16年ぶりに鹿島アントラーズに電撃復帰したジーコ氏

"神様"は見抜いていた。今季ここまでなかなか調子の上がらない鹿島アントラーズ、ロシアW杯でベルギーに競り負けた日本代表に共通する日本サッカーの"問題点"を――。

ジーコが鹿島アントラーズに帰ってきた。

16年ぶりのテクニカルディレクター就任から3週間。愛するクラブの現状を"サッカーの神様"はどう見ているのか。そして、ロシアW杯で数々の激闘を演じた日本代表について、元日本代表監督として何を語るのか。

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■全員がハードワークし、常に戦い続けることで勝ってきたクラブ

――16年ぶりに鹿島に戻ってきました。オファーを受けたときのお気持ちは?

ジーコ 帰ってこられてうれしい。正直、戻ってくるとは思っていなかった。クラブが新たな一歩を踏み出すタイミングで、自分のことを思い出してくれて感謝している。短期ではなく、長期的なビジョンをもって取り組むつもりでいる。全身全霊をかけて協力したい。

――テクニカルディレクターに就任されて3週間。ご感想は?

ジーコ このクラブにも時代と共にいろんな変化があり、人々の考え方も変わった。今いる人の考え方や価値観の下で、新たな改革をしなければならない。自分が感じたことはすべてフロントに伝えた。あとはクラブがどのようにアプローチしていくかになるだろう。

ただ、当然ながら選手もスタッフも、このクラブの歴史を知らなければならない。今いる大半の選手は鹿島のブランドが確立された後に入ってきた人たちだ。そうなるまでにどれだけの人々が汗と涙を流し、このクラブをつくってきたのか。そこからどのようにして勝者となる道を歩んできたのか。それを知らなければならない。

そして、これからも勝者であるためには、常にタイトルを取り続けなければならない。そのためにはクラブに携わる全員がプロフェッショナルとしての意識を持つ必要がある。

――成績が低迷(8月30日現在7位)している理由についてはいかがですか?

ジーコ 3週間ですぐに原因がわかればいいが、そう簡単にはいかないのがサッカーだ。ただ、試合を見ていると明らかに相手の勢いのほうが勝っている。闘争心は強く、献身的にハードワークしている。鹿島はクラブワールドカップで世界2位(2016年)になったクラブ、と見られており、相手にすれば鹿島に勝てば勲章になる。

一方で鹿島の選手たちは慢心というか過信というか、試合はいつでも勝てるという気持ちがどこかにうっすらあるように見える。8月24日のジュビロ磐田戦もそうだった。彼ら(磐田)は全員がハードワークし、その頑張りがあって後半ロスタイムの同点弾につながった。小さな部分だが、頑張るか頑張らないかは結果に大きく反映されるのだ。

――かつての鹿島とは違う?

ジーコ ホームゲームであれば相手を圧倒し、主導権を握ったものだ。あれだけのサポーターが後押ししてくれているわけだから、相手には何もさせず、呼吸すらさせないくらいの勢いでやらなければならない。1点を取ったら、2点、3点とたたみかけたものだが、その勢いも今は見受けられない。

どんな時代も根本的に変わらないのは、相手よりも走ること、相手よりも戦うことだ。当然、技術は必要だが、うちにはそれだけの選手たちがそろっている。ただし、技術だけで勝とうとしたり、鹿島のユニフォームを着ていれば勝てる、という変な思い込みがあったりするようではいけない。

鹿島はもともと全員がハードワークし、常に戦い続けることで勝ってきたクラブだ。今は初心を忘れたというか、基本的なことができていない。

――Jリーグ誕生当時はどうやってそういった意識を植えつけたのですか?

ジーコ サッカーには3つの結果しかない。勝つか、負けるか、引き分けだ。そして、勝った者しか評価されないのがこのスポーツだ。私はフラメンゴでも、ブラジル代表でもそう教育されてきた。サッカーにおいて最も重要な評価基準はタイトルをどれだけ取ったかだ。たとえどんなに技術的にうまくても、タイトルを取っていなければ評価されない。それは鹿島でもずっと言い続けてきたことだ。

勝つことがどれだけ重要なのか、それによって投資が増え、設備がよくなり、自分たちの置かれている環境も変わってくる。そのことを選手たちは強く自覚しなければならない。そして、勝つために重要なのが日々の練習だ。神から与えられた才能を無駄にしてはいけない。

「壁にぶつかって諦めるのではなく、リアクションを取れるメンタルの強さが日本人選手には必要」と語るジーコ

■重要なのは下部組織の整備

――試合を見るなかで、現在のJリーグの印象は変わりましたか?

