75歳となった「燃える闘魂」の目に、過去最高益に沸く「古巣」はどう映っているのか?

このたび、直木賞作家の村松友視(ともみ)氏との共著『猪木流「過激なプロレス」の生命力』を上梓した、元プロレスラーで参議院議員のアントニオ猪木氏。

自身が立ち上げた新日本プロレスは暗黒期を乗り越え、今や「新黄金期」とも呼べる盛況ぶりだが、これを猪木氏はどう見ているのか?

■今は"おちゃらけ"がまかり通っている

9月に北朝鮮の建国70周年記念式典に出席するため、33回目の訪朝を行なったアントニオ猪木氏。現地では朝鮮労働党の幹部と会談するなど、独自の"闘魂外交"を敢行。一方で、日本をたつ際に羽田空港に車イス姿で現れ、周囲を心配させた。

「あのときは(8月に行なった腰の手術から)退院して1週間もたっていない状態だったからね。体調次第では経由地の北京で引き返す覚悟でいたんだけど、なんとか行くことができて、向こうの要人も『こんな状況で来ていただいて』と感動してくれた。車イスで行くっていうのも、まぁ"猪木らしさ"なのかな(笑)」

そうした"らしさ"で一時代を築いた猪木氏だが、歩んできた道は社会との闘いでもあった。

「オレは師匠の力道山から『プロレスとは、あらゆる意味で闘いである』という"力道山イズム"を自分なりに受け継いで、"猪木イズム"の精神を貫いたと思っています。

それは、オレたちの時代には常に『プロレス八百長論』があったことが関係していて。野球の賭博や相撲の八百長が報じられるたびに、プロレスが引き合いに出されてバカにされた。それがバネになって、オレはリング上の闘いを通じてプロレスのすごさを世間に示し続けた。

後輩の藤波(辰爾[たつみ])、長州(力)、前田(日明[あきら])あたりの世代も、ある程度はその精神を受け取ってくれたと思います。ただ、こっちが期待したものとは違う部分もあった。彼らは人気を得ることにも重きを置いていたけど、オレは『プロレスの地位を社会的に高めないといけない』という使命を持って闘っていたから」

1972年3月に猪木氏が旗揚げし、今年で設立から46周年を迎えた新日本プロレス。90年代後半からはK-1やPRIDEなどの格闘技ブームの影に隠れる時代もあったが、現在は棚橋弘至(ひろし)、内藤哲也、オカダ・カズチカ、ケニー・オメガといったスターを擁し、人気は急速に回復した。今年度の年商は、猪木氏が引退した98年の約39億円を上回り、過去最高額になるとみられている。

「人気には"10年サイクル"がある。人気がなくなった団体がまったく違う発想を取り入れて、再び人気が沸騰していくことがあるんです。例えばアメリカでは、格闘技の人気が上がっていた80年代にWWF(現WWE)のビンス・マクマホンが親父から会社を買い取って、ショー的な要素を前面に押し出した。

それがいいか悪いかは別にして、WWFの人気はグローバル的なものになった。今の日本にも、そうしたサイクルが来たということなんでしょう」

そう冷静な分析をした猪木氏だったが、話題が昨今の新日マットの試合内容に及ぶと「申し訳ないけど試合は見てないですね。というより、見ないようにしているというのかな」と厳しい表情に変わった。

「今は"おちゃらけ"がまかり通っているところがあるけど、基本、『レスラーは強くあれ』でしょ。それが『強くなくてもいい』と変わったことは、オレには理解できない。今のプロレスは『娯楽として楽しめる』という要素がすごく強いけど、オレは『大衆に夢を与える役割がある』と思っているし、そうじゃないといけない」

■ふとテレビを見たらバラエティで天龍が

さらに猪木氏はこう続ける。

「それはジャイアント馬場とアントニオ猪木との違いでもあって。馬場さんは『パフォーマンスでも飯が食えるからいい商売だよな』という方だったけど、そうじゃないだろうと。見ている人の中には、『死ぬか生きるか』と悩んでる人もいる。

そのときにプロレスから元気をもらい、自殺しないで済んだという話もたくさんあるんですよ。そういうメッセージを届けられるような、強いレスラーによる闘いを見せなければいけないと思いますね」

猪木氏が98年4月に東京ドームで引退試合を行なってから、今年で20年。現在はプロレス界と距離を置いている猪木氏だが、今の新日本とも"間接的に"つながっているという。

「慕ってくれる選手は何人かいるみたいで、棚橋やオカダ、4代目タイガーマスクなどは直接ではないけど、雑誌などでオレへのメッセージを発してくれていると聞きました。彼らから見たら私の存在は敷居が高いようですが、それはそれでいいことだと思います。

口はばったいけど、現役時代のオレの中には、いろんな引き出しがあった。そういう引き出しをどう使うかは、今リングに立っている選手たち次第。勇気を持って、新たな可能性を見いだしてもらいたいね」

今のレスラーたちにメッセージを送った猪木氏は、最後にプロレス界の今後について語った。

「オレには自分なりのプロレス哲学があって、それを貫き通してきました。でも、最近は見方が変わってきたかもしれない。つい先日、ふと夜にテレビを見ていたらバラエティ番組に天龍(源一郎)が出ていてね。

昔だったらすぐにチャンネルを変えていたけど、このときの天龍を見て『人はそれぞれ必死になって生きているんだよなぁ』と思った。オレの思いとは違っても、みんながリングの上、あるいは離れてからも必死に生きていることに気がついたんです。

テレビやインターネットが普及して、レスラーたちが生きる選択肢も広がってきている。これからも常識を超えたというか、プロレスを違う視点からとらえる人が、新たなスター、さらなる熱量を生むかもしれない。まだまだ、プロレスは劇的に変化する可能性を秘めていると思いますよ」

●アントニオ猪木
1943年2月20日生まれ、神奈川県出身。1960年に移住先のブラジルで力道山にスカウトされてプロレスの道へ。1972年に新日本プロレスを設立し、異種格闘技戦などで人気を博す。1998年に引退。現在は参議院議員として活動中

■『猪木流「過激なプロレス」の生命力』
アントニオ猪木×村松友視
(河出書房新社 1600円+税)
ボクシング元世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの伝説の一戦をはじめ、今もなお語り継がれる猪木の激闘を振り返る一冊。1980年に処女作『私、プロレスの味方です』で猪木の試合を「過激なプロレス」と表現し、後に直木賞作家となった村松友視と、猪木自身が名勝負への思いを語り尽くす