記念すべき「30回目」の日本GPを迎える鈴鹿サーキット。そこで日本のF1解説といえばこのふたり! モータースポーツジャーナリストの今宮純氏と川井ちゃんが、F1史に刻まれる"スズカ名勝負"を厳選!
■セナ対プロストは「映画」みたいだった
今宮 うーん、ベスト5ですかあ......これは難しい。鈴鹿サーキットの日本GPは数多くの名勝負を生んできたからね。
川井 それに、これだけ長くなると、正直、俺たちもあんまり覚えてないのよ!
──まあまあ、そう言わずに(汗)。まずは開催初年度の1987年から振り返ってみませんか?
今宮 そうですね。この年はフジテレビがF1全戦中継を始めた年で、僕自身も解説者としてフルシーズン転戦した1年目だった。鈴鹿は最終戦のひとつ前の第15戦でしたから「ああ、ようやく帰ってきた」という感覚でしたね。
それに、久しぶりに見る鈴鹿はF1開催のための大改修で大きく変わっていたので、その驚きも大きかった。
川井 俺の場合は、見慣れた(海外で行なわれている)F1GPとはなんか違う......そんな違和感があった。もちろんポジティブな意味でだけど、日本でグランプリが開催されているのが不思議な感じだった。
今宮 ちなみに87年はシーズンを通してウイリアムズ・ホンダが好調で、N(ネルソン)・ピケによって第2期ホンダF1に初めてドライバーズタイトルがもたらされた年でもある。
チームメイトでもあり、チャンピオン争いをしていたN(ナイジェル)・マンセルが日本GPの予選でクラッシュして負傷欠場になったことで決定したわけですが、そこはちょっと残念な結果でしたね。
川井 そうそう、だから決勝のピケは全然やる気なかった。
──翌88年はどうでしょう。A(アイルトン)・セナが初のチャンピオンを決めたレースです。ベスト5の有力候補では?
今宮 確かに、88年の鈴鹿は「セナ・プロ時代」や「マクラーレン・ホンダ黄金時代」の幕開けを象徴するレースでした。
チャンピオン争いはこの年からマクラーレン・ホンダに移籍したセナとチームメイトのA(アラン)・プロストの一騎打ちになった。
ところが、予選ポールポジションのセナと、6番手につけたロータスの中嶋悟が共に決勝スタートに失敗して大きく後退。あの瞬間、僕は放送席で、左目でセナ、右目で中嶋を追いかけながら必死に解説していましたよ(笑)。
川井 でも、その後のセナの猛追はスゴかったな。19周目には2位に浮上すると、レース終盤に小雨が降り始めるなか、トップのプロストを追い詰めて、28周目の1コーナーで仕留めた。
──中嶋もほぼ最後尾から、いわゆる「納豆走法」で追い上げて、入賞一歩手前の7位完走! また、鈴木亜久里(あぐり)がラルース・ローラから日本GPにスポット参戦を果たしたことも、注目を集めました。
川井 このセナとプロストの「因縁の対決」は89年の日本GPにも引き継がれて、タイトル争いを繰り広げていたふたりが終盤にシケインでまさかの接触!(レース終了後、セナがシケイン不通過で失格となり、プロストの王座が決定)
今宮 さらに、90年の鈴鹿ではスタート直後の1コーナーでフェラーリに移籍したプロストとセナが接触して共にリタイア。この結果、セナ2度目の王座が決まるという、これまた劇的なレースだった。
川井 この事故の直後、ピットレーンでセナからコメントを取ったのに国際映像では流されなくてさ。メディアで最初にコメントを取ったのは俺だったのに(涙)。これで「ああ、もう今日の仕事は終わった!」って思ったよね。
でもその後、ラルース・ランボルギーニの亜久里が日本人初の3位表彰台に上がったことで、また忙しくなったんだけど......。
今宮 ただ、89年、90年の「セナ・プロ対決」は劇的でしたけど、ああいう形で王座が決まったことには、一種の「後味の悪さ」もあって、そこは評価が難しい部分もありますね。
川井 あの2年は、日本GPの週末すべてが映画みたいだった。でも、レースの中身という意味では、90年なんかスタートから8秒で勝負が終わっちゃった。プロローグは長かったのにね。セナとプロストのガチンコ対決を期待してサーキットに詰めかけていたお客さんにとってはガッカリな内容だった。
■ヘアピンで5台抜いた小林可夢偉の走り
今宮 そこで僕が「コース上での鈴鹿名勝負」として候補に挙げたいのが、2005年の日本GPです。予選の途中で雨が降りだした影響で、17番手スタートとなったK(キミ)・ライコネンと16番手スタートとなったF(フェルナンド)・アロンソのふたりが、決勝で華麗なオーバーテイクショーを次々と見せ、最終ラップでライコネンがルノーのG(ジャンカルロ)・フィジケラを仕留めて、見事、優勝したレースですね。
川井 あ、それ俺も賛成! あのレースのライコネンとアロンソの追い抜きはスゴかった。
今宮 特にシビれたのはアロンソが超高速コーナーの130Rで、それも外側からM(ミハエル)・シューマッハを抜き去ったシーンです。あんなオーバーテイクが可能だなんて、それまで誰も想像しなかったと思う。
──日本人ドライバーが活躍したレースという視点ではどうでしょう?
