいる選手のうち、3人ほしい選手がいる。そのうちの誰かひとりでもジェフにいれば、今日は勝てる。でも、その3選手は誰もジェフのユニフォームを着ない。だから、どう考えても勝てるわけがない」と、冗談だろうけど真剣な表情で話したあとにニヤっと笑っていた。それを聞いてこちらも笑ってしまったのをよく覚えている。

また別の試合では、ジェフのメンバーリストを見るとDF登録の選手はふたりしかいなくて、試合前にそれについて訊ねたら、ニコッと笑いながら「ゴールキーパーだけはゴール前にいるぞ」とはぐらかされた。

オシムさんの言葉にはウィットやユーモアが必ずどこかにあって、そういうところがフランス人の僕のオヤジに「似ているなあ」といつも思っていた。愛情深いけれど、どこかシニカルな部分もあって、これはヨーロッパ人特有の気質なのかもしれない。でも、それでいてちゃんと日本人のキャラクターや文化を理解して、しっかりと明確な基準を示して日本サッカーを指導してくれた。

だからこそ、日本代表監督を退任してから10年が過ぎようとしている今も、日本サッカー界には“オシム・イズム”と言えるようなオシムさんの考え方が根付いているのだと思う。

(構成/津金壱郎 撮影/山本雷太)

■宮澤ミシェル 1963年 7月14日生まれ 千葉県出身 身長177cm フランス人の父を持つハーフ。86年にフジタ工業サッカー部に加入し、1992年に移籍したジェフ市原で4年間プレー。93年に日本国籍を取得し、翌年には日本代表に選出。現役引退後は、サッカー解説を始め、情報番組やラジオ番組などで幅広く活躍。出演番組はWOWOW『リーガ・エスパニョーラ』『リーガダイジェスト!』NHK『Jリーグ中継』『Jリーグタイム』など。