駅伝日本一を決める1月1日の第62回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で、昨年18年ぶりに日本一に返り咲いた旭化成が王者の貫祿を見せて連覇を果たした。
その勝利のキッカケを作ったのが昨年、チームに初めて加入したケニア人ランナーのアブラハム・キャプシス・キプヤティチだった。チームで初めての外国人選手だ。
2区を走ったキプヤティチはロードレースが主戦場で、トラックの1万mのベストは28分3秒8ということもあり、西政幸監督は「区間賞から30秒差くらいで区間10位くらいの走りをしてくれればいいと思っていたが、18秒差で走ってくれた」と予想を上回る走りに笑顔を見せた。
昨年のインターナショナル区間の2区を走ったのは鎧坂(よろいざか)哲哉で、区間1位のビダン・カロキ(DeNA)には1分22秒差。これまでの日本人最高記録は2014年の旭化成の八木勇樹の23分20秒だが、その時でさえ区間1位のエドワード・ワウエル(NTN)とは1分5秒差で、優勝したコニカミノルタのポール・クイラには57秒負けていた。それを考えれば、その区間のハンディキャップを大幅に軽減できたのだ。
1区に起用された茂木(もぎ)圭次郎は、序盤に先頭を引っ張る走りをして、後半は苦しみながらも1位に10秒差の9位でキプヤティチにつないでいた。その勢いがキプヤティチの2.4キロでトップに立つ走りにつながり、3区の市田孝にタスキをつないだ。
市田孝は昨年、エース区間の4区で区間賞を獲得した選手。「今年も区間賞を獲りたかったが、優勝するためには任されたところで獲らなければいけないと思った」と、冷静な走りで序盤から後続との差を広げ、2位に上がってきた富士通には32秒差。優勝争いのライバルとなるトヨタ自動車とホンダとはそれぞれ37秒、1分32秒差をつけた。
だが、続くエース区間の4区では危機もあった。落ち着いて入ってラストで上げようという走りをした大六野秀畝(だいろくの・しゅうほ)だったが、ラスト4キロから両太股の付け根が攣(つ)りそうになってペースアップができなくなり、4区の区間賞を獲得したホンダの設楽(したら)悠太に追い上げられた。
それでも「とにかくトップでタスキを渡したかった」と、なんとか粘って同タイムの1位で5区の村山謙太につないだ。その5区は強い向かい風が吹く条件。村山は「一緒にいったら後ろにつかれるが、離せば互いに向かい風を受けて力通りの走りになると考えた」と、最初の400mを60秒ほどで入って差を広げる走り出し。
終盤には少し疲れて差を詰められたが、ラストスパートで14秒差としてトップを守った。そこで勝利がほぼ決まると、6区の市田宏は落ち着いた走りで区間賞を獲得し、2位ホンダとの差を1分03秒まで広げる。さらに、7区の鎧坂が「追いつかれてもラストスパートでは勝てるように、余裕を持って平均ペースでいった」と、区間賞こそ2秒差で逃したものの、安定した走りでホンダとの差を2分12秒に広げて連覇を果たした。
村山は11月23日の九州実業団駅伝では旭化成Bチームで5区を走り、区間1位の大六野には48秒遅れの区間8位。だが「この状態で(大六野と)48秒差ならこれから練習をすればいける」と考え、12月には40キロ走を2回入れた。
「村山が東京五輪を目指すなら今、マラソンをやらなければ間に合わないと考えて、3月のびわ湖マラソン挑戦を決めました。それから体の芯が入った走りになった」と言う旭化成の宗猛総監督はこう続ける。
「今回のチームはそれほど突出した選手はいなかったが、総合力で勝った感じです。12月に入ってからは、延岡で4回のポイント練習を全員でやって共有した。2年前はそれぞれが違う練習をしていて『チームとして何を目指しているんだろう』というような状態。でも、それが昨年は少しよくなり、今回はしっかり一緒に同じ練習をできた。チームとしてのまとまりもこれまでとは格段に違ったので、今回優勝できなければ、これからしばらくはできないだろうと思うほどだった」
旭化成は控えの佐々木悟や村山紘太(謙太の双子の兄)、深津卓也も走ったメンバーと遜色ない実力で、体調不良者が出ても同じくらいの走りはできると、宗猛総監督は自信を持っていた。また、そこまで仕上げられたのは、外国人選手加入の効果も大きいという。
「アブラハムは明るい性格なのでチームの雰囲気もよくなったし、積極的に日本人と一緒に練習もしてくれて、チームのレベルを上げる役割も果たしてくれた。それに、これまで7人出場できていたのが6人になったことで、メンバー争いも激しくなった」と西監督は言う。
市田孝は「外国人選手と同じチームになるのは初めてでしたが、僕はプラスにしか働かないと思っています。彼らに勝たなければ世界で勝てないということを日頃から感じられるので、個人としてもチームとしても意識が上がったと思う」とそのプラスの影響を実感している。
また鎧坂も「彼らとは体も違うから同じことをしていてもダメだと思いますが、外国人選手が身近にいることで、自分に合った練習方法を見つけていかなければいけないという想像力をかき立てられる」とその効果を話す。
前回の優勝は、苦しい中で転がり込んできた勝利だったといえる。だが今回はホンダの1区での出遅れなどの追い風もあったとはいえ、全員が優勝を狙って勝つべくして勝った結果。補欠に回った村山紘太や佐々木、深津も来年のメンバー入りのために、これからのマラソンやトラック競技で結果を出したいと意欲を口にしていた。それは今回走った村山謙太や市田孝、市田宏の双子の兄弟、大六野なども同じ思いだ。
史上最多となる優勝回数を23に伸ばした旭化成は、外国人選手加入を力にして、再び王者への道を歩み始めた。
(取材・文/折山淑美 写真/YUTAKA/アフロスポーツ)