プロレス界に地殻変動が起ころうとしているのか?
今年1月、アメリカで「AEW」なる新団体が誕生した。オーナーは世界長者番付に名を連ねる大富豪で、WWEのクリス・ジェリコら大物レスラーを次々引き抜いているのだ。
日本人トップ選手にも触手が? 新団体の全貌に迫る!
* * *
■楽天がプロレス団体を作るようなもの
2019年1月現在、アメリカで新しく生まれた団体が世界中のプロレスファンの注目を集めている。その名を「オール・エリート・レスリング」、略して「AEW」という。
AEWとは、いったいどんな団体なのか? 団体名にある「エリート」とは、新日本プロレスで活躍したケニー・オメガ、ヤングバックス(マット・ジャクソン、ニック・ジャクソン)のトリオが16年に結成した「ジ・エリート」を指す。このユニットにはその後、元WWEスーパースターのCody(コーディ)、米インディ団体のトップスターだったハングマン・ペイジ、マーティ・スカルらも加わり、新日本マットで一大勢力を築いてきた。
そんなエリートのメンバーを中心とした新団体の旗揚げが昨年末あたりから噂されるようになり、今年1月1日についに正式発表されたのだ。団体の副社長にはヤングバックスとCodyが就任。さらに8日にはWWEスーパースターの"超大物"クリス・ジェリコが電撃契約を発表した。
エリートの中心人物であるケニーの参加がまだアナウンスされていないが、1月31日で迎える新日本との契約満了後に合流し重要ポジションに就く可能性が極めて高いとみられている。
日本のファンにもなじみの深い豪華メンバーがそろいそうなAEWの"本当のすごさ"は、桁外れな資金力にある。団体オーナーのトニー・カーン氏は、父親のシャヒド氏と共同でNFLのジャクソンビル・ジャガーズのオーナーも務める大富豪だという。
この親子は何者なのか? 業界関係者が語る。
「シャヒド氏はバンパーなどの自動車部品製造で富を築いたパキスタン系アメリカ人。米経済誌『フォーブス』が発表した18年の世界長者番付で217位にランクインし、総資産は72億ドル(約8000億円)です。楽天の三木谷浩史社長が334位、総資産55億ドルなので、たとえるなら楽天が完全バックアップして本気でプロレス団体を作ろうとしているようなものです」
今回、シャヒド氏が息子の新ビジネスのために投じたのは1億ドル以上とされるが、一部ではその何倍も注入されているとも囁(ささや)かれている。
「歴史的に、プロレスビジネスとメディアは非常に親密な関係にあるので、AEWがどのテレビで中継されるかも重要。現在はワーナーメディアと交渉中なんて噂もあるくらいですが......。まあ、これだけの資金があれば、いざとなればテレビ局から番組枠ごと余裕で買い取れますよね」
プロレスというジャンルは長らく世界最大の団体WWEが独走を続け、一強状態の"王国"を築いてきた。WWEに次ぐ規模の団体は新日本だが、資金力ではとうてい太刀打ちできない。17年時点での年間売り上げはWWE約800億円に対し新日本約40億円と、約20倍もの開きがある。レスラーという名の資本をめぐるマネーゲームとなった場合、どの団体もWWEには勝ち目がないのが実情だった。
そこに現れたAEWは、少なくとも資金面においてはWWEにまったく引けを取ることはなく、業界勢力図を大きく塗り替える可能性を秘めているようだ。WWEであらゆる名声を手に入れたジェリコをして、今回の契約は「キャリアで最も大きなオファーだった」と言わしめた。
米マット界に詳しいスポーツ紙記者はこう語る。
「ジェリコは3年契約といわれていますが、AEWはほかの主力級の選手とも複数年で数億円規模の契約を結んでいるはず。今後世界中の各団体から選手の引き抜きが予想され、それこそWWE以上の好条件でスーパースターたちを獲得する噂も絶えません。早くもビル・ゴールドバーグをはじめとしたビッグネームが候補に挙がっています」
