鈴鹿サーキット交通教育センターの中庭で撮影。石で描いたサーキットを指さしながら、「ここに突っ込んだ」「ここでリタイアした」とお三方は大はしゃぎ。(左から)佐藤琢磨、鈴木亜久里、中嶋 悟

日本人初・F1フル参戦ドライバーの中嶋 悟。日本人初・F1表彰台獲得の鈴木亜久里。日本人初・インディ500王者の佐藤琢磨。

それぞれ"日本人初"の偉業を成し遂げ、モータースポーツ史に名をとどろかす3人の日本人元F1ドライバーが、F1日本GP鈴鹿30回を祝して降臨。豪華座談会がスタート!

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――1987年に鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で最初のF1日本GPが開催されてから、今年で30回目の節目を迎えました!

中嶋 いやぁ、そりゃ年取るわけだよね(笑)。

亜久里 琢磨は現役だからいいけどさ。俺なんか、「レジェンドF1マシン」のデモ走行で、89年型のベネトンを運転したら、3ラップぐらいでもうヘトヘト(笑)。マシン降りるときも、「スッ」とカッコよく立てないんだよね。

中嶋 そうそう、けっこう大変なんだよ。

――中嶋さんはF1デビューのシーズンでもあり、初の母国凱旋(がいせん)レースとなった87年の日本GPには特別な思いがあったのでは?

中嶋 そうだね。ただ「ああ、俺もやっとF1で戦えるんだなぁ」という感慨とか緊張は、鈴鹿より、開幕戦のブラジルGPのほうが大きかったかもしれない。

僕が一番驚いたのは、開幕からほぼ1シーズン世界を転戦して鈴鹿に帰ってきたら「日本の雰囲気」がすっかり変わっちゃってたことかな。空港に着くまで日本に「F1ブーム」が来てるなんてまったく知らなかったからさ。

亜久里 フジテレビがF1全戦の中継を始めたのも、87年が最初だったしね。

中嶋 もちろん、日本でテレビ中継が始まったのは知ってたけど、海外で戦ってるわけだから見てないし、まさか自分があんなに有名になっているとは思わなかった。

僕、なんにも悪いことしたわけじゃないのに、どこ行っても知らない人に追いかけ回されてさ(笑)。で、鈴鹿を走り始めたら、今度はコースサイドの景色が変わってて、またビックリ。

超満員のグランドスタンドだけじゃなく、それまで土の茶色とか草の緑だった場所が、お客さんで埋め尽くされてカラフルに「色」がついてたんだよね。

亜久里 当時はとにかくコース全体がお客さんでビッシリの状態だったからなぁ。

――その年、亜久里さんは若手レーシングドライバーとしてテレビ中継の解説席にいました。一方、当時10歳だった琢磨さんは観客席にいたんですよね?

琢磨 87年は日曜日の決勝を観戦したんですが、僕にとってはサーキットに来たのも、レースを生で見たのも初めてで、しかも鈴鹿のF1日本GPですから、それはもう衝撃的ですよね。

最終コーナーのグランドスタンドで大はしゃぎしながらレースを見ていたのですが、正直、あの一日で僕の人生が変わったと言ってもいいくらいです。

――亜久里さんは解説席で「いつかはF1に......」って思っていたんですか?

亜久里 もちろん。解説しながら「ああ、うらやましいなぁー。俺もいつかF1に行きたいな」とは思っていた。でも、当時はそこにつながる道筋なんて何も見えてなくて、自分にとってまだ単なる「夢」でしかなかったんだよね。

中嶋さんはF1にたどり着くために何年もかけて準備をして、ホンダのF1エンジンのテストドライバーもやっていたわけだから。

中嶋 僕が初めてイギリスのF3に挑戦したのが、78年のブランズハッチ(イギリス・ケント州にあるサーキット)だった。結局、レースはアクシデントでマシンが宙を舞って、あっけなく終わっちゃったんだけど、その後に生でF1を見て「ああ、俺も絶対この舞台で走りたい......」と思ったよね。

でも、それが実現するまでには10年近く時間がかかった。同じF3に出ていたネルソン・ピケは、その翌週にあったドイツGPでF1デビューしてるんだよ。

亜久里 鈴鹿で日本GPが行なわれるようになって、そして中嶋さんがF1までたどり着いてくれなかったら、日本でF1ブームは起きなかっただろうし、フジテレビの中継も始まらなかったよね。

琢磨 ええ、おそらく僕も鈴鹿サーキットにはいなかったはずです。

亜久里 だからさ、やっぱりすべてがあの87年日本GPから始まってるんだよ。

中嶋 あとは、やっぱり時代というのもあるよね。何しろ当時はバブルだったからスポンサーになってくれた日本の企業も、みんな「外へ」「海外へ」という勢いがあって、そういう波に乗れた部分も大きかった。

そこいくと、うちの一貴(長男でレーシングドライバーの中嶋一貴選手)なんか、ようやくF1にデビューしたと思ったらすぐにリーマン・ショックだからなぁ......。そういう世界経済の状態や、時代の変化だけは、さすがに自分ではどうしようもないからね。

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3人の話はさらに盛り上がり、鈴木亜久里、佐藤琢磨が語る自身が初めて参戦した日本GPの思い出、3人が選ぶ「鈴鹿F1日本GPベストレース」、そして日本人にとってのF1まで、『週刊プレイボーイ』44号(10月15日発売)では大いに語っている。