週プレNEWSで連載中の漫画『50代の☆ リアル体験入門 ドラゴン先生格闘ロード』。現在、配信している『第4闘:トライフォース柔術アカデミー』編は、"最強の格闘技"と評価する格闘技ファンも多いブラジリアン柔術(以下BJJ)の道場が挑戦の舞台だ。
BJJとは、ひと言でいうと"寝技主体の組み手系格闘技"。プロの試合では、目つぶしと噛みつき以外はなんでもOKという制約が少ないルールの下、ほかの格闘技の選手との間にも多くの名勝負が生まれ、グレイシー一族の選手たちを筆頭に、レジェンドたちを誕生させてきた。
一方、世界大会を頂点とした競技スポーツの面でも発展している。多くの国にネットワークが広がり、より強い国の選手とのスパーリングをするために、他国の道場を訪れる選手たちも世界中で多く見られるという。
ここまでDDTプロレス、システマ、クラヴマガと人気格闘技の道場に殴り込みをかけ、熟練の格闘家たちと手合わせすることによって己の武器を獲得してきた、ドラゴン先生こと漫画家・岡村茂氏。
Part3まで配信中の第4闘は、その「漫画家最強」の看板が、「やったことない」寝技で組み合うBJJの奥深い世界にどこまで通用するかが見物となっている。
8月24日配信の第16話(第4闘part4)からは、日本柔術界最高の指導者でありトライフォースの総代表である早川光由氏とのプライベートレッスンで、「相手を降参させる」ための関節技・絞め技にトライする。
人体構造の理解がベースになった、マジックのように流れる動きを修得する様子は、漫画作品でお楽しみいただきたい。
さて、今回も、ドラゴン先生をみっちりとご指導いただいた格闘家へのアフター・インタビューを実施。BJJの強さと魅力、そして自らの夢を、早川氏ご本人に熱く語っていただいた。
――54歳(当時)漫画家のドラゴン先生が初めて寝技に挑戦させていただきました。丁寧かつ熱心なご指導、ありがとうございました。
早川 こちらこそ、ありがとうございました。教えたことはできてましたよ、ドラゴン先生。
――寝技で、いわゆるウェイトリフティングで身につけたパワーが生きるのかどうか疑問だったのですが......。
早川 基礎体力がどうこうはあまり関係ないんですよ。寝た状態で体を動かすというのは普通やらない行為で、日常ではない動きですからね。それでも、ドラゴン先生ができていたというのは、私たちは未経験の人でもできるように導くメソッドを持って指導していますので、うまく導けたということなのかと。
――なるほど。早川さんご自身にももちろん未経験だった時代があるわけで、BJJの世界に入った時は、どんな環境だったのでしょう?
早川 私は1993年に初開催されたUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)の大会のビデオを借りて見たときに「これだ!」とピンと来たんです。「これこそ私がやりたかった格闘技だ!」と。
――BJJを始める前は、格闘技の中継をテレビやビデオで観るのは好きだったけれど、運動することは苦手というか、体力でいえば懸垂すら1回もできなかったとか。
早川 そうです。懸垂は今でもできませんが(笑)。当時は、漠然とですが、「強さ」に対する憧れは持っていましたね。UWF系のプロレスから極真空手の世界大会など、格闘技系のテレビ中継を観るのが好きだったんです。
でも、たとえばボクシングだと選手が組み合っちゃうとブレークになりますよね。ここで相手が投げてきたらどうなるんだろうとか、いろいろ疑問を持っていたんですよ。格闘技にはルールがあるにせよ、「強さを求める」上では、その制約がじゃまじゃないかな、と。
――そこでUFC1をご覧になって格闘心が覚醒したわけですね。
早川 制約が少ない、ありそうでなかったルールでしたから。そのなかで勝ち残っていったのがグレイシー柔術だったので、やってみたいと。日本に初の道場が生まれたのは1996年か1997年です。それまでは、友だちと通販で「つかめるグローブ」を買って、遊びで組み合ってみたりしてましたね。
――そして、道場に入門したらどんどん上達し、2年で突き抜けてうまくなってしまったそうですね。黎明期だったということと、才能があったということなんでしょうね。
早川 BJJは「寝技にまぐれなし」とか「練習量が雌雄を決する」とかいって、努力が才能を凌駕する世界だと言われています。私の話をすると、道場で指導者が見せてくれた技を、メモしたり、目に焼き付けて、絶対にその日にマスターすると決めてました。
――やがて、本場ブラジルへの武者修行へと進まれます。
早川 ブラジルのなかでも柔術がもっとも盛んな街、リオ・デ・ジャネイロに行きました。日本にはまだ歴史が浅い道場しかなかったので、ある程度の実力をつけて、さらに向上したい場合はブラジルに行くしかないという時代でした。ブラジルに行かないと黒帯などは取れなかったんです。
――もともと日本発祥の柔術がブラジルに伝えられ、のちに逆輸入されたのがBJJ。
早川 その通りです。海外では、日本は格闘母国とみなされています。プロレスも人気だったし、極真空手しかりですね。そんな格闘技文化圏として注目されている日本に、逆輸入の形でグレイシー柔術が入ってきたわけです。日本人にとっては、受け入れやすい土壌がありますから、すんなりと。
――ブラジルで変化した柔術を、新しいものとして受け入れたと。
早川 本来の柔術は当て身もあったし、足の関節技もあったといわれています。ブラジルでは多分、1920年代から発展し、生き残った技法が進化してきたものです。物騒な国なので、実際に使える格闘技として浸透し、変化したのだと思います。
一方、日本での柔術は柔道に取って代わられ、武術から武道になったわけです。もともとあった技法が残らなかったんですね。
――2018年の今、世界との比較で、日本のBJJのレベルはどのくらい?
