極限までスリム化したマシンはハンドルを左右に振ることもできず、フロントブレーキもない。スピードとの闘いは恐怖心との闘いでもある 極限までスリム化したマシンはハンドルを左右に振ることもできず、フロントブレーキもない。スピードとの闘いは恐怖心との闘いでもある

ただ、スピードだけを競う伝統の世界的競技会。今年、そこで日本発の一台のバイクが注目を集めた。

あのホンダ・スーパーカブをベースに、ニッポンの精密技術を結集し"魔改造"を施した超絶マシンの奮闘を、ライダー・近兼拓史(ちかかね・たくし)氏が自らレポートする!

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■震災で断たれた夢が、やっと動きだした

アメリカ西部ユタ州のボンネビル・ソルトフラッツ・インターナショナル・スピードウェイ。その名のとおり、360°見渡す限り干上がった塩の平原は、標高1282mの高地にある。薄い空気、最高気温50℃にも迫る高温、極端な乾燥。生き物がまともに住める環境ではない。

そんな場所に、世界中からスピードに魅せられた者たちが集結し、塩の上を轟音(ごうおん)とともにアクセル全開で駆け抜ける――それが、僕がずっと夢見ていたBMST(ボンネビル・モーターサイクル・スピード・トライアル)という年に一度の競技会だ。世界広しといえど、16km以上ものフラットな直線コースを常設できるのはここだけ。世界最速を目指すなら、ボンネビルに記録を刻むしかないのだ。

1912年にBMSTが産声を上げて以来、世界中のありとあらゆるオートバイがこの地で記録を刻んできたが、世界で累計1億台以上が販売され、地球上で最もポピュラーなオートバイであるホンダ・スーパーカブの記録は刻まれていない。単純に、これまでメーカーを含め誰も本気で挑戦しなかったからだ。

僕はこの事実にずっとイラ立っていた。

16歳の誕生日、取れたての原付免許で初めて乗ったのは親父のスーパーカブだった。やがて憧れのZ2やCB400Fourm、あるいは4輪のクルマを買えるようになっても、ガレージの片隅からカブ系のバイクが消えることはなかった。大型バイクならバイク屋任せで行なう整備も、カブの原付エンジンなら目覚まし時計を分解するように自室でバラバラにできる。

もっと熱狂的で、10台も20台もカブやモンキーのコレクションを持つファンは世界中に何万人もいるはずだ。しかし、誰も挑戦しないなら自分がやるしかない。

聖地ボンネビルの存在を知ったのは93年のことだ。

この年、僕はKAWASAKI KSR50をベースに改造した世界最小のラリーマシンで、「オーストラリアン・サファリラリー」にチャレンジした。マシントラブルで完走はならなかったが、50ccのミニバイクの奮闘は海外でも大きな話題となった。その好評を受け、世界最小クラスでのBMSTへのチャレンジも、95年に行なう予定で準備が進んでいた。

しかし、95年1月17日午前5時46分、兵庫県神戸市に自宅や事務所を構えていた僕は、大震災ですべてを失った。東京のスポンサー企業は、それでもチャレンジへの背中を強く押してくれたが、僕は地元の復興支援という道を選んだ。崩れ落ちた故郷の姿を見なかったことにして、自分の好きなことをやらせてもらう気にはなれなかったのだ。

それから約20年、僕は幸運もあって映画監督になり、2016年に全国公開した『切り子の詩』の製作過程で、日本の製造業が深刻な高齢化と人材不足に悩んでいることを知った。日本屈指の技術と志を持つ皆さんから、「今後も日本のものづくりをテーマにいろいろな企画を進めてほしい」と背中を押された。

髪の毛にすら文字を彫れる日進工具の精密刃物。公差100分の1mmでチタン部品を削り出すヒューテック・藤原多喜夫社長の神業。F1マシンの超絶エンジンを削り出す安田工業のマシニング。スズキ機工の究極の潤滑剤ベルハンマー。今の日本の最高技術を組み合わせれば、ボンネビルで世界の頂点を狙えるマシンがつくれるかもしれない......!

