今年の初場所で握手を交わした納谷と豊昇龍。一部では「すでに幕下くらいの実力はある」ともいわれているが、順調に出世できるか。 ※写真はイメージです。 今年の初場所で握手を交わした納谷と豊昇龍。一部では「すでに幕下くらいの実力はある」ともいわれているが、順調に出世できるか。 ※写真はイメージです。

3月11日に初日を迎えた大相撲春場所で、偉大な遺伝子を受け継ぐふたりの力士が序ノ口デビューを果たした。

大相撲ファンが注目するそのふたりとは、昭和の大横綱・大鵬の孫で、元関脇・貴闘力の三男である納谷(なや、18歳・大嶽部屋)と、モンゴル出身で元横綱・朝青龍の甥(おい)である豊昇龍(ほうしょうりゅう、18歳・立浪部屋)だ。初めて番付に名前が載ったことに、納谷は「頑張って関取になりたい」と意気込み、豊昇龍も「叔父さんのところまでいきたい」と目を輝かせた。

時空を超えた「大鵬vs朝青龍」を思わせる対決は、先場所の「前相撲」で早くも実現した。朝の取組だったにもかかわらず多くの報道陣が集結した一番は、体重で約50kg上回る納谷に軍配。立ち合いからのもろ差しで豊昇龍を土俵際に追い詰め、すくい投げで勝利を収めた納谷は、「気合いが入った。注目されるのはありがたいことです」と、ライバルとの対決をふり返っている。

ここまで、ふたりがたどってきた相撲人生は対照的だ。

相撲部屋で育った納谷は、物心ついたときから土俵で稽古(けいこ)を重ねた。自然に「大きくなったらお相撲さんになる」ことが目標になり、中学校は名門・埼玉栄を選んだ。

しかし、入学時に身長は170cm、体重は130kgを超えていたものの、体脂肪率は60%に達していたという。とても土俵で戦う状態ではなかったが、そこから親元を離れて寮で生活しながら鍛錬を重ねた。大関・豪栄道をはじめ、数々の関取を育てた山田道紀監督は「これほど努力する子は見たことがない」と舌を巻く。どんなときでも手を抜かなかった姿勢が、高校3年で迎えた昨年の国体で、優勝という形で実を結んだ。

一方、朝青龍の兄の息子である豊昇龍は、生まれ育ったモンゴル・ウランバートルでレスリングに熱中する。中学卒業後には、千葉の日本体育大学柏高校にレスリングで留学。だが、来日して間もなく両国国技館で観戦した大相撲に感動し、相撲部への転部を決意する。そこからわずか2年で、高校3年の昨年のインターハイで準優勝するまでの力をつけた。

ふたりは高校2年時に一度対戦し、このときも納谷が勝っているが、これからどんな出世争いを演じていくのか興味は深まるばかりだ。

大相撲には、激しいライバル対決が土俵を盛り上げてきた歴史がある。ほかならぬ納谷の祖父である大鵬も、日本が高度経済成長へ向かうなかで、元横綱・柏戸との「柏鵬時代」を築いた。

大鵬は生前、「柏戸関がいたから私がいた。柏戸関には感謝の思いしかありません」と繰り返し語っていた。1961年の秋場所で同時に横綱に昇進した柏戸に勝つために、猛稽古を重ねた大鵬は幕内優勝32回という金字塔を打ち立てる。そんな両雄の切磋琢磨(せっさたくま)にファンは感動し、あらゆる心情を重ねてきたのだ。

納谷と豊昇龍も、互いを意識しながら「誰にも負けたくありません」と口をそろえる。土俵外では、日馬富士(はるまふじ)の暴行事件から暗い風が吹き続けている大相撲。そんな今こそ、日本とモンゴルの力士が織りなす“ライバル物語”が、爽やかな風を土俵に巻き起こしてくれることを願う。

(取材・文/松岡健治)