誰もが涙した「ドーハの悲劇」から4年、「ジョホールバルの歓喜」では、日本中が初のW杯出場の喜びに沸いた。
あれから20年、歓喜の立役者となった岡野雅行氏が改めて激闘の舞台裏を語る。
■試合の映像は怖くてずっと見られなかった
―「ジョホールバルの歓喜」から20年。そこからの時の流れをどう感じていますか?
「いやもう、ほんとに最近のことのように感じますよ。あれが20年前だと思うと、ちょっと信じられないくらいに。もちろん絶対に忘れないし、二度と味わいたくないものですけど」
―味わいたくないもの、ですか。
「あそこで負けていたらと考えると、本当に恐ろしいですよ。今、こういう仕事もしていないだろうし、もしかしたら命を落としていたかもしれない。大げさではなく。だから、よくあるファンタジーじゃないですけど、タイムマシーンに乗って、あそこで負けていた場合の自分と日本サッカー界のその後を見てみたいです。
もしあの結果が逆だったら、今のように毎回連続でW杯に出られているのかな、とかも考えますね。その意味で、本当に怖いものでした。あそこで勝ったから、今こうして笑い話にできていますけど、そうじゃなかったら、本当に大変なことになっていたんじゃないかなと」
―確かに想像すると、ちょっと怖いですね。
「日本のサッカー界が終わっていたかもしれない、とさえ思います。だって、あれから日本サッカー協会が急に潤っていったわけじゃないですか。立派なビルに事務所を構えて(笑)。それはいいとして、あれによって、世界と初めて真剣勝負ができる舞台に上がれたわけですよね。後からふり返ると、本当にすごいことをしたんだなと思います。
でも、当時は自分ばかりが注目されてしまっているようでいやでしたけど。(予選では)僕はあの最後の試合にしか出てないですから。ほかのみんなもがんばってくれたのに、なんかVゴールばかりが取り上げられて、申し訳ないなと…。
ですから、こうやってまともにふり返ることができるようになるまで15年ぐらいかかりました。話を振られたら答えてはいましたけど、映像は本当に見られなかった。怖くて震えちゃうんです。ようやく見られるようになったとき、ピッチ上の自分に『足、振れないよね。わかるよ』って声をかけていました。それぐらい、ギリギリのところでやっていましたから」
たとえはよくないですけど、本当に“戦争”みたいでした
―さて、これまで何度も聞かれていると思いますが、あのVゴールが決まった瞬間をふり返ってもらえますか?
「基本的にはなんにも覚えてないです。ただあのとき、これでW杯に出られるとか、そういった気持ちはまったく湧いてこなかった。『やっと終わった。これで日本に帰れる』という感じでした」
―ゴールが決まったとき、ベンチを間違えて、相手側に走っていったそうですね。
「何がなんだかわかっていなかったですから。場面は全部スローモーションだったし、本能だけを頼りに動いていましたから。戦術とか、計算とか、そういったものは一切ありませんでしたよ」
―試合後のチームの雰囲気はいかがでしたか?
「(試合で)負けた後みたいでした。ビールかけとかも一切なくて。それぐらい、全員が極限の状態で戦っていたんです。僕は当時、独身でしたから問題ありませんでしたけど、家族がいる人は本当に大変そうでしたよ。岡田(武史監督)さんなんか試合前、日本の奥さんに国際電話で『何が起こるかわからないから、すぐに家族を連れて実家に帰ってくれ。そしてもし負けたら、自分は日本に帰らないから、そのときは別れてくれ』と言ったそうです」
―想像を絶するプレッシャーですね。
「たとえはよくないですけど、本当に“戦争”みたいでした。応援してくれている人たちも、『負けたら帰ってくるなよ』くらいな感じで。選手はみんな痩せこけていて、胃薬を飲みながら試合に出ていました。あのイラン戦に勝った後、控室に戻ると、選手はみんな『はぁ~』と長いため息をついていて、岡田さんに至ってはシャワーを流しっぱなしでずっと体育座りしていました。バスの中もずっとシーンとしているし、ホテルに着いて花道で迎えられても笑顔はなかった。
部屋に戻って、日本の家族とか友達に電話するんですけど、そこでやっと事の重大さに気づくんです。当時はスマホなんてなかったから、日本がどうなっているのかがまったくわからなくて、僕ら選手たちは、コアなサッカーファンだけが(試合を)見ているんだろうなと思っていた。
そしたら、日本中が夜中に酔っぱらっていると。『おまえがゴールを決めたから、今、六本木は大変なことになってるぞ!』って友達に教えられたりして。すごいことをしたんだなと、少しずつ思うようになっていきました」
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●岡野雅行(おかの・まさゆき) 1972年7月25日生まれ、神奈川県出身。J3ガイナーレ鳥取の代表取締役GM。現役時代は自慢のスピードを生かして浦和レッズなどで活躍。「野人」の愛称で知られる。
(取材・文/井川洋一 撮影/ヤナガワゴーッ!)