スライダーの握りは人さし指と中指の2本を縫い目に沿うように置くツーシーム。「人さし指をパチンと切るようなイメージでボールをリリースする」と語る伊藤智仁氏

あの名将・野村克也氏が「プロ野球史上最高」と評したスライダーのキレ味は、いまだにプロ野球ファンの間でも語り草だ。度重なる故障で"悲運のエース"とも呼ばれた伊藤智仁(BCリーグ富山GRNサンダーバーズ監督)が"伝家の宝刀"高速スライダーを語り尽くした。

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1993年、野村克也監督が率いたヤクルトにドラフト1位で入団した伊藤智仁は、150キロを超す快速球と、「まるでテレビゲームのように大きく曲がる」高速スライダーを武器に鮮烈なデビューを果たした。

女房役の古田敦也氏をして「松坂(大輔)クンのスライダーも本当によく曲がったけど、トモと比べるといわゆる並のスライダーに見えた。トモのスライダーはナンバーワンです」と言わしめた魔球は、どのように生み出されたのか?

―まずは、伊藤さんがスライダーを投げ始めたきっかけを教えてください。

伊藤 本格的にスライダーを学んだのは社会人野球(三菱自動車京都)3年目の91年でした。たまたまブルペンで隣になった永田晋一さんという先輩に何げなく「どうやってスライダーを投げているんですか?」と聞いて、握りと投げるときのイメージを教わったんです。

その上でそれまでの「自己流」から「永田流」で投げてみたらものすごくしっくりきて、最初のボールを投げたときから「あっ、使えるな」と感じました。周りにいたチームメイトたちも、そのキレと曲がり幅の大きさに驚いていました。

―当時の社会人野球界でもすぐに「あのスライダーはすごい!」と評判になったそうですね。

伊藤 スライダーを覚えてからは三振の数がすごく増えたし、自信になりました。それまでは行き当たりばったりの投球だったのが、決め球ができたことで逆算して配球を考えられるようになった。ピッチングの面白さをわかり始めたのがこの時期です。

―なぜそんなに鋭いスライダーを投げられるようになったと思われますか?

伊藤 僕はもともと肩関節がとても柔らかくて、可動域がほかの選手よりも広かったというのはあると思います。あとは腕の振りやフォームもスライダーを投げるのに適していたのでしょう。逆にシュート系のボールは得意ではありません。このあたりは本当に人それぞれなんだと思います。

―スライダーを投げる際、意識として大事にされていることはなんですか?

伊藤 ボールの「回転軸」のイメージを持つことです。どんな変化をさせたいか、どんな回転をさせたいかを明確にイメージして投げることが大事だと思ってます。

打者を翻弄するのに一番大事なことは?

―もう少し具体的に教えてください。

伊藤 ストレートはボールの軸が横で縦回転しながら打者に向かっていきますが、スライダーは縦軸で横に回転させる球種です。回転させればさせるほど、ボールは曲がる。回転数を上げるほど、打者の手元で大きく曲がるイメージです。このあたりは物理ですね(笑)。

―伊藤さんは「曲がり幅の調整」や「曲がり始めるタイミング」までも難なく操れてたとか。

伊藤 はい。大きく曲げようとしたら、手首を寝かせて、あまり曲げたくないときにはストレートのように手首を立てる。これだけで曲がり幅は簡単に投げ分けることができました。ただ、大きく曲がりすぎると打者に見切られてしまうので、なるべく打者の手元で曲げることが大事になってきます。

―伊藤さんはさらに、縦に落ちるスライダーも投げられていましたね。

伊藤 リリースの瞬間にちょっとだけ腰を引くイメージで体重を後ろに残すんです。そうすると、少しだけボールが失速して、縦に変化するんです。おそらくこれはいい投げ方ではないと思いますし、あくまでも自分の中だけの感覚なので、映像で見ても誰もわからないと思います。

―あらためて、打者を翻弄(ほんろう)するのに一番大事なことはなんでしょう。

伊藤 腕の振りですね。腕の振りを弱くすれば、変化球は簡単に曲げることができます。でも、それでは打者にすぐに見破られてしまう。だから常にストレートと同じ腕の振り、同じリリースポイントで投げることを意識していました。それができなければ、どんなにいい変化球を持っていても、プロの世界では通用しないと思います。

(取材・文/長谷川晶一 撮影/下城英悟)

●伊藤智仁(いとう・ともひと) 1970年生まれ、京都都府出身。花園高校、三菱自動車京都を経て、ドラフト1位で93年ヤクルトに入団。同年は前半戦だけで7勝を挙げ新人王に。右肘痛から復活した97年にはカムバック賞を獲得。2003年現役を引退。通算127試合に登板し、37勝27敗25セーブ、防御率2.31。04年から17年までヤクルトで投手コーチを務めた