南米選手権の思い出について語った宮澤ミシェル 南米選手権の思い出について語った宮澤ミシェル
サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第82回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回のテーマは、南米選手権について。アジアカップを準優勝で終えた日本代表が次に挑むのが6月の南米選手権。実はこの大会、日本代表は1999年にも参加している。そこで、仕事で現地に行っていた宮澤ミシェルに当時の思い出を振り返ってもらった。

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日本代表はアジアカップの決勝で負けたけど、よく勝ち上がったと思うよ。大会途中で青山敏弘が故障で代表から離脱し、遠藤航も準決勝でのケガで決勝戦は使えなかった。選手のコンディションが揃わないなか、1試合ごとにコンビネーションを高めながら成長していったよね。

なかでも、富安(健洋)や堂安(律)という東京五輪世代の若い選手が、経験を積みながら結果を残したけれど、さらにステップアップするための課題も手に出来たことは、やっぱり大きいことだよ。

その日本代表が次に挑む大会が、今年6月の南米選手権。南米勢が親善試合で日本に来て対戦することがあるけれど、それとは本気度が全然違うからね。日本での親善試合は観光気分もあるんだろうけど、南米選手権となれば彼らの目の色は違うし、バリバリの本気。応援だって凄まじいからね。

日本代表は20年前の1999年にパラグアイで開催された南米選手権に出ているんだ。イタリアでプレーしていた中田英寿は招集できなかったけれど、19歳の小野(伸二)がいて、(川口)能活がいて、ゴンちゃん(中山雅史)がいて。当時のJリーグのトップ選手を集めて臨んだ。だけど、グループリーグでパラグアイ、ペルー、ボリビアと戦って0勝1分2敗。本場の高い壁に跳ね返されたよね。

ボクも現地に仕事で行ったけど、大変な目に遭ったよ。パラグアイへの飛行機の乗り継ぎで立ち寄ったブラジルでは、警備員からライフルを突きつけられたからね。

イミグレーション(出入国管理)の外側にあったコーヒーショップに行こうと出国の列に並んでいたら、係のおばちゃんが「すぐ戻るなら行っていいわよ」って。それで列とは別の場所からコーヒーを買いに柵を乗り越えたら警備員が飛んできちゃってさ。ライフルを向けられて、おばちゃんの方を指差しながら経緯を説明しても、彼女は素知らぬ顔だからね。ハメられたというか、いい加減というか。あれは本当に怖かったよ。

あの時はパラグアイに着いても大変なことのオンパレードだった。松木(安太郎)さんと食堂に入って、ふたりとも鶏肉料理を頼んだらそれぞれの皿の上にドーンと丸々一匹が載ったものを出されたり。さすがに食べ切きれないよって(笑)。店員がひそひそ笑ってるからなんかおかしいなとは思ったんだけどね。

あとは、日本代表の試合会場への移動がしんどかった。飛行機が故障したっていうんで、取材クルーは飛行機の修理が終わるのを待つチームと、バスで先に出発しておくチームに別れたんだよ。ボクはバスチーム。日本のような高速道路の移動じゃないから、ほとんど1日がかりの道のり。

途中でトイレ休憩があったけど、見渡してもトイレはどこにもないのよ。平原でズボンを下ろして、ただするだけ。さすがに最初は抵抗があったけど、背に腹は代えられないからやったわけ。で、実際に経験してみたら、あれはあれで気持ちよいんだよ。あれっきり二度目はないけどさ。

そんなこんなでグッタリしながら試合会場に着いたら、飛行機チームが先に着いていて。数時間のフライトで気持ちよく移動してきた彼らが、「おつかれー」って出迎えてくれたんだけど、それさえも嫌なくらい、あの移動は疲れたよな。

まぁ、今回の開催地はブラジルだから、前回ほどの珍道中にはならないとは思うけど、アウェーでは何が起きるかわからないのは、日本代表も解説者も同じだからね。

そんないろいろな意味で厳しい環境のなか、日本代表がどんな結果を残してくれるのか。20年前は1勝もできなかった舞台だけれど、これまでの年月の間に日本サッカーがどれだけ成長してきたかを見せてくれるのを期待しているんだ。

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