“ウッチー”がJリーグに帰ってきた。
ロシアW杯まで、残り4ヵ月。日本代表復帰が待ち望まれる、経験豊富な右サイドバックは、なぜ古巣・鹿島を選んだのか。
1月15日~28日に行なわれた宮崎キャンプに密着し、勝負のシーズンに挑む内田を追った。(前編「鹿島を出るときから体が動くうちには戻ってきたいと…」参照)
■ライバルであり、かわいい後輩でもある伊東の存在
同じ右サイドバックである伊東幸敏との関係は、内田の覚悟を知る上でも重要だ。
キャンプ中のある日、前日の試合に出場した内田は軽めの個別調整を終えると、チーム練習を行なう伊東の元へ歩み寄る。練習は伊東がサイドからクロスを上げ、3人の選手が飛び込んでゴールを狙うというものだった。
練習が始まると、伊東は低い弾道のボールをゴール前に蹴り込み始めた。しかし、内田はそれを見逃さなかった。
「ユキ! ゴロやめて」
ハッとした伊東が浮き球のボールを蹴るように変えたが、走り込む選手に合わせるのは難しい。最初のボールは高すぎて頭を越えていき、次のボールは低すぎた。
「ゴロやめて、って言ってから全然じゃん」
厳しい言葉が飛んだ。
声をかけられた伊東は内田の気持ちをくみ取っていた。
「ゴロで蹴るのは簡単なんで、練習だからもっと難しいことをしろ、というメッセージだと思ってます。居残りで練習してるときもそばに来て見てくれますし、ありがたいです」
内田にとって伊東はポジションを争うライバルだ。しかし、それと同時にかわいい後輩でもある。自分が移籍してきたことで、もしかしたら伊東の出場機会が減るかもしれない。だからこそ、頻繁(ひんぱん)に声をかけ成長を促す。自分の経験を少しでも伝える。その労力を惜しまない。
リーグタイトルを取り戻すためになぜ自分が呼ばれ、それによってどんな影響がチームに及ぼされ、周囲はどのような目で見てくるのか。伊東への接し方は、それらすべてがわかった上での復帰であることを物語っている。
代表のことはあまり考えていないですね
■もう一度。夢の舞台、W杯へ
鹿島の宮崎キャンプには日本代表の手倉森誠コーチをはじめ、何人もの代表スタッフが視察に訪れた。元気に走る内田のプレーぶりに、皆一様に安堵(あんど)した表情を見せていた。
ただ、内田本人は日本代表への気持ちを、今は心の内に大事にしまっている。
「このチームでしっかり試合に出たいと思いますし、タイトルを獲りに帰ってきたつもりなので、代表のことはあまり考えていないですね」
内田はサッカー選手という職業に対して、かなり現実的なとらえ方をしている。鹿島復帰は義理人情だけでなく、選手としての商品価値を最大限に生かせる場所を冷静に見極めた上での決断だった。
岡田ジャパン、ザックジャパンで活躍し、日本代表での実績は十分だが、ハリルジャパンでの出場はゼロ。ここから逆転でW杯メンバー入りを果たすには、大きなインパクトを残す必要があるだろう。
まずは鹿島で結果を残すこと。このクラブで活躍すれば、内田は評価を取り戻せるはずだ。それを続けていくことができれば、おのずと代表復帰は近づいてくる。
「タイトルを絶対に獲れるとは言えないですし、勝ちも約束できないですけど、優勝できるように全力を尽くしたいと思います」
鹿島復帰に際しての意気込みは強い。もし、以前のパフォーマンスが戻るなら、ハリルホジッチ監督にも最高の後押しとなるだろう。
それだけの選手が今季からJリーグでプレーする。
「ドイツはシャルケもベルリンも、スタジアムの雰囲気はすごく良かった。そういうなかでサッカーができるのはサッカー選手としてすごく幸せなので、サポーターの皆さんにはカシマスタジアムに足を運んで一緒に戦ってほしいなと思います」
タレント不足が叫ばれて久しいJリーグに、世界を知る本物のスター選手が戻ってくる。ぜひ、その姿を目に焼きつけてほしい。
●内田篤人(うちだ・あつと) 1988年3月27日生まれ、静岡県函南町出身。清水東高校から2006年に鹿島アントラーズに入団。1年目からレギュラーに定着し、リーグ3連覇を達成するなど、数々のタイトルを獲得。10年にドイツ・ブンデスリーガ1部のシャルケへ移籍し、CLベスト4、ドイツカップ優勝を達成。その後、右膝の大ケガを乗り越え、昨年8月にドイツ・ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンへ移籍。今年1月、7年半ぶりに鹿島アントラーズへ復帰した。
(取材・文・撮影/田中 滋)