根底にある血の穢れという発想の根深い差別を軽視することはできません。

「人命よりしきたりを重視するのか」と日本相撲協会に批判が殺到した春巡業「大相撲舞鶴場所」。

宝塚場所では宝塚市の中川智子市長が「伝統は大事だが変革する勇気も大事では」と発言し、拍手を浴びるひと幕も――。

タレントでエッセイストの小島慶子が、世間の気になる話題に思うあんなこと、こんなこと。

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目の前で救命措置が行なわれているのに「女性は土俵から下りてください」とアナウンスした若い行司の行動には呆(あき)れました。この行司に限らず、組織の理屈に縛られて思考停止してしまう人は珍しくないですよね。自分の頭で考えることができない人間を量産する教育や、それを強化する職場のあり方がこんなところにも現れたか、という気がしました。

この行司が人命よりも重視した「土俵の上は女人禁制」というしきたりについても、歴史をひもとけばたかだか明治以降に作られたもので、性差別的だと批判が集まっています。

兵庫県宝塚市の中川智子市長は「男性の市長は土俵に上がって挨拶しているのに女性市長はそれができない。悔しい、つらい」と土俵下から述べ、会場から拍手を浴びました。日本は女性の政治参加がまだまだ進んでいませんが、もしも市長の半分が女性だったら、中川さんの上げた声はもっと広がるだろうと思います。

過去にも森山眞弓官房長官(当時)や太田房江大阪府知事(当時、現参院議員)が土俵に上がることを試み、叶(かな)いませんでした。わんぱく相撲では今でも、地方大会で女児が優勝しても全国大会が行なわれる国技館の土俵には上がれません。

すでに報じられているように、女人禁制の根拠は血の穢(けが)れ説や、相撲を奉納する神が女神なので女に嫉妬する説など諸説あるようです。

洋の東西を問わず、月経があることを理由に女性を穢れた存在と見なす風習はありますが、それは女性蔑視を強化し、時には虐待にも近い風習として女性たちを苦しめています。現在でも、生理中の女児は学校に通えなかったり、非衛生的な隔離小屋で過ごすことを強いられたりする地域もあり、深刻な人権問題となっています。

たかが土俵に上がれないことぐらいで人権侵害とは大げさな、と思うかもしれませんが、その根底にある血の穢れという発想の根深い差別を軽視することはできません。

一方で、女神の嫉妬説。相撲は五穀豊穣(ほうじょう)の女神に奉納する神事で、屈強な男たちで女神を喜ばせようとするものだから、女性が土俵に上がったら女神が嫉妬する、という理屈なのだとか。女神を嫉妬深いキャラに仕立てている時点で女への偏見丸出しです。なぜ女はいつも男をめぐってほかの女と醜い争いをする生き物だ、と決めつけるの?

そんなに女の嫉妬や怒りが怖いなら、男は浮気で好色な自らの邪心を戒めるべきなのであって、女を神域から排除することで神をなだめようとするやり方は実に姑息(こそく)で失敬です。女神に謝れ!

繰り返される土俵問題。決着するには、女性総理が誕生するのを待たなきゃいけないんでしょうか。いつになることやら。

小島慶子(こじま・けいこ) タレント、エッセイスト。テレビ・ラジオ出演や執筆、講演とマルチに活動中。現在、日豪往復生活を送る。近著に『絶対☆女子』『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(共に講談社)など。