今年1月、7年半ぶりに鹿島アントラーズへ復帰した内田篤人

“ウッチー”がJリーグに帰ってきた。

ロシアW杯まで、残り4ヵ月。日本代表復帰が待ち望まれる、経験豊富な右サイドバックは、なぜ古巣・鹿島を選んだのか。

1月15日~28日に行なわれた宮崎キャンプに密着し、勝負のシーズンに挑む内田を追った。

■痛めた右足は「全然問題ない」

1月10日、茨城県内のホテルで行なわれた鹿島アントラーズの2018年シーズン新体制発表会に、100人を優に超える報道陣が殺到した。キー局すべてがそろい、一斉にカメラを向けたのはこの男。今シーズン、7年半ぶりに古巣・鹿島に戻ってきた内田篤人だ。

「ベルリンから来ました内田篤人です。このチームのために一生懸命働く覚悟で来ました。よろしくお願いします」

ほかの新加入選手が緊張した面持ちを見せるなか、ひとり自然体で受け答え。お茶の間でも“ウッチー”の愛称で知られる日本を代表するサッカー選手のプレーが、今シーズンからJリーグで見られるのだ。

内田のJリーグ復帰には“限界説”も囁かれていた。今、サッカーの世界では、欧州CL(チャンピオンズリーグ)を頂点とした構造が出来上がっている。2010年夏、鹿島からドイツ・ブンデスリーガ1部のシャルケに移籍した内田は11年4月、欧州CLで日本人として初めてベスト4まで勝ち進んだ。だが、14年2月に右膝を痛めてしまい、同年6月のW杯ブラジル大会では孤軍奮闘するも、翌年6月に右膝膝蓋靱帯(しつがいじんたい)の手術に踏み切った。

そこから現在まで十分な回復に至っていない。ここ2シーズン、ブンデスリーガでの出場はなし。昨年8月、出場機会を求めてブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍したものの、起用されたのはわずか2試合。小さなケガもあり、ピッチまでの距離は遠かった。

つまり、この2年余り、内田はほとんど実戦を経験できていないのだ。復帰に懐疑的な視線を向けられるのも当然だろう。

しかし、宮崎キャンプで内田は終始キビキビと動き回っていた。ほかの選手よりも明らかに速い、欧州仕込みのパススピード。広い視野を感じさせる攻撃のアイデア。球際でも恐れることなく激しく体をぶつけてボールを奪い、痛めた右足で躊躇(ちゅうちょ)なく強いボールを蹴っている。「全然問題ないんで」という本人の言葉どおり、順調な調整を見せている。

鹿島は1月15日から28日まで宮崎でキャンプを行ない、新シーズンへの準備を重ねた。内田もほぼすべてのメニューをこなし、トレーニングマッチでは2試合に先発出場。1試合目は目立った活躍は見られなかったが、2試合目で違いを見せつけた。相手に押される展開のなか、ゴール前に飛び込んだ選手にピタリと合わせるクロスを送り、同点弾を呼び込んだのだ。彼のプレーをひと目見ようとスタジアムに詰めかけた多くのファンも、この好アシストに大いに沸いた。

「Jリーグに帰ってきたからには、いろんな人に結果、数字を見せたい。僕自身、体が動くようになりましたし、足にボールがつくようになりました」

本人も早い段階で結果を残せたことに手応えを感じていた。

あの人がいるから帰ってきた

■空けていた背番号「2」。復帰を決心させたある人物

ここまでやれるなら、何も日本に戻る必要はなかったのではーー。そう思われる読者がいて当然だ。だが、内田はもともと海外でプレーすることにこだわりを持っていなかった。

「周りに勧められたから海外に行っただけなんで。鹿島を出るときから体が動くうちには戻ってきたいと思っていたのでうれしいです」

そう言って、古巣への復帰に満足げな表情を浮かべる。彼にとって、戻ってくる場所は鹿島でなければならなかった。

「もともとシャルケへ行ったときからこのチームに戻してもらいたかったですし、強化責任者のマンさんの存在が大きかったかなと思います。あの人がいるから帰ってきたという感じがします」

“マンさん”とは、鹿島の強化責任者である鈴木満(みつる)常務取締役のことである。常に選手の成長を第一に考えるマンさんを慕う選手は多い。内田が海外移籍する際も適切な時期を見極めて道をつくり、鹿島を離れた後も常に声をかけてきた。マンさんの存在がなければ、内田の鹿島復帰は実現していなかっただろう。

マンさんが内田に渡したユニフォームは移籍前と同じ背番号「2」。いつか来るこのときのために、7年半もの間、誰にもこの背番号をつけさせず、内田が鹿島に戻ってくるのを待っていたのである。

昨季、鹿島は最終節で引き分けて目前まで迫ったリーグ優勝を逃した。タイトル奪還を目指すマンさんが、自分の元へ帰ってきた“息子”にかける期待は大きい。

「鹿島のことを知っていて、なおかつ高いレベルのよそのクラブも経験している。そういう人がここの良さを語ることは、ほかの選手にとってはとても貴重な言葉になる」

闘将・小笠原満男(左)とともに練習を盛り上げる内田。内田の加入で練習の雰囲気が明るくなった。

練習では早速、効果が表れている。内田がプレーの“基準”を示すことで、ほかの選手たちが感化されているのだ。

激しくボールを奪いにいけば、若い選手も「あれくらいやっていいんだ」と遠慮や躊躇が消える。パスもあえて強く蹴る。するとパスを受けた選手が次にパスを出すとき、そのスピードは自然と上がる。そうやって次々と波及していくのだ。

しかし、若い選手に伝えたいことがあるかどうかと問われると、その答えは控えめだ。

「あんまり口で言えるタイプではないので。ポジションもサイドバックですし、練習中の姿勢を見てもらえれば」

内田本人はそう言うが、実際には練習からよく声を出している。宮崎キャンプでは、小さなミスを見逃さず、チームの質を高めるような声かけがピッチから何度も聞こえてきた。

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内田篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日生まれ、静岡県函南町出身。清水東高校から2006年に鹿島アントラーズに入団。1年目からレギュラーに定着し、リーグ3連覇を達成するなど、数々のタイトルを獲得。10年にドイツ・ブンデスリーガ1部のシャルケへ移籍し、CLベスト4、ドイツカップ優勝を達成。その後、右膝の大ケガを乗り越え、昨年8月にドイツ・ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍。今年1月、7年半ぶりに鹿島アントラーズへ復帰した。

(取材・文・撮影/田中 滋 写真/アフロ)