ジーコ 私が代表監督を務めていた頃は国内でプレーする選手が多かった。監督として彼らの状態を間近で確認できることは大きなアドバンテージだったが、今では代表に呼ばれる選手の大半が海外でプレーしている。それはやむをえない成長であり、日本サッカーが海外から注目を浴びている証拠。長年、日本サッカーに携わっている私にとって非常に喜ばしいこと。

――鹿島からも今夏、植田直通(なおみち)選手がベルギー1部のセルクル・ブルージュへ移籍しました。今後も日本人選手の海外移籍は増えることが予想されますが、チームの強さを維持するにはどうすればいいでしょうか?

ジーコ これはフロントにも言ったことだが、下部組織の整備が重要だ。選手を引き抜かれたとき、それを埋める選手をあらかじめ育てておかなければならない。鹿島でいえばトップチームは今も6、7名が下部組織出身の選手だ。クラブの規模が大きくなっていけば、今後はトップと下部組織それぞれの専用施設を造る必要があるだろう。

最近の例でいうと、レアル・マドリードに移籍したFWのヴィニシウス・ジュニオール(18歳)はフラメンゴの下部組織で育った。フラメンゴのトップチームを見ても7名から8名の下部組織出身者がプレーしている。世界的に見ても、下部組織の充実はクラブ運営の非常に大きなウエイトを占めている。

――ここ数年、日本代表は本田圭佑選手が中心にいました。ロシアW杯を見て、あるいはJリーグや鹿島を見て、次の日本代表を担える選手はいましたか?

ジーコ Jリーグはまだ多くの試合を見ていないので、判断材料が少なく個人の名前を挙げるのは難しい。また対戦相手より鹿島の選手に注目していたので詳細に発言することはできない。ただ、W杯を中心に考えるとFWでは大迫(勇也/ドイツ・ブレーメン)、MFでは柴崎(岳/スペイン・ヘタフェ)といった鹿島出身の選手たちが非常に素晴らしい能力を発揮していた。

またDFの昌子(源/しょうじ・げん)も今後の代表を引っ張れる選手だ。練習を見ている限り、鹿島からは新たにFWの鈴木(優磨/ゆうま)の名前が挙がってくるだろう。まだ若い(22歳)のでこの先どうなるかわからないが、彼が謙虚な姿勢を保ち、練習に取り組み続ければ日本を代表する選手になれると思う。

■世界に勝つための「メンタルの鍛え方」

――ロシアW杯でベスト16に進出した日本代表について、どのように見られていますか?

ジーコ 長所よりも短所を指摘したい。それはメンタルの弱さだ。試合でリードしよい状態で進めていても、ひとつのミスや状況の変化、相手との接触などで、簡単にメンタル面が揺らいでしまう。いい状態から急にゼロになってしまう。それは日本人選手の最大の問題点だ。試合状況が変わることは相手の変化によって起きるもの。しかし、そこでメンタルまで乱してしまうことはあってはならない。

日本人選手たちはパーソナルトレーナーをつけて、体幹トレーニングに時間を割いている。正直に言えばそこに時間を使うより、まず目の前の練習に100パーセントの集中力と注意力を持って臨み、最後まで持続させるべきだ。

――練習で集中力を切らさない、ということでしょうか?

ジーコ そうだ。鹿島の練習を見ていても途中で集中力が切れ、パスミスをしてしまうシーンが見受けられる。練習後あれこれといろんなことをしたり、食事面には気をつけているようだが、まずメンタルのケアを第一に取り組むべきだ。海外のクラブでは、必ずスポーツ心理学の専門医がいる。あるいはコーチングトレーナーがクラブにいたり、個人で契約したりする選手もいる。

今、日本のサッカー界において最も必要なのは、この部分の発展ではないか。試合において困難な状況を迎えることは必ずある。自分の調子が悪く、あるいは対峙(たいじ)した相手の調子がよいなど、試合ではいろんな困難に直面するものだ。

そのとき、自分をどのようにプラスに持っていくかが大事になる。壁にぶつかって「もうだめだ」と諦めてしまうのではなく、リアクションを取れるメンタルの強さが、日本人選手には一番必要だと思う。技術やフィジカルは世界でも引けを取らないレベルに達しているのだから。

――ドイツW杯のオーストラリア戦も先制点を取って試合を有利に運びながら、終盤に3失点して逆転負けしましたね。

ジーコ そのとおりだ。率直に言えば、日本代表監督をしていたときも、そうした光景は何度も目にした。それまでいい試合をしていたにもかかわらず、失点すると急にドタバタしてしまう。14年のブラジルW杯のコートジボワール戦でもそうした現象が見られ、今回のロシアW杯のベルギー戦でも同じだった。だからこそ、「いかにしてメンタルタフネスを90分間持続させるか」が、日本人選手に今最も必要なことだと私は思う。

●ジーコ
1953年3月3日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身。フラメンゴ、ウディネーゼで数多くのタイトルを獲得。また、ブラジル代表として3度のW杯に出場。91年、鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に入団し、クラブの礎を築いた。2002年から06年まで日本代表監督も務めた