早川 現状でもブラジルが頂点です。ブラジル人以外の世界チャンピオンはほとんどいませんから。その次がアメリカ、そして欧州と日本が続くという感じでしょうか。
日本には言葉の壁や距離のハードルがあって、本場から指導者がわざわざ指導しにくるかというと、なかなか。
ただ逆に、今の日本では昔と違って、帯制度などが充実し、黒帯を認定できる実力のある指導者もいるようにシステムが整ってきているので、ブラジルに修行に行かなきゃ未来が開けないという状況ではありませんけれど。
――早川さんにとって、出会った頃と今とで、BJJの魅力は変わってないですか?
早川 私はスポーツの方向、つまり、競技としての柔術そのものの面白みに気づき、寝技の純然たる面白さ、相手の先をとり、その先を読み、自分の技をかけるということにハマりました。
一方では、BJJはリアルファイトに通じています。外に出ても使える。それができるというのも魅力です。
――BJJというと、他流試合に強いというか、総合格闘技でもその技法を備えるのが欠かせない条件になってきています。
早川 ブラジリアン柔術が注目され始めた頃に、いろいろな格闘家が挑戦しましたけど、勝てませんでした。そのときに彼らはなぜ負けるのかわからなかったと。たまたま負けたけど、次やれば、絶対勝てると言っていたものです。
彼らにそんな錯覚をさせた理由の一つに、BJJ選手の力量は、組んでみてもわからないということがあるでしょうね。BJJ選手同士でも同じです。
――ということは、BJJで試合やリアルファイトの勝負に勝つにはこれ!といった方法がなくて、出た所勝負になるわけですか。
早川 BJJの最大の特徴はポジショニングです。相手には攻めさせずに、自分だけが攻められるポジションをつくる。その上で、自分が有利に相手をコントロールしつつ、ディフェンスしながら攻撃していくのがBJJの試合です。
一方、リアルファイトだったら、大切なのは「負けないこと」。どんなデカいヤツとやることになっても、負けないように戦っていけば、やがて相手は疲れてくるし、ミスもする。そこをついて攻撃するのがBJJなんです。自分より圧倒的に強い相手と戦っても負けない、それはつまり勝つことなんです。
――なるほど、リアルファイトだとある程度ディフェンシブに対応して、一瞬のスキをつく闘いに持ち込んでいけばいい。一方で試合は時間の制約もあるし、ある程度、無理矢理にでもいいポジションを取りにいかないと始まらない......。
早川 試合では一本勝ちがありますが、決着がつかなければそこまでのポイントで決めます。相手の上にまたがるマウントポジションと相手のバックをとるバックコントロールポジションは、各4点と最大のポイントを与えられます。
マウントポジションはもっとも有利なポジションだから評価が高い。リアルファイトだって、このポジションを奪ってしまえば、ここからパンチを出すことができます。
だから、BJJの選手はまず、マウントポジションとバックコントロールポジションを取ることを目指す。それは、いいポジションを取っているほうしか攻められないからです。リアルファイトにも直結しますよね。
――突然、誰かに襲われてきても、マウントポジションを取ってしまえば勝ち!ということですね。ただ、言うほど簡単にこのポジションが奪えるのかっていう話でもありますけど。トライフォースさんに入門してくる方たちは、やはり「強くなりたい!」が一番なんでしょうか。
早川 女性もいますし、世代も幅広いですが、フィットネス目的が半分います。残りの半分が「強くなりたい!」で。ただし、帯制度がどうとか、BJJに関しての知識を持って入ってくるわけでもなく......。
――強くなるのに必要な素養というのはありますか? ガタイがいいとか、運動神経がいいとか......。
早川 私は昔、フィジカル的には虚弱だったでしょ(笑)。でも、今まで何も困ったことはありません。
学んだ技を学んだ通りにかければ、どんな重い相手でもテコの原理がしっかり効いて、ひっくり返せるし、絞め技だって体の大きさなんて関係ないですからね。受講生たちには「指1本でも効果的に使えるならば、それをムダにするな!」とは言っています。
――なるほど、虚弱とかパワーが有り余ってるとかは関係ないと。
