かつて「牛若丸あきべぇ」のリングネームで世間に知られることになったプロボクサー、渡部(わたなべ)あきのり。33歳になった今夏、8月24日に日本スーパーウェルター級暫定王座決定戦を初回TKOで制し、チャンピオンに返り咲いた。
試合後、3歳の愛娘が白血病に侵されていることを公表。病が発覚した4月以降、渡部は自身の職業を見つめなおし、今「真のプロボクサーになった」と言う。十数年にわたり親交を深めるカメラマンのヤナガワゴーッ!氏が、その思いを聞いた――。
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JR大塚駅北口から徒歩1分、飲み屋やパブが並ぶ一角に角海老宝石ボクシングジムはある。リング内外に多くのボクサーがひしめき、パンチの快音を響かせる中、渡部あきのりは人懐こい笑顔で冗談を飛ばしながら、ゆっくりとバンデージを巻いていた。シャドー、ミット、サンドバッグを計1時間。滝のような汗を滴らせたまま、チャンピオンベルトを抱えて、射るような視線をカメラに向けた。
「インタビューは事務所でいいですか?」
2階の事務所に移動し腰を落ち着けると、滔々と語り始めた。
「昨年12月15日にロシアでWBOインターナショナルスーパーウェルター級タイトルに挑戦しました。相手は世界ランク1位で、勝てば世界タイトル挑戦が見えた。プロ42戦目にしてやっと掴んだチャンスだったんですが、8Rにレフェリーストップ負け。まだできたし、すごく悔しかったんですけど、『世界への手ごたえ』を感じることはできました。
再起戦に向けて気持ちを入れ替えていた今年2月頃のことでした。3歳の長女、紗月(さつき)の様子がおかしくなっていったんです。自分はトレーニングのためにジムの寮に寝泊まりしていて、日曜日だけ埼玉の自宅に戻り家族と過ごすんですが、会うたびに娘がどんどん退化していくというか、公園に行っても滑り台が怖いと言い出したり、自転車の前カゴに乗りたがらなくなったり。歩くのも辛そうで、抱っこすると『痛い、痛い』って。
同じ病院に2回、別の病院にも1回連れていきましたが、触診して『異常はない』と言われた。昨年10月に引っ越して保育園も変わったので、環境の変化によるストレスが原因でしょうと。痛いところが足だったり腰だったり、日によって変わったりするので、俺ら親も『本当は保育園に行きたくないだけで、嘘をついているんじゃないか』と疑ってしまったこともありました」
今年4月7日、渡部は再起戦に挑んだ。判定勝利を収めたが、身体のダメージが大きかったため試合翌日の日曜日は治療に充て、月曜日に帰宅した。保育園に連れていこうとしたところ、長女は立ち上がることすらできない状態で、慌てて病院に駆け込んだ。ここでも異常なしと診断されたが、これまでの経緯を説明し血液検査をしてもらったという。
結果は「急性リンパ白血病」――。すぐに救急車で埼玉県立小児医療センターに搬送され、そのまま入院となった。
「病名を告げられたとき、声にならない声が出ました。ものすごいパンチを食らった以上の衝撃でした。歩けないくらいクラクラして、大の字になってぶっ倒れるほどの。白血病と聞いて真っ先に浮かんだのはドラマ『ひとつ屋根の下』の小雪や、『世界の中心で愛を叫ぶ』のアキ。ダメだ、死んじゃうやつだ!って。
でも、病名がハッキリしたのはよかったです。『よし、敵が見えた!』と思えたし、娘は嘘なんかついていなかったことがわかったし。病状や治療法の説明を受けているうちに、なんでこんなことが人間にできるんだろうって、医者のすごさに圧倒されました。人を救える仕事は最強です。自分は腕っ節には自信があるけど、病気の前では無力。今までやってきた俺のボクシングってなんだったんだろうって......」
