大迫に39秒差をつけて優勝した長距離の帝王ファラー(左)らと同じ環境で力をつけた

東京五輪が楽しみだ! 世界のスピードランナーが集結した10月7日のシカゴマラソンで、大迫 傑(おおさこ・すぐる)が3位に入り、日本記録を更新した。

日本の実業団には属さない"期待の星"の快走を生んだ米国流トレーニングの秘密に迫る!

* * *

■クラブ加入の条件は「メダルの取れる選手」

10月7日のシカゴマラソンで、大迫 傑(27歳、ナイキ・オレゴンプロジェクト)が日本人で初めて2時間6分の壁を突破。今年2月の東京マラソンで設楽悠太(したら・ゆうた/Honda)がマークしたタイムを21秒塗り替える、2時間5分50秒の日本記録を樹立した。

大迫は2015年3月末に、日本の実業団チームとの所属契約を解消し、プロランナーになった。練習拠点を米国に置き、5000mで13分08秒40の日本新記録を樹立すると、日本選手権の10000mを連覇(16、17年)。昨年からマラソンに参戦して、順調にキャリアを積み重ねている。

早稲田大学時代から箱根駅伝などで魅力的な走りを見せていた大迫が、ここまでスケールアップした最大の理由は所属するクラブ、ナイキ・オレゴンプロジェクトにある。

同クラブは、「ケニア、エチオピアなどアフリカ勢と戦える米国人選手の育成」を目的に設立された中長距離チームだ。ニューヨークシティマラソン3連覇の実績を持つアルベルト・サラザールをヘッドコーチに迎え、01年にスタートした。ロンドン五輪(12年)の10000mでは、所属するモハメド・ファラー(英国)とゲーレン・ラップ(米国)がワンツーを飾るなど、世界の長距離種目を席巻。近年はマラソンでも結果を残している。

大迫は大学3年時(12年)に、日本選手権10000mで佐藤悠基(日清食品グループ)に敗北。0秒38差でロンドン五輪出場を逃した。多くの大学の駅伝部がチーム全体の底上げを目指すなかで、個人の能力向上に重きを置いていた大迫は、「もっと速くなるために、自分の疑問に答えてくれるコーチにつきたい」と強く願うようになる。そして、米国オレゴン州ビーバートンにあるナイキ本社を拠点にする、オレゴンプロジェクトを訪れたのだ。

そのときに大迫は「ここで練習したい」と本気で思ったというが、「誰でもウエルカム」というチームではない。「将来、オリンピックや世界選手権でメダルが取れる可能性のある選手」というのが、加入の条件となる。

マラソン挑戦3戦目で2時間5分50秒の日本新記録を樹立。報奨金の1億円を手にした

■充実した施設での秘密トレーニング

大迫は翌13年4月のアメリカ・カージナル招待10000mで、日本人学生最高記録となる27分38秒21をマーク。その走りをサラザールヘッドコーチに評価され、練習参加を許可された。

大学卒業後は実業団に籍を置きながらも米国を中心に練習を重ね、15年春からオレゴンプロジェクトの正式メンバーに。米国人を中心に男女10名ほどが在籍する少数精鋭のチームにおいて、大迫は初のアジア人選手になったのだ。

当時、大迫と共にチーム視察に訪れた住友電工・渡辺康幸監督(前・早大駅伝監督)は、「サラザール氏の指導は想像をはるかに上回る、緻密で理論的なものでした。だからこそ、米国の白人ランナーがケニア、エチオピアを倒して、世界大会でメダルを獲得できるんです。

日本の指導は100歩くらい遅れています。日本では『昔、自分はこんな練習をしたから、同じことをやれ』といった根性論のような指導もまだある。日本ももっと理論的に進めなければいけません」と、最先端のトレーニングに衝撃を受けている。

そんなオレゴンプロジェクトの指導の5つの柱は「長期的目標に向けたアプローチ」「いいトレーニングパートナーを見つける」「ランニングフォームの向上」「スプリントの強化」「精神力の強化」というもの。

大迫は、現役時代にクロスカントリーを専門にしていたピート・ジュリアンコーチから指導を受けているが、そのほかにもスプリントコーチ、理学療法士、フィジカルトレーナーなどのスペシャリストがマンツーマンに近い形でサポートしている。

ナイキ本社の敷地内には室内練習場はもちろん、五輪で計4個の金メダルを獲得したマイケル・ジョンソンの名を冠した、森に囲まれたオールウェザー(どんな気象条件でも変化しない)トラックなどがある。それらの施設で行なわれるトレーニング内容は「シークレット」。大迫本人にも何度か聞いているが、明確なことは教えてくれない。

それでも、トラックでのメニューは部分的に明らかになっているが、かなり短く距離を区切っての練習を行なうという。日本の中長距離選手もトレーニングで400mや1000mなどを走ることはあるものの、オレゴンプロジェクトでは100mのダッシュ練習も取り入れている。ファラーが100mを11秒台で駆け抜けるように、そうしたスプリント強化がゴール前の競り合いを有利にする。

長い距離を走る際も、ロードでの練習は日本と比べて非常に少なく、大迫もナイキ本社の周囲を囲むクロスカントリーコースを中心に走っている。コースには芝生やウッドチップが敷かれており、アスファルトよりも足に負担をかけずに脚力を鍛えることができるのだ。

走る練習のほかには、体幹トレーニングや、高重量で低回数という本格的なウエイトトレーニングもこなしているようだ。大迫の体を見ても、日本にいた頃よりも明らかにたくましくなっている。

これは数年前に聞いた話だが、トレッドミル(ランニングマシン)での本格練習、水中トレッドミル、液体窒素を使用して脚を瞬時にアイシングする装置など、最先端の器具も活用しているという。

その中のひとつである低酸素テントは最近、日本のチームもマネして取り入れている。これは人工的に酸素濃度を下げた状態の空間をつくることができるシロモノで、その中で寝たり休憩したりすることで高地での生活を疑似体験でき、血液中の酸素運搬能力の向上が期待できるという。

現在、オレゴンプロジェクトが力を入れているマラソン練習についても詳細は明かされていない。大迫いわく、「皆さんが思っているほど、特別な練習をしているわけではありません」というが、間違いなく日本とは異なるアプローチで取り組んでいるはずだ。

オレゴンプロジェクトは、まさしく長距離・マラソン界の"虎の穴"といえる場所。そこで育った大迫が、20年の東京五輪でヒーローになってくれることを期待したい。