早川 うち(トライフォース柔術アカデミー)のなかでは、しっかり150のベーシックテクニックを練習して、正確なフォームと正確な手順でできることを意識すれば上手になると指導します。
逆をいえば、たとえば、しっかりしたフォームでやれば誰でもちゃんとかけられる技があるとします。腕力に自信がある人だと、ここで手順を1個くらい飛ばしちゃっても技がかかってしまうんですね。でも、それだと本当の技が身につかないわけです。力が強い人は、この「罠」に落ちてしまう......。
むしろ、力は使わないほうがいいです。アリとキリギリスではないけど、コツコツと正確にフォームを身につけて、手順をしっかりできる人は、あとあと上手くなりますね。
――そのトライフォース柔術アカデミーで、150のベーシックな基本技を5つずつ30レッスンに纏めてカリキュラム化したのも、早川さんの功績とうかがっています。たくさんある技をきちんと整理して、簡単なものから難しいものへと体得すべき順番を明示するというのは、日本人にとって、なにかを学ぶ上では、とても理解しやすいですよね。
早川 競技のためのテクニックを整理してみたのが、このカリキュラムです。BJJの宗家とされるカーロス・グレイシー先生、エリオ・グレイシー先生の技術が源流にあり、すべてはそのアレンジに過ぎませんので、オリジナルな技というわけではありません。
でも、なにをどの順番で学ぶのか、どの技とどの技を一緒に学ぶかということは大事です。
――こういうのは早川さんが学んだ時代にはなかったと思います。当時、このアカデミーがあれば、ブラジルに行って修行する時間や費用なども節約できたんでしょうね(笑)。
早川 私たちのアカデミーは、自分が学んできた技術をしっかりと体系化して伝えている、トライフォース流という、ある種、流派のようなものですね。受講生からすれば、練習面も、技術面も、環境面でもサポートしてくれるわけで、昔、私自身には足りなかったものを補い、そこでの苦労や負担をショートカットできるわけです。
――ということは、あとは世界チャンピオンを出すことが、早川さんの夢になりますか?
早川 日本チャンピオンは出していますから、当然、世界チャンピオンは、この流派の目標でもあります。個人的には、柔術を極める作業は永遠に続くことですし、仲間をもっともっと増やすことも夢の一つかな。楽しいことをやっていきたいですからね。仲間がたくさんいると楽しいでしょ。
――最後にBJJ未体験の読者や、なにか格闘技をやってみたい人にひと言ください。
早川 BJJを学ぶことには、ベネフィットがありすぎます。たとえばスポーツクラブでトレッドミル走るとかもいいでしょうが、うちの道場なら体を動かしながら、日々の進歩を実感できるので、単純に飽きが来ないと思います。職種や年齢層、出身国などもいろいろな人が集うので、大人の社交場のようなんです。
それでいて、いろいろな格闘技のなかでも敷居が低いのがBJJの特徴でもあります。それこそ複数の格闘技を体験してきた人達がみなさん言いますから。サボることばかり考えている人でも続けられていますよ(笑)。
――熟練者は相手を観ただけで、重心の位置を判断し、どこを押したら倒れて、どこを引っ張ったら相手のバランスを崩せるかがわかるというのがBJJです。和気藹々とした環境でも、そんな達人の境地に近づけるなら、楽しみもたくさんありますね。本日はありがとうございました!
(取材協力/トライフォース柔術アカデミー https://www.triforce-bjj.com)
■連載漫画『50代の☆ リアル体験入門 ドラゴン先生格闘ロード』『第4闘:トライフォース柔術アカデミー編』は週プレNEWSで配信中!
■早川光由(はやかわ・みつよし)
1975年9月21日、東京都生まれ。20歳の頃に突然、目覚め、ブラジリアン柔術を学び始める。すぐに才能が開花し、2年のキャリアで全日本オープン大会を制覇(翌年、連覇)、2000年以降は海外を主戦場にする。2002年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ州選手権を制し、ブラジルで黒帯を取得。帰国後、名実ともに日本最強の称号を得た。持ち技の多さから「技のオモチャ箱」の異名を取り、現在、トライフォースの総代表を務めている。