それまでの日本記録を5秒更新する2時間6分11秒でフィニッシュした設楽悠太。報奨金1億円もゲットして大きな話題を呼んだ

2月25日に行なわれた東京マラソン、その主役となったのが16年ぶりに日本記録を更新した26歳の設楽悠太(したら・ゆうた、Honda)だ。

「日本記録は狙っていなかったんですけど、最後まで『1億円を獲(と)ってこい』という声が聞こえて頑張ることができました。今の心境ですか? ちょっと休みたいですね」

レース後のインタビューで見せた飄々(ひょうひょう)としたキャラクターは箱根駅伝で活躍した東洋大時代と変わらない。しかし、社会人になってからの設楽の走りは、大きな“進化”を遂げてきた。

設楽悠太を語る上で、双子の兄・啓太(日立物流)の存在は欠かせない。設楽兄弟は中学から本格的に競技を開始し、埼玉の武蔵越生(むさしおごせ)高校に進学。ふたりの活躍で同校は全国高校駅伝に初出場を果たすも、全国トップクラスの選手に成長したのは兄の啓太で、弟の悠太はそこまでの活躍ができなかった。

しかし、東洋大での4年間で、その関係が変わり始める。悠太は大学3年時の12年6月に東洋大の1万m記録(当時)を更新し、高校時代から一度も勝てなかった啓太に初めて先着した。また、4年連続で出場した箱根駅伝では、2年時から3年連続で区間賞を獲得。東洋大の2度の総合優勝に貢献している。

4年時には啓太が主将を、悠太が副将を務めたが、悠太は兄と比べておとなしい印象があった。それは走りにも表れていて、トラックでは序盤から積極的なレース運びを見せる啓太と違い、悠太は集団後方から徐々に順位を上げていくタイプだった。

取材でも言葉数が少なく、兄にフォローされることもしばしばだったが、最後の箱根駅伝後にはこう話している。

「ケガをしてつらい時期があっても、兄貴の走りを見て勇気をもらい、ここまで強くなれました。双子で生まれてよかったです。大学卒業後は別々のチームに行くので、駅伝で同じ区間になったら負けられない。20年には東京五輪も開催されますし、一緒に日の丸をつけられるように力をつけていきたいです」

そして大学を卒業後、兄から“自立”した悠太のポテンシャルが爆発する。

社会人1年目のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)で、ふたりはいきなり最長4区を任された。2位で襷(たすき)を受けた啓太(当時、コニカミノルタ)もトップを奪う快走を見せたが、Hondaを10位から4位に押し上げた悠太は、兄に36秒差をつける区間新記録を樹立したのだ。

その後、社会人2年目は世界選手権北京大会、翌3年目はリオデジャネイロ五輪の1万mに出場。社会人4年目の今季は、9月にチェコでのハーフマラソンで日本記録を更新し、その1週間後のベルリンマラソンを2時間9分03秒の自己ベストで走破した。

兄・啓太の陰に隠れていた悠太は「日本男子マラソン界の希望の星」といわれる選手にまで成長を遂げたのだ。

★設楽の持ち味を引き出す“厚底シューズ”と“常識破りの練習法”とは?『週刊プレイボーイ』12号(3月5日発売)「設楽悠太、急速進化のワケ」でそちらもお読みください!

(取材・文/酒井政人 写真/共同通信社)