プロ野球からクリケット選手へと転身した木村昇吾選手 プロ野球からクリケット選手へと転身した木村昇吾選手

プロ野球選手からクリケット選手への転身――そんな記事が新聞やSNSで報じられたのは3月のことだ。もちろん、日本では初めてのことである。

この前代未聞のチャレンジに身を投じたのが、昨年まで西武ライオンズの内野手として活躍していた木村昇吾(しょうご)だというから二重の驚きがあった。 一体、どんな経緯で? そして成功の可能性、思い描く未来図は…。パイオニアとなるべく、日本代表を目指しトレーニングに励む木村を訪ねた。

* * *

プロ野球選手としての木村昇吾は、まさに「バイプレーヤー」という表現がピッタリと当てはまるような選手だった。

1980年生まれの、いわゆる「松坂世代」。松坂大輔を擁する横浜高校の春夏連覇で盛り上がった98年夏の甲子園に尽誠学園(香川)のショートとして出場を果たしている。

愛知学院大学を卒業後、02年秋のドラフトで横浜(現DeNA)から指名を受けプロ入り。なかなか一軍定着を果たせずにいたが、5年目のシーズンを終えた07年オフに交換トレードで広島に移籍すると、内野のどこでも守れる守備力と俊足を武器に守備固めや代走のスペシャリストとして台頭。08年に残した代走で36試合、守備固めで46試合の出場という数字は、ともにそのシーズンのセ・リーグ最多だった。

次第にレギュラー選手が故障した際の代役として先発出場する機会も増え、11年には故障で長期欠場となった梵英心に代わってショートに定着。自己最多の106試合に出場するなどベンチに欠かせない選手となっていった。

2015年オフにはFA宣言を経て広島を退団、西武に新天地を求めた。しかし1年目に右膝靱帯断裂で長期欠場に追い込まれ、2年目のシーズンを終えた昨秋、球団から戦力外通告を受ける。現役続行を希望する木村は12球団合同トライアウトを受験し、各球団からのオファーを待ったが、そこに届いたのは思いもよらぬ話だった。

「クリケット、やってみない?」

広く選手の人材を探していた日本クリケット協会からプロ野球選手会に「誰かいい選手はいませんか?」という打診があり、去就の決まっていなかった木村に白羽の矢が立ったのだ。身体能力に優れ、守備の技術の高い木村なら競技適性もあると思われたようだ。

「やります」――すぐに返事をした。話を持ちかけた人物に「もうちょっとちゃんと考えて」と諭されるほどの即答だった。

しかし、それは野球選手としての引退を意味する。まして、クリケットへの知識は「名前は知っているという程度」という。人生を左右するといっても大袈裟ではない選択…なぜ、そこまでの速さで決断ができたのか? 実はこの時、木村はあるジレンマを抱えていたという。

「秋に西武をクビになってトライアウトを受けたんですけど、僕の中では『来シーズンはいける』という感覚しか残らなかったんです。これはもうプロ野球である程度の年数やった選手ならわかると思うんですけど、『いける、成績を残せる』という手応えです。

でも、それは僕の感覚であって、評価は周りがするもの。じゃあ周りの評価というと(獲得の)オファーが来ない。あぁ、そういうことなのか、現実を受け入れるしかないのか、と」

同じ失敗でも、景色は全く違うもの

実際には、ないことはなかった。社会人野球や独立リーグの球団からはオファーもあったのだ。ただ、それらはみな「兼任コーチとして」という条件が付いていた。もっとも、それもあながち失礼な話とはいえない。木村の人間性や野球への知識を評価してこそ、という受け取り方もある。ただ…、

「僕はプレーヤーとして、アスリートとして野球がやりたかったんで。兼任コーチとなると7:3とか8:2とか、割合はともかく100%じゃない。『来年はいける』という感覚しかない人間がそれをすることはどうなんだろう?という疑問があった」

迷う木村の元に届いたクリケットからのオファー。当然、基本的なレクチャーも受けた。

競技人口がサッカーに次ぐ世界第2位のワールドスポーツ。「野球の起源」とも言われるように、バッティングや守備など野球に通じる要素が多く、強豪国のインドやオーストラリアのトップチームではMLBの守備コーチを招集して指導を受けているという。また、そうした国のリーグでは、年棒の面でも野球を上回るようなスター選手がたくさんいるらしい。

「なんか面白そうやな」ーー木村の中に強い好奇心が芽生えた。

「何よりも、アスリートとしてやれるという喜びですよね。今まで野球というすごく大きな柱が自分の中にあったけど、それができなくなって、柱が抜けてしまった。そこにポンとクリケットがはまってきた。だから“アスリート木村昇吾”という存在は変わらず、やる競技が変わっただけという感覚なんです。まして、今までやってきた野球が生かせる競技。だったら、やるべきだと。

FAの時もそうでしたが、今までいろんなことを自分で決断してきました。物事にはやってする後悔と、やらないでする後悔がある。やらなかったら、『やっておけばよかった』しか残らないでしょう。でも、やった後には『じゃあもっとこうして』と、その先に向かって話が進んでいける。だから、もし同じ失敗でも、そこに行った時の景色は全く違うものになるんです。

そう考えたら、たとえしんどい道になっても、僕は必ずこっち(やる)を選びます。人から何を言われようが関係ない。自分が覚悟を持ってやれば、どんな結果になっても、その先にまた新しい選択肢が広がってくる。そういう人生を歩みたいと思っていますから」

クリケット選手としては無給

その日、帰宅して奥さんに話すと「面白そうじゃん。やるんでしょ?」という言葉が返ってきた。「そういう嫁です」と頼もしげに笑う。

これまで木村が真摯に野球に取り組む姿を一番近くで見てきただけに、現役続行の道がなかなか険しいという現実を受け止めながらも「これだけ情熱を持って野球をやってきた人間が、じゃあ次の仕事となった時にそれが例えばコーチ業だったとしても、はたして選手の時と同じような熱量で取り組むことができるのか?」と彼女は心配していた。だから「よかったじゃない」と素直に喜び、夫の挑戦に背中を押してくれたのだ。

とはいえ、夢を追う見返りとして、現在はまだクリケット選手としては無給。マネジメント会社との契約はあるが、それだけでお金が発生するわけではない。当面の活動のための資金は、プロ野球時代に残してきた貯えを切り崩しながら、クラウドファンディングなどで支援してくれるスポンサーを募っている。

「お金は別に、ある程度あれば生きていけると思っているので」と執着する気持ちはないが、先々のことを考えれば不安もある。だが、「それでもチャレンジして、その先に何が待っているかというところで夢があるじゃないですか」と前向きに捉えている。

◆後編⇒「やっぱり僕はプロ野球選手なんです」ーークリケット挑戦で注目の木村昇吾がセカンドキャリアで描く未来図

(取材・文/矢崎良一 写真提供/ココカラネクスト)