シーズン途中から新潟の指揮を執った呂比須監督の若かりし頃を語った宮澤ミシェル氏 シーズン途中から新潟の指揮を執った呂比須監督の若かりし頃を語った宮澤ミシェル氏

サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第24回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、残念ながらJ2降格が決まったアルビレックス新潟。「思い入れが深い」というクラブの今シーズンを振り返り、途中から監督に就任した呂比須ワグナーとの思い出も語った。

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アルビレックス新潟が14シーズン守ってきたJ1の座から陥落してしまった。一昨年、昨年は劇的な残留を果たしたけれど、今季、ミラクルを起こすことはできなかった。私自身、新潟のローカル番組でアルビレックス新潟コーナーを担当していることもあって、身近な存在なだけに残念でならない。

今季、序盤は開幕から1勝2分8敗とつまずいて、5月から監督が呂比須ワグナーに代わり、コーチにはサンドロが就任した。ただ、新体制に移った初戦のコンサドーレ札幌戦には勝利したものの、クラブワーストの6連敗や16戦白星なしと苦しんだ。土俵際に追い込まれてからは、降格の決まった33節の清水戦を含めて6戦5勝1分けと意地を見せたが、反撃が遅すぎた。

呂比須とサンドロは今季限りでチームを離れることが決まったけれど、ふたりに新潟で会えなくなるのも寂しい。

呂比須は1987年に元ブラジル代表だったオスカーが日産に入団する時に、オスカーから誘われて18歳で初めて来日した。当時、フジタに所属していた私は、練習試合でよく顔を合わせたよ。

オスカーは日本語が上達する気配が全くないのに対して、呂比須は会うたびに上達していってね。「オスカーは日本語学校に行きませんが、ワタシはちゃんと通っています」と、あの頃から呂比須は真面目だった。

その呂比須に痛い目に遭わされたのが1988年の天皇杯の決勝だ。僕はリベロをやっていたけれど、フジタのDFラインは呂比須に振り回されてズタズタにされて、3-1で負けたんだ。今でも忘れられないよ。

サンドロは1989年に千葉県の渋谷幕張高校にブラジルからのサッカー留学でやってきた。卒業後の1992年にジェフ市原へ入団してきて、ポジションも僕と同じセンターバックだったから目をかけていたし、家に呼んでメシを食べさせたりしてね。

10代の頃から知っているふたりが新潟の監督とコーチになって、久しぶりに再会した。彼らのほうから駆け寄ってきてくれて「ミシェルさん、お久しぶりです」って日本語で挨拶してくれてね。昔のように上下関係をあまり気にしない時代にあって、ブラジル育ちのふたりのあまりにも丁寧すぎる対応に笑ってしまった。

その後、夏頃にサッカー番組のスタッフから「新潟に一番足りないのはなんですか?」と聞かれたことがあった。

「新潟はフォワードとセンターバックがいなくて苦しんでいるのに、呂比須とサンドロがベンチに座っていることが問題だな」と冗談を言ったら、スタッフはキョトンとした顔をしていた。現役時代の呂比須とサンドロを知らないスタッフにはジョークが通じなかったわけだ。

W杯フランス大会に日本代表として出場したフォワードの呂比須と、Jリーグで屈指のセンターバックだったサンドロ。ふたりの現役時代のプレーを知らない世代が増えているということなんだけど、時の流れとはいえ少し寂しかったな。

呂比須は新潟の監督に決まる前はブラジルで暮らしていて、Jリーグで監督をしたいと毎日祈っていたそうだ。この先、新潟での経験を生かして、またどこかのクラブをサンドロと一緒に指揮をとる日がくるように願っている。

新潟は来季、J2を戦うことになったけれど、抜本的な改革をしないと厳しいかもしれない。2013年に柳下正明監督のもとで7位になり、1シーズン制だったけれど後半戦だけなら優勝という好成績を残した。

だけど、このシーズン以降は毎年のように主力選手を放出してきた。2013年オフのGK東口順昭(ガンバ大阪)、2014年途中の川又堅碁(磐田)をはじめ、この3年間でレオ・シルバ(鹿島)、ラファエル・シルバ(浦和)、フィッツジェラルド舞行龍(マイケル)ジェームズ(川崎)など、日本人も外国人もチームの中心選手が次々に移籍。「チームをもっと良くしたい」という思いだったことは想像できるけれど、結果としてチーム力の低下を招いてしまった。

主力選手が毎シーズンのように出ていくためにサポーターがチームへの思い入れを持てなくなって、観客動員の減少にもつながっている。先日もスタジアムへ向かうタクシーで運転手と話をしたんだけれど「昔はチケットを買って観に行ったけど、最近は選手がわからないから行ってないよ」と言っていた。

新潟は1試合の入場者数で2004年、2005年と浦和レッズを抑えて1位になり、2005年にはJリーグ史上初めて平均4万人を超えたのが、今では1万7千人ほど。

これを立て直すのは簡単なことではないけれど、選手、監督、スタッフなどクラブが一体となって再びサポーターがスタジアムに足を運びたくなるチームを作り上げてほしい。この苦い経験を今後の糧(かて)にして光り輝く新潟になってくれることを期待している。

(構成/津金壱郎 撮影/山本雷太)

■宮澤ミシェル 1963年 7月14日生まれ 千葉県出身 身長177cm フランス人の父を持つハーフ。86年にフジタ工業サッカー部に加入し、1992年に移籍したジェフ市原で4年間プレー。93年に日本国籍を取得し、翌年には日本代表に選出。現役引退後は、サッカー解説を始め、情報番組やラジオ番組などで幅広く活躍。出演番組はWOWOW『リーガ・エスパニョーラ』『リーガダイジェスト!』NHK『Jリーグ中継』『Jリーグタイム』など。