最初に手を上げてくれたのは、日進工具の後藤弘治社長だった。そこから一気にプロジェクトは流れだし、気がつけば各分野のスペシャリスト30社の応援を得ることができていた。日本の精密技術で世界最速を目指す「スーパー・ミニマム・プロジェクト」は、こうして誕生した。

歴史あるBMSTのレギュレーションは非常に厳格で、ほとんどの車両が安全上の理由で手直しを命じられる 歴史あるBMSTのレギュレーションは非常に厳格で、ほとんどの車両が安全上の理由で手直しを命じられる

■カウリング設計にはマリンスポーツの技術

まずは、BMSTへマシンを持ち込みチャレンジした経験のある神戸のハーレーショップ、シウンクラフトワークスの松村友章さんを訪ねた。

「大変だよ。想像の斜め上くらい大変だよ。本当にやる?」

と念を押される。マシンの製作は、松村さんのマシン作りにも関わったキタガワモーターサイクルズの北川泰之さんが、悩んだ末に引き受けてくれることになった。

しかし、松村さんの言葉どおり現実は前途多難。ボンネビルの50cc世界最速記録は、2008年にアプリリアの2ストロークターボによって時速233キロまで更新されていた。信じ難い大記録だ。

僕たちのチャレンジは2年計画となった。今年は基礎データを徹底的に蓄積し、来年に世界記録へ勝負をかける。ただし当然、今年も100パーセント本気でやらなければ有効なデータすら取れない。今年はリタイアのリスクが高い50ccでの限界走行は避け、ある程度確実性のある125㏄クラスでエントリーした。原付二種と呼ばれる排気量の上限だ。

フレームとホイールは、実績のあるホンダ・125ccレーサーのものをベースに使用。ただ、レーサーの水冷2ストロークエンジンと、カブの空冷4ストロークエンジンでは大きさもマウント位置も完全な別物だ。補機類やマウント、電装系の部品もすべてイチから製作しないといけない。

エンジン本体のチューニングはカブ、モンキー系エンジンで実績のあるデイトナ、スペシャルパーツ武川両社の協力の下、熟練のメカニックに組み上げてもらう。4バルブスーパーヘッド、乾式クラッチ、スーパーストリート5速ミッション、考えうるベストな仕様だ。

もうひとつのポイントは、空力特性の要、車体全体を覆うカウリングの設計だ。その活路を、僕は船の世界に求めた。スピードボートやヨット、競技用カヌーを作るマリンFRPの業界には、流体抵抗に関する高い技術と知識が蓄積されている。設計はカドエンジニアリング、製作はマリノ・プロジェクトと多田化工が引き受けてくれた。

さっそく工房に向かい、マシンにまたがった状態で3Dスキャンを受ける。マシンと体じゅうに「ドット」と呼ばれる小さなシールを貼りつけられ、赤外線を反射するスプレーを吹きつけられ、赤外線スキャナーで採寸が行なわれた。何度かのミーティングを経て浮かび上がったボディデザインは、まるでマグロ! 水中を猛スピードで泳ぐ魚影そのものだ(実際、ボンネビルでは"オレンジツナ"と呼ばれ大人気だった)。

こうして進んだBMST仕様のマシン「NSX-01」の開発と並行して、やらなければいけないことは山積みだった。スポンサー企業への案内と営業、ジムでの体づくり。現役から20年離れた体には、トレーニングと食事制限は奴隷生活のように感じたが、半年後にはほぼ20年前の体形と体力を取り戻した。

車体を覆うカウリングを設計・製造する工房。ベースマシンを3Dスキャンで採寸しているところ 車体を覆うカウリングを設計・製造する工房。ベースマシンを3Dスキャンで採寸しているところ