渡部は浮き沈みの激しいキャリアを送ってきた。2004年のプロデビュー戦に判定勝利した後、15連続KO勝利の日本タイ記録を打ち立てるも、日本タイトル獲得に失敗し3連敗。再起して2011年に日本と東洋太平洋ウェルターの2冠王者となり、順調に防衛を重ね、念願の世界ランク入りを果たすが、世界タイトル挑戦のチャンスには恵まれなかった。度々ジムの移籍もあり、モチベーションが上がらないまま試合だけをこなしていた。
しかし2016年8月、角海老宝石ジムに移籍したことが転機となった。「最高の環境と仲間がいるので、今が一番幸せ」と渡部は笑顔を見せる。移籍後の初戦は判定負けを喫したが、その後連続KO勝利を飾り、先述のWBOインターナショナルタイトル挑戦に漕ぎつけた。世界への手ごたえを得た矢先、長女の病に直面し、自身の職業を見つめなおすことになったのだ。
「もうボクシング辞めよう、まっとうな仕事に就こう、と考えたこともありました。でも、娘の病気を治すために、今から勉強して医者になるかといったら、そんな時間も能力もない。じゃあ何をするかといえば、自分が今までやってきたプロボクシングを貫き通すしかない。そこで初めて『自分の仕事とは』を真剣に考えたんです。
自分は試合が終わればオフがありますが、娘の闘いに休みはありません。抗がん剤治療で髪の毛もなくなりましたが、病気という敵を理解して小さな体で闘っています。注射を打たれてももう泣かないし、苦い薬を震えながら飲んでいます。その姿を見ていると本当に胸が苦しくなりますが、俺も負けるわけにはいかない。映画でロッキーが『人生はいろんな角度からパンチが飛んでくる。だけど、打ちのめされても立ち上がるのがファイターだ』と言っていたことを思い出して、俺もコレだと。コレしかないと。
周りが強かろうがなんだろうが、どんなに不恰好でも、何度でも立ち上がって、世界チャンピオンという目標に挑み続ける。その姿を見せることこそが俺の仕事なんだと気づいたんです。もちろん、世界を獲るという目標は昔から変わりません。だけど、それは自分の欲望のため、自己満足にすぎなかった。今はやっと真のプロになれたんだと思います」
愛娘の病をきっかけに、自分のためではなく、誰かのためにという新たなモチベーションを得た。その「誰か」とは娘だけでなく、同じ病気と闘っている人たちや、困難に立ち向かっている全ての人たちのことだ。心境の変化は他にもあったという。
「昔は『リングで死ねたら本望』って本気で思ってました。娘の病気が発覚する前の昨年、自分になにかあってもいいようにと、生命保険に入りました。だけど、今は死んでもいいとは思わない。家やお金が残ったとしても、嫁にとっても長男の太尊(たいそん)にとっても紗月にとっても、絶対に俺の存在は必要ですから。
それでも18歳から15年間しがみついてきたプロボクシング。ここまできたら行けるところまで行こうと思います。娘の治療費を稼ぐためにも、世界チャンピオンにならないといけない。強い相手と試合して、観客を沸かせる試合をする。ぶっ倒されるかもしれないけど、家族のためには諦めるわけにはいかない。矛盾してますよね。でも、これがリアル。ボクの生き様なんです」
長女の抗がん剤治療は第三段階を終えて、もうすぐ次の治療に入るという。これがうまくいけば退院し、家族揃って自宅で年を越すことができる。
「娘が入院している小児医療センターには、同じ病気で闘っている子供たちが本当にたくさんいるんです。医者が治療のプロなら、俺はボクシングのプロとして、そして病気の子を持つ親として、生き様を見せていきたい。今33歳で、44戦を経験した自分にしか出せない『味』があると思います。是非、俺を味わいに試合を観に来てください!」
●渡部あきのり
1985年生まれ、埼玉県出身。角海老宝石ボクシングジム所属。2004年プロデビュー。「15連続KO」の日本タイ記録を打ち立て、2011年には日本・東洋太平洋のウェルター級2冠王に輝く。44戦37勝(31KO)7敗。オフィシャルブログ「あきべぇん家 ボクシングで、てっぺんとります!!」