サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第80回。
現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。
今回のテーマは、今シーズン限りで引退する選手たちについて。日本サッカーを牽引してきた彼らの引退に、宮澤ミシェルは寂しさを感じるという。
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新シーズンの開幕に向けてJリーグの各クラブは始動したけれど、その顔ぶれの中に、これまで長くJリーグを引っ張ってきたベテラン選手たちがいないことは、まだまだ違和感があるよ。
川口能活、楢崎正剛、中澤佑二、小笠原満男、巻誠一郎、森崎和幸などがユニフォームを脱いだけど、まだまだ現役で彼らのプレーが見たかったね。
なかでも能活(川口)は、ボクが現役だった頃からJリーグでプレーしている数少ない現役選手だったから、彼の引退を聞いたときは感慨深いものがあった。
彼が清商(清水市立商業高、現・静岡市立清水桜が丘高)から横浜マリノス(当時)に入団したのが1994年。2年目の1995年から正GKに抜擢されて、そのシーズンを限りにボクは現役を引退したんだけど、1試合だけ同じピッチに立っているんだよ。
その試合は、5月に秋田県でジェフ市原と横浜マリノス(チーム名は当時)が対戦して、ジェフが2対1で勝利したから記憶に残っているんだけど、やっぱり当時から能活は光っていたよね。
特に1996年のアトランタ五輪での、能活は輝きまくったよな。ロナウドやリバウド、ロベルト・カルロスのいたブラジル五輪代表のシュートの雨あられを防いでマイアミの奇跡の立役者になった。そして、日本代表が初めて出場した1998年W杯フランス大会でもゴールマウスを守ったのは能活だった。
その能活と日本代表で守護神を争った楢崎正剛も引退というのは寂しいね。楢崎が横浜フリューゲルスに入団したのは1995年なんだけれど、彼とは対戦経験はないんだ。ただ、解説者としてずっと彼のプレーを見てきたから、一緒のピッチに立ったことがあるような気になっちゃうんだよな。
98年W杯は能活で、自国開催だった2002年W杯の代表マウスは楢崎。2006年は再び能活。二人が日本代表の守護神の座を競い合うことで、日本代表が高みに行った部分は間違いなくあったよ。
二人がバリバリやっていた当時は、「能活と楢崎のどちらがGKとして上か」という議論がたびたび起こったよね。安定感なら楢崎なんだけど、"当たってる"日の能活は、DF出身のボクには、これ以上ない頼もしい存在に見えていたよ。
DFがやられたと思った瞬間に止めちゃうんだから。その最たるものが2004年のアジアカップ準々決勝のヨルダン戦。1‐1で突入したPK戦の川口は神がかっていたし、いまでも鮮明に思い出せるよ。あの活躍がなければ日本代表のアジアカップ2連覇はなかったもんな。
これから二人がどういうキャリアを歩むのかわからないけれど、いつの日か日本代表の守護神になるGKを育ててもらいたいね。そして、二人の教え子が日本代表で切磋琢磨しながら、日本代表をレベルアップさせてくれたら最高でしょ。
中澤佑二や小笠原満男は全盛期に比べたら衰えた部分もあったけれど、それでもまだまだ第一線でプレーできる力を残していたと思うだけに、彼らがピッチを去るのは残念だよ。ただ、サッカーが大好きで、泥臭くても勝つことにこだわってきた選手が、ピッチを離れる決断をしたのだから受け入れないとね。
それに、いつの日か指揮官として中澤と小笠原がJリーグの舞台で対戦するかもしれないからね。そうした新たな楽しみが生まれたんだと割り切ることにして、そんな日を待ち望むことにするよ。
今回、引退する選手が相次いだことで、ボクが現役時代に一緒に戦った選手で、まだプレーを続けているのは、カズだけになったんじゃないかな。カズは今年2月で52歳! 昨シーズンはJ2で9試合に出場したけれど、4年ぶりに先発ゼロ、得点ゼロ。カズのことだから、今年は気合を漲らせているはずだよ。それだけに今年は大・大・大・大ベテランのカズに注目して行きますよ!