8月26日に世界王座獲得を記念した祝勝会が都内のホテルで開催された。伊藤は関係者の前でスパーリングも披露。会場にはその歩みを支え続けた家族の姿も
日本ボクシング界にとって37年ぶりの快挙。7月28日、米フロリダ州で行なわれたWBO世界スーパーフェザー級王座決定戦で、伊藤雅雪(伴流)が判定勝ちを収め、1981年以来初めて日本人選手が米国で世界タイトルを獲得。プロライセンス取得が目標だった男が、世界チャンピオンに昇りつめるまでの軌跡とは――

決戦直前、ホテルの一室で伊藤雅雪はひとり震えていた。
 
死ぬ以外はかすり傷。ボクサーである以上、殴られることも、倒されることも怖くはない。死ぬ以外のどんな事態も受け入れる覚悟はある。ただ、妻とふたりの娘のために、死ぬことだけは避けたい。
 
それでも、この試合に勝つか負けるかで、待っている未来は両極端だ。そして数時間後、そこが天国なのか地獄なのか既に決まっている。勝てば夢のチャンピオンベルトが手に入る。しかし、伊藤は自分の置かれた役回りを理解していた。

「俺は咬ませ犬だ」

対戦相手のクリストファー・ディアス(プエルトリコ)は23戦無敗のホープ。ブックメーカーのオッズは4対1と圧倒的に伊藤が不利。多くのプエルトリコ人が会場を埋め、圧倒的なアウェイと化すのも明らかだ。

「試合に敗れた場合、これまで死ぬ気で積み上げてきたものすべてを失う。それが怖かった。気づいたら自然と涙が流れていました。会場に向かうときは、もう死にに行くような気分で」

そもそも、世界チャンピオンを目指したわけではなかった。

幼少期からスポーツが得意で、水泳、体操なんでもできた。高校時代はバスケ部に所属。身長174センチながらダンクができた。

高3のインターハイ予選で敗退し引退すると、「何か格闘技をやってみたい」と体が疼いた。中学時代から格闘技に興味があった伊藤は、K-1が好きで魔娑斗に憧れた。しかし両親は格闘技を習うことを許さなかった。それでも、「アルバイトをして、月謝を自分で払うから」と、伊藤はボクシングジムの扉を叩く。

「ボクシングジムは怖いって勝手にイメージしてたんで、従兄弟が通っていたジムにしました(笑)」

そして、立てた目標は世界チャンピオンでも日本チャンピオンでもなかった。

「プロのライセンスを持っていたら、なんかカッコいいなと思って。ライセンスさえ取れれば、試合をしなくてもいいと思っていました」

しかし、トレーニング初日に伊藤は4回戦のボクサーを圧倒する。だが、日本チャンピオンクラスにはボコボコにされ、鼻血が吹き出た。

そのどちらの経験も伊藤にとって新鮮で、ボクシングに魅せられるには十分だった。その才能に気づいた当時の会長は伊藤に言った。

「お前は絶対に世界チャンピオンになれる」

プロライセンスを取得した伊藤は、入門から7ヵ月後、デビュー戦を判定勝ちする。しかし、プロ第2戦のわずか1週間前に悲劇が襲う。

原付バイクに乗っていた伊藤は、居眠り運転で信号無視してきた車に追突される。

「その瞬間、『死ぬんだな』と思いました」

緊急搬送され一命は取り留めるが、右足首、腰、両手を骨折。左手に至っては開放骨折していた。入院1ヵ月後に退院するも、担当医からは「ボクシングは難しい」と引退宣告を受けている。それでも伊藤は、根拠なく「まだボクシングができるかもしれないな」と楽観的に考えていた。

今度は、会長はこう言った。

「お前は右だけでも世界が獲れる」

復帰した伊藤は、一度の引き分けを挟み連勝を続け、2012年には全日本新人王を獲得。唯一の敗北は、2015年2月に行なわれた、沢木耕太郎のノンフィクション『一瞬の夏』の主人公として知られるカシアス内藤の息子、内藤律樹(E&Jカシアス)との日本スーパーフェザー級タイトルマッチ。伊藤はこの試合、判定で敗れた。