■目まぐるしく変わる気温と路面条件

8月20日、僕はロサンゼルス国際空港に降り立った。レンタカー会社で15人乗りのバンを受け取り、後ろ10人分の座席を取り払ってバイクを積めるようにする。

荷受けをお願いしていたUSヨシムラ社でNSX-01を受け取り、ひたすら東へ向かう。車検前日の夕方、ようやく最寄りのホテルへ到着したら、すでに駐車場には世界各国から押し寄せたバイク乗りのトランスポーター車がズラリと並んでいた。

翌朝午前4時、夜明け前のフリーウェイをひと山越えると、「ボンネビル出口」の看板が現れた。漆黒の一本道をひた走り、十数台の車列の後ろにたどり着く。周囲から聞こえる英語はお世辞にも上手とは言えない。スペイン語圏からの参加者だろう。

空が白み、やがて赤い朝日が地平線から顔を出し始める。すべてが赤く染まった後に現れたのは、無限に広がる純白の塩の大地。この世のものとは思えない絶景だ。

チェックインを済ませて車検を終え、周囲を見回すと、1000cc、200ccという怪物マシンがそこらじゅうで咆哮(ほうこう)している。それに比べてあまりに小さく、かわいいNSX-01!「オー、スーパー・スーパーカブ!」「オレンジツナ!」と、やたら写真を撮られた。

翌日はいよいよ本番初日、夜明けの気温は13℃。これが正午には38℃となる予報だ。

エンジンの性能を生かすにはガソリンを無駄なく完全燃焼させることが重要だが、空気とガソリンをうまく混合し、空燃費計を見ながら温度や湿度、気圧をにらんでセッティングを合わせるのはパズルのように難解だ。メカニックの増田靖久くんは、この作業に終日追われた。

ちなみに、BMSTでは瞬間最大速度ではなく、1マイル間の平均速度を競う。一瞬、最高時速200キロを超えたくらいでは、平均時速は180キロにも届かない。しかも一度だけではなく、復路で再び同じ速度を出せなければ、新記録とは認定されない。エンジンを壊す覚悟の一発勝負やマグレでは、BMSTに記録を刻むことはできないのだ。

ライダーズミーティングが終わり、本番開始。グリーンフラッグが振られ、マシンが押し出される。バゥ!という音を上げて目覚めたエンジンを失速させないよう、半クラッチのままゆっくりと走り出す。前走車がかき上げた塩でズルズル滑るが、なんとかコースインしてアクセルを大きく開ける。

コースの両サイドには1マイルごとに3本のフラッグが立っている。0マイルポイントから2マイルポイントまで(約3200m)が加速区間、そこから1マイル(約1600m)が計測区間だ。

ようやく2速から3速にシフトアップした車体に体を伏せ、スクリーン越しに見えたのは、妖しい蜃気楼(しんきろう)だった。360°純白の景色のなか、天地の境界をぼかす蜃気楼は、方向感覚も距離感も奪ってしまう。

「ここはどこだ? ゴールはまだなのか?」

ゴールをはるか通りすぎ、頭を上げたときには、目印となるものは周囲に何もなかった。

ピットに戻って革ツナギを脱ぐと、盛大な湯気とともに小さな虹が見えた。汗だくのインナーは10秒とたたずサラサラに乾く。立て続けに2本のミネラルウオーターを飲んだが、高温に加え、巻き上げた塩が目や鼻、口に入って、体じゅうすべての水分を奪われるような感覚になる。

転ばないことに全神経を集中した最初の記録は、平均時速127・125キロ。気温があっという間に30℃に迫るなか、メカニックの増田くんが懸命にセッティングを繰り返す。

この日、3度目の走行で記録は時速144.216キロまで伸び、塩の上での走り方もコツをつかんできた。

しかし、ここで大きな壁に突き当たる。4速から5速に上げた途端、回転が落ちるのだ。北川さん、松村さん、増田くんの日米をまたいだLINE会議は朝まで続いた。

翌朝、増田くんが言う。

「皆で決めました。5速を捨てましょう!」

しかし、期待に反して翌日の記録は時速129.98キロと大幅に落ち込んだ。セッティングデータと今までのベンチテストの結果を見ながらの3者会議が、再び朝まで続く。転機は松村さんの言葉だった。

