「日本で育って野球をやってきた以上、日本のプロ野球を盛り上げたいという思いが常にあります」と語る村田修一

「ムラタさんムラタさんって、あんた村田のなんなのよ?」

何年か前、おネエちゃんと外でご飯を食べながら、頻繁にスマホのプロ野球速報をチェックして激怒されたことがある。気がつけば、それだけ村田修一というプレーヤーに夢中になっていた。

その豪快な見た目とは裏腹に、どんな起用法にも文句を言わずに自分の仕事をまっとうするサラリーマンの代弁者のようなプロ野球選手。売りは豪快なホームラン、華麗な三塁守備、そして寸分の狂いなくショートの真正面をつく芸術的ゲッツー。あんなきれいなゲッツーはほかに見たことがない。

しかし、多くのファンに愛された巨人の背番号25は昨年10月にまさかの自由契約……。長打力(昨季14本塁打)は健在なだけに、すぐにでも新天地が決まると思われたが、NPB球団からは声がかからず、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスからNPB復帰を目指すことになった。

現在、37歳のムラタさんは何を思い野球を続けているのか? 新天地の栃木で話を聞いた。

■「今はスーパーで食材を買うのが楽しみです」

―練習で村田さんが元気そうに野球をしていて何よりうれしかったです。今は単身赴任で栃木にいるのですか?

村田 単身で来てます。洗濯もやりますし、食事は自分で米を炊いて、あとは惣菜を買ってきたり、適当に何か炒めて食べてみたり。スーパーにふらっと行ってカートを押しながら、今日は何を食べようかな、「お、刺し身あるな。20%オフか」みたいなのは楽しいですね(笑)。

―人生初のひとり暮らしだとか。

村田 はい。大学時代は寮で、プロの寮も2年ぐらいで出てすぐに嫁と同棲(どうせい)したので、ひとり暮らしは初めてです。今は子供たちがいないから静かですね。テレビとかもあまり見るほうじゃないですし。

―栃木では若い選手が多いですが、10代、20代前半の選手とやりとりするときに心がけていることはありますか?

村田 本当にひと回り以上、世代も違いますし、置かれている立場も違うので、自分から積極的に話すようにはしています。みんな野球に対して真剣ですし、上に行きたいという強い気持ちを持ってやっているので、自分も新鮮に野球に取り組めてます。みんなけっこう質問してくれますし、今まで経験したことを伝えてあげられればいいかなと。

―入団会見では、ファンの方に対して「村田くんと呼んでください」という挨拶が印象的でした。

村田 お年寄りや子供のファンも多いですし、せっかく間近で見ていただけるんだったら友達感覚で呼んでもらえたほうが接しやすいかなと(笑)。球場から出ればすぐにサインもできますし、そういう方々と接していくのも僕の仕事だと思ってます。

自分の中でやるべきことはやった

―野球ができる喜びというか、去就が決まらずひとりで自主トレしているときと心境的には全然違いますか?

村田 同じ方向を向いて一緒に野球をやるという上では、チームメートがいるのは気持ちも楽ですね。1月は同級生の實松(さねまつ)(一成[かずなり]、現日本ハム選手兼任コーチ)とか、一緒にやる連中がいたんですが、2月からはひとりの時間も多かったのでつらかったかな。まだ行き先も決まっていなくて、ただ待っているという状況はきつかったですね。

―一部報道では、アメリカ球界からの誘いもあったとか。

村田 招待選手でキャンプに参加してメジャーを目指してみるか、みたいな話も多少はありましたけど、僕はもう選手としては出来上がっちゃってますし、今からメジャーに挑戦というのもどうかなと。アメリカに行きたい、メジャーでやりたいという夢はもともとなかったし、日本で育って野球をやってきた以上、日本のプロ野球を盛り上げたいという思いが常にあります。

―WBCや日本一も経験し、本塁打王も獲得した。選手としてはすべてをやり遂げたようにも見えるキャリアですが、まだやり残したことがあると。

村田 まだ元気ですし、野球も好きですし。自分が辞めると言えばすぐにでも辞められたんでしょうけど、体が元気なうちは続けたいし、今はまだ辞めるときではないと。

―まだ燃え尽きていない?

村田 これが去年もケガして膝とか腰が痛いという状況になれば、たぶん自由契約になった時点で辞める選択肢もあったと思います。だけどケガもしていませんし、最後の最後まで試合に出て打ってましたから。ポジションを奪われた形にはなりましたけど、僕は結果を出さないでベンチにいたわけではないですし、自分の中でやるべきことはやったと思っているので。

だから出番が来れば絶対に結果を出してやる、と最後まで思ってました。そういう意味では、まだできるし、やりたいという思いもありました。

★巨人ファンを魅了した芸術的ゲッツー論とは? そして、男・村田の逆襲とは? 記事の全文は『週刊プレイボーイ』16号(4月2日発売)にてお読みいただけます!

(取材・文/プロ野球死亡遊戯 撮影/村上庄吾)

●村田修一(むらた・しゅういち)1980年生まれ、福岡県出身。東福岡高から日大を経て、2002年ドラフト自由枠で横浜に入団。1年目から25本塁打を放ち、07年、08年は本塁打王に。11年オフに巨人に移籍。17年まで毎年100試合以上に出場するも昨年12月に自由契約に。今年3月に独立リーグBCLの栃木に入団。NPB15年間で1865安打、360本塁打