初めての黒星に、伊藤は思う。

「妻もいる。何かあったら遅い。ここが潮時かもしれない......」

だが、どうしても内藤に力負けしたとは思えなかった。サラリーマンボクサーだった伊藤は、前日にビッグサイトの展示会でブースに立ち、計量が終われば会社に戻り仕事をこなし、リングに立っていた。

「ここでは辞められない。今、辞めたら一生後悔すると思ったんですね。現役続行を決め、社長には『命をかけてボクシングをやってみたいです』と頭を下げました」

ボクシングに理解のあった社長は、伊藤に1ヵ月間、仕事を兼ねてロサンゼルスでトレーニングすることを許可してくれた。

そして、敗戦からわずか半年後、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦に勝利。その後、防衛を重ねた。

そんな伊藤に大きなチャンスが訪れたのが、今年だった。ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)が返上したWBO世界スーパーフェザー級王座の決定戦。同級1位のクリストファー・ディアスと同級2位の伊藤との対戦が決まった。

試合直前、ホテルでひとしきり泣いた伊藤は、会場に着くと吹っ切れていることに気づく。

「うまく開き直れたんです。あとはぶつかるだけ。負けたらしょうがない、と」

ゴング直前、信頼するトレーナーが言った。

「観客、ジャッジ、プロモーター、全員が敵だ。ここはどこだ? アメリカだ。勝ちたいなら、お前はしなければいけないことがある。1ラウンドから殴りにいけ! 右を思い切り当てに行け!」

いつもなら1、2ラウンドは相手の様子を伺うスタイルの伊藤は、「めっちゃ行きたくない」と内心思った。だが、トレーナーの「勝ちたいなら行け!」の言葉に腹をくくった。

「行ってやる! 気持ちで負けたら、俺には勝てるものが何もない。気持ちでは絶対に負けない!」

試合は1ラウンドからペースをつかんだ伊藤が、4ラウンドでダウンを奪うなど圧倒。判定ながら、伊藤の完勝だった。

「完勝は結果論。やっている最中はただただ必死でした」

試合後、「夢の中にいるようだ」と語っていた伊藤は、歴史的快挙から1ヵ月後、「まだ夢の途中です」と笑った。

「『チャンピオン!』と呼ばれて反応できるくらいには慣れましたけど、それほどチャンピオンという実感はないというか(笑)。みなさんが喜んでくださるのはうれしいですけど、僕の中では名ばかりというか、まだまだチャンピオンにふさわしくないと思っています。これからが大事。まだ夢の途中です」

プロライセンス取得が目標だった少年は、東洋太平洋王者の防衛を重ねるうちに世界チャンピオンが目標に変わった。そして、その夢を叶えた今、すでに新たな目標が生まれていた。

「僕の中での終着点が世界チャンピオンでした。だから、これからはエクストララウンドという感覚。防衛を何度したいとも、大金を稼ぎたいとも思えない。目指すのは、強い相手と、どれだけ歴史に残れる試合をできるかだけ」

そして、伊藤は6階級制覇王者"マニー・パッキャオ(フィリピン)"の名前を口にする。

「僕の階級は、ひとつ下にオスカー・バルデス(メキシコ)、ひとつ上にはロマチェンコといった世界的ビッグネームがいます。7月の王座決定戦がアメリカで好評だったので、そういったビッグネームと対戦できる可能性も十分ある。そこで勝てば、歴史に名前を刻める。パッキャオのような存在になれる可能性を秘めた位置に、今の僕は立っている。当面の目標はロマチェンコです。僕、自分のこと"持ってる"と思うんです。どうしても勝ちたいと思った試合は、全部勝ってます。どうしても手に入れたいと思ったものも、必ず手に入れているんで」

和製パッキャオは生まれるか? 世紀のジャイアントキリングから1ヵ月、伊藤雅雪の目前には、無限の可能性が広がっている――。

●伊藤雅雪(いとう・まさゆき)
1991年1月19日生まれ、東京都出身。高校3年生だった2009年に現所属の伴流ボクシングジムに入門。同年、大学在学時にプロデビュー。2018年7月28日に米フロリダ州キシミーのシビックセンターにて、ワシル・ロマチェンコが返上したWBO世界スーパーフェザー級王座の決定戦を同級1位のクリストファー・ディアスと戦い、3-0(116-111,117-110,118-109)の大差判定で勝利。自身初となる世界王座獲得に成功した。26戦24勝(12KO)1敗1分