「薄いんじゃないか?」

高地で空気が薄くなることに合わせ、ガソリンも薄くしてセッティングを行なっていたが、それが裏目に出た可能性があるということだ。

本番用エンジンの組み立ては、武川の本社工場で熟練の組立工により行なわれた 本番用エンジンの組み立ては、武川の本社工場で熟練の組立工により行なわれた

■大人気になっていた"世界最速のカブ"

翌朝、少し明るい顔になった増田くんが力強く言った。

「朝一回だけ薄いセットを試し、ダメなら濃くします。それしか考えられません!」

1本目は時速120.38キロと今回最低の記録。はやる気持ちを抑え、セッティングを変更する。結果は......平均時速150.89キロまで急上昇!

しかし、コースでは別の問題も起きていた。

初日にはパドックいっぱいだったマシンが、今は半数も残ってない。連日の激しいチャレンジのなか、一台また一台と転倒し、エンジンブローして消えていったのだが、その数々の転倒によって塩の路面は何度も大きくえぐられ、ダメージはシャレにならないレベルに達していた。しかもこのトラップは、白い路面ではほぼ視認不可能なのだ。

僕は何度も穴の上を通り、激しい突き返しをみぞおちに食らった。それはまだいいが、せっかく乗りかけたスピードを失うのはツライ。小排気量車には再加速は大きなハンデだ。ボンネビルでは運を味方につけることも重要、という言葉の意味がよくわかる。

いよいよ5日目。明日の最終日は午前中で終了だから、セッティングを調整しながらのトライは今日が最後だ。朝一番で時速151.47キロの好記録を出し、気分は上々だ。

しかし、1マイル平均速度というのは想像以上に大変だ。小排気量車の場合、2マイルの加速区間が終わってもまだ加速中で、ヘタするともう1マイル先の出口でもまだ加速中。長いと思っていた助走区間が、今はもう少し長く欲しいと感じる。

この日、僕たちは今回のチャレンジの最高時速153.73キロを記録した。ちなみに、出口速度は時速165.3キロだったから、日本式の最高速度としてはこちらの数字を示すことになるだろう。

全トライ終了後、検査官からこんな言葉をかけられた。

「エクセレント! 君たちのNSX-01は、100年のBMSTの歴史のなかで、間違いなく最速のスーパーカブだ」

実は、僕たちのマシンはいつの間にか、ピット周辺で知らぬ者がいない人気者となっていた。「あと一歩」とチャレンジを続ける僕たちに、皆が盛んに声援を送ってくれた。

そして、僕たちはもうひとつ記録を更新していた。BMSTの歴史上、24回も連続完走したのはNSX-01だけなのだ。さすがスーパーカブ、圧倒的な品質と耐久力を表す記録には胸を張れる。

最終日も朝から、せめて100マイルオーバーの記録をと奮闘したが、残酷にも正午を迎えタイムアップ。こうして僕たちの2018年のBMSTチャレンジは幕を閉じた。

僕たちは、すでに来年へ向けて日本屈指の腕利き企業と共に知恵を絞り、スポンサーからの資金調達に奔走している。「世界最速のカブ」の称号は得たが、本当に欲しいのはミニマムクラスにおける「世界最速はカブ」という栄冠だ。マキバオーも驚く「ミニマム・チャレンジ」は続く。

●近兼拓史(ちかかね・たくし) 
1962年生まれ、兵庫県神戸市出身。ライター、映画監督、元プロライダー。昨年5月には本誌企画で日産の期間限定サービス「旅ホーダイ」を利用し、EVリーフによる「燃料代0円・20日間日本一周走破」を達成。現在スポンサー、サポーター募集中。詳しくはinfo@dacapo.jpまで