大相撲界の未来を明るく照らす新星が現れた。11月12日に初日を迎えた九州場所で、新小結に昇進した阿武咲(おうのしょう 、阿武松[おうのまつ]部屋)だ。
今年の夏場所で新入幕を果たすと、そこから3場所連続で2桁勝利を達成。これは、一場所15日制が定着した1949年の夏場所以降では初の偉業だ。先場所は横綱・日馬富士を破って初の金星も獲得。得意の押し相撲で一時は首位に立つなど、2度目の敢闘賞を受賞した。
プライベートではカラオケが好きで、ツイッターも使いこなす21歳。知名度と人気は急上昇し、「読みづらい」と言われていた“おうのしょう”の名前も広く知れ渡った。
出身は青森県で、相撲好きだった祖父の勧めもあり、5歳から地元の中泊(なかどまり)道場に通い始めた。同道場の小山内誠監督は「おじいちゃんに初めて連れられてきたときは、あまりに体が大きかったので、『この子、何年生ですか?』と聞いたのを覚えています」と当時をふり返る。
体が大きいだけでなく、水泳やスキー、スノーボードもこなす持ち前の運動神経で、相撲の才能もすぐに開花させた。同年代の子供たちでは稽古相手が務まらず、早々に小学生と相撲を取っていたという。小山内監督は「この子は必ず全国に通用する選手になる」と、阿武咲をあえて厳しく指導する。先輩を相手にした申し合いを50番以上も課し、相撲の基本となる四股のノルマは毎日200回。楽な踏み方をしないよう、しっかり腰を下げる四股をつきっきりで身につけさせたという。
そんな猛稽古のおかげで、小学校最後の全国大会で優勝し、中学では「全国都道府県中学生相撲選手権大会」で史上初の連覇を飾る。中学横綱を決める大会では決勝で敗れたが、その相手は現在の貴景勝(貴乃花部屋・西前頭筆頭)だった。
相撲界を共に盛り上げることになるライバルに刺激を受け、高校1年生で国体を制した阿武咲は卒業前にプロ入りを決意。いくつかの部屋からスカウトが来たが、「自分を成長させてくれる部屋がいい」と、元関脇・益荒雄(ますらお)が親方を務め、猛稽古で知られる阿武松部屋の門を叩いた。
場所の3分の1は取ってほしい
13年初場所の初土俵から、所要12場所で新十両に昇進するなど順調に出世していったが、ケガの影響で幕下に陥落する挫折も味わっている。そこから這い上がってつかんだ新三役。その真摯(しんし)な相撲への姿勢と実力は、横綱・稀勢里も高く評価している。たびたび阿武松部屋で出稽古を行なっては胸を貸し「こういう若い力士に早く上がってきてほしい」と述べるほどだ。
そんな稀勢の里の期待も背負って迎えた今場所は、横綱を含む上位陣との総当たりになる。しかし、師匠の阿武松親方は番付発表の記者会見で「立ち合いから根こそぎ持っていく相撲を場所の3分の1は取ってほしい」とエールを送った。
そんな師匠は、現役時代に新小結として臨んだ87年春場所で千代の富士、双羽黒(ふたはぐろ)の2横綱と4大関を撃破して「益荒雄旋風」を巻き起こしている。その再現をするのは容易ではないが、初日には2場所連続で横綱の日馬富士を撃破。「しっかり暴れられるように稽古したい」と意気込んでいた阿武咲が、九州で主役の座を勝ち取ることを期待している。
(取材・文/松岡健治)