フル参戦したドライバーを挙げると、中嶋悟に始まり、鈴木亜久里、片山右京(うきょう)、井上隆智穂(たかちほ)、高木虎之介、中野信治、佐藤琢磨(たくま)、山本左近(さこん)、中嶋一貴(かずき)、小林可夢偉(かむい)と、この30年余りで10人の日本人ドライバーがF1を戦っています。
今宮 これも難しいですね。ジョーダン・ホンダの佐藤琢磨が予選7番手、決勝で5位に入り、優勝したM・シューマッハに「今日の優勝者はふたりいる。僕とタクマだ」と言わせた、あの02年の盛り上がりも捨て難いけれど、僕はザウバーの小林可夢偉がヘアピンで5台を追い抜いてみせた10年がベストかな。
川井 リザルトだけで言えば、可夢偉はその2年後の12年に、亜久里以来の日本人3位表彰台に上がっているんだけど、レース中のワクワク度という意味でいえば10年のほうが上だよね。
可夢偉は12年のスパ(ベルギーGP)でも予選2番手だったし、チームメイトのS(セルジオ)・ペレス(現フォースインディア)よりも速かったからね。あのままF1に残れていたら......と考えちゃう。
今宮 これまで鈴鹿では、シューマッハが6勝、S(セバスチャン)・ベッテル(現フェラーリ)が4勝、L(ルイス)・ハミルトン(現メルセデス)が3勝、G(ゲルハルト)・ベルガー、セナとD(デーモン)・ヒルとM(ミカ)・ハッキネンが2勝している。
シューマッハとフェラーリの黄金時代の幕開けという意味では、フェラーリで初王座を決めた2000年の鈴鹿も外せないんじゃないかな?
ほかにも、98年のハッキネン対シューマッハの名勝負とか、06年のアロンソ対シューマッハとか、挙げ始めるとあっという間に10を超えちゃうけれど(笑)、どうしてもベスト5を決めるなら、1位は純粋に「名勝負」ということで、ライコネンとアロンソが大活躍した2005年の日本GP!
川井 俺も異議なし! じゃあ2位はセナ・プロ因縁のドラマと亜久里の3位表彰台で、90年でいいんじゃない? で、セナが初王座を決めた88年が3位という感じかな。
今宮 4位と5位は迷うけど、フェラーリ黄金時代の幕開けとなる00年が4位、可夢偉君がヘアピンで抜きまくった10年の日本GPを5位としましょう!
──さすがは息の合ったおふたり、最初はどうなることかと思いましたが、なんとか「ベスト5」が出そろいましたね。それでは最後に、目前に迫った今年の日本GP、鈴鹿30回目のレースに向けた期待のひと言をお願いします!
今宮 現在ハミルトンに次ぐランキング2位につけるベッテルに、なんとしても頑張ってもらわないとね。
川井 そう、実はハミルトンは鈴鹿を得意としていなくて、特にデグナーのひとつ目が苦手なんだ。一方、ベッテルは鈴鹿は得意なはずなんだから、シーズン終盤を盛り上げるためにも、ここでハミルトンとのポイント差をきっちり詰めてほしい!
●今宮純(いまみや・じゅん)
1987年からスタートしたフジテレビF1中継のレギュラー解説者として活躍。2011年、地上波番組終了後も、CS放送フジテレビNEXTで解説を担当。公式ホームページ【http://f1-world.jp】
●川井一仁(かわい・かずひと)
1988年からフジテレビF1中継のピットレポーターとして活躍。現在も、CS放送フジテレビNEXTで解説を担当。今年、日本人として唯一「F1パドックの殿堂入り」を果たした