小学校時代から注目投手だった西を熱心に支え続けた父・雅和さん。大会パンフレットの広告集めに奔走したことも

「球審の方に、必要以上にガッツポーズをしない、試合のテンポをよくするためにすぐプレートについて、と何度か強い口調で注意されました。ガッツポーズは自然と出てしまうので......」

夏の甲子園、下関国際(山口)との2回戦(8月15日)で179球を投げ切り完投しながらも、最終回に逆転負けを喫した創志学園(岡山)の2年生エース・西 純矢は試合後、小さな声でそう話した。

9日の1回戦では長崎の強豪・創成館を16奪三振で完封し、ド派手なガッツポーズと共に一気に注目株となった西だが、2回戦ではそのガッツポーズが物議を醸し、ペースをつかめないまま敗れてしまった。

広島県廿日市(はつかいち)市出身の西が小学校時代に所属した少年野球チーム、鈴が峰レッズの阿南崇監督はこう証言する。

「天真爛漫な子で、そのときの気持ちがストレートに出てしまう。だから三振を取ったり、ホームランを打ったりすると、腕が自然にガッツポーズの形になってしまうんです(笑)」

そんな西の野球活動を、周囲も驚くほどの熱意で支えてきたのが、昨年10月、岡山で息子の試合を応援した帰路に脳幹出血で45歳の若さで亡くなった父の雅和さんだった。小学校時代はチームの保護者会長、バスの運転から祝勝会の手配、大会パンフレットの広告集めにも奔走したという。

西が中学時代に所属していた、ヤングひろしまの吉村信俊監督もこう振り返る。

「沖縄で4泊5日の合宿をしたことがあったんですが、広島から福岡空港までバスで送迎してくれた上、そのまま奥さんと沖縄まで帯同し、丸5日間、食事や買い物など雑用一切をこなしてくれたんです。本当に頭が下がりました。

亡くなったときは突然で驚きましたが、後になってから、実は透析を受けなければいけないほど体調が優れなかったのだと聞きました」

その父を失った西のショックは大きかった。鈴が峰レッズの石橋幸雄代表が明かす。

「いっつもお父さんと一緒にいたような子でしたから。今年になってからお母さんに会ったときも、『まだまだ野球に気持ちが入らないんです』と心配そうに話していました。よう夏に間に合わせたな、というのが正直な気持ちです」

この夏、西は県大会から父の命日を刺繍(ししゅう)したグラブを使用。そして、小さな頃からのガッツポーズに加えて、しばしば空に向かってほえたり、手を上げるような様子が見られるようになったという。

「あれは天国のお父さんにほえているんじゃないかと思うんです。批判されたガッツポーズも、私には父の雅和さんが彼に乗り移って、一緒に野球をやっているように見えてならないんですよ」

度を越したガッツポーズは失礼だ、というのもわかるが、西のそれは決して相手に向けたものではない。そしてくしくも、下関国際に敗れた8月15日は父の誕生日だった。