新日本マットでエリート勢と盟友関係にあったAJスタイルズ(現WWE)の合流を期待するファンも少なくないだろう。
■日本人トップレスラーにも熱視線
このアメリカンドリームのオーラ漂う新団体は、母体となるエリート勢が新日本で活躍していたこともあり、日本との親和性がかなり高い。現段階で、日本人レスラーたちもスカウトの熱視線を送られていることは間違いない。
ケニーとのタッグチーム「ゴールデン☆ラヴァーズ」で絶大な人気を誇る飯伏幸太(いぶし・こうた)は、かつてWWEから熱烈なオファーを受けたことからもわかるように世界的に高い評価を得ている。主戦場としている新日本の1月4日東京ドーム大会で脳振とうを起こし現在は欠場中だが、復帰後の動向に注目が集まりそうだ。
また、WWEで日本人として初めて、伝統ある「ロイヤルランブル」を制するなど主力として活躍する中邑真輔(なかむら・しんすけ)の名前も事あるごとに挙がっている。
AEWは女子部門の設立も明らかにしている。WWEでASUKA、カイリ・セイン、紫雷(しらい)イオが活躍し、日本人女子レスラーのレベルの高さも実証済みだ。すでに水面下で多くの日本人女子レスラーがAEWからオファーを受けているという。
既存の団体とどのような提携を結ぶかも注目ポイントとなる。すでに元ドラゴンゲートのCIMA(シーマ)が属する中国の「OWE」との提携が発表されているが、やはり最大の関心事は現状主力選手の大半がこれまで参戦してきた新日本との関係だ。
「ここでカギを握るのが、現在新日本が提携を結んでいるアメリカの『ROH』という団体です。もともとエリートの選手たちの多くはROHと契約していた。それをAEWが大量に引き抜いたので、両団体の関係は悪化している。
そのため、新日本としてはAEWと安易に協力関係を築けないというのが実情。1月5日には新日本、ROH、AEWの3団体による"首脳会談"が行なわれたものの、物別れに終わったようです」(前出・スポーツ紙記者)
近年の新日本は本格的な海外進出に舵(かじ)を切っており、4月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでROHと合同興行を予定している。海外戦略の核を担ってきたエリート勢やジェリコが離脱するのはかなりの痛手のはずだ。現在のところ新日本はAEWの動きを静観しているようだが、この団体勢力図の行方はしばらく予断を許さない状況が続きそうだ。
■カネだけでプロレスビジネスは成功しない
1月8日、AEWの決起集会でジェリコは「新しいことができると信じている。AEWは世界全体、宇宙全体を変えようとしている」と勇ましく宣言。
旗揚げ戦は5月25日にラスベガスのMGMグランド・ガーデンアリーナで行なわれる。第2戦はフロリダ州ジャクソンビルでの開催が発表されており、欧州での大会も含め年内は数試合を予定しているとみられる。
「当面はスター選手をそろえることばかりが注目されそうですが、プロレスビジネスの成功には優秀なスタッフやパートナー企業などが必要不可欠。成否のカギを握る要素はほかにもいくらでもあります。団体としてどのように組織を構築してブランド価値を高めていくのかは、まだまだ不透明なところが多いため、真価を問われるのはこれからでしょう」(別の業界関係者)
日本では1990年に大企業「メガネスーパー」が設立した「SWS」という団体があった。全日本プロレスから天龍源一郎を超高額年俸で引き抜き、WWE(当時WWF)とも業務提携するなど、豊富な資金力を生かしてド級の仕掛けを連発。
さらに、レスラーの引退後の生活を保障するとし、当初は「理想の新団体」ともてはやされた。しかし、団体内の確執やマスコミからのバッシングなどさまざまな要因のもと、わずか2年で崩壊してしまった。
カネだけではプロレスビジネスが成功しないことは、歴史が証明している。あれから約30年、AEWはSWSの轍(てつ)を踏まず、王国打倒を成し遂げ、新たなる理想郷を作り上げることができるか――。