田口良一(たぐち・りょういち) 1986年12月1日生まれ、東京都出身。2004年にワタナベジム入門。2014年12月にライトフライ級WBA世界王座を獲得。2017年12月にIBFとの同級統一王者に。昨年5月に王座を陥落し、階級を上げて2階級制覇を狙う

今年度上半期のボクシング界で"最大注目の一戦"が間近に迫っている。無敗のまま世界3階級を制した田中恒成(畑中ジム)に、元WBA、IBF世界ライトフライ級王者の田口良一(ワタナベジム)が挑む。

3月16日、「岐阜メモリアルセンター で愛ドーム」で行なわれるWBO世界フライ級タイトル戦は、記録、記憶の両方に刻まれるファイトになる可能性が高い。それは、昨年12月に32歳になった田口が望んでいた戦いだ。

「打ち合いの時間が長い試合になるんじゃないですか。田中くんはアウトボクシングもできるから、うまさを見せる場面もあると思うんですけど、彼も"倒しにいく"と言ってくれた。自分も、もちろん倒すつもりでいきます」

常に「お客さんを喜ばせたい」「強い選手と戦いたい」という思いを胸に戦ってきた田口は、生き生きとした表情でそう述べた。

これまで、12戦全勝(7KO)と連勝街道を走ってきた田中は、現役では"井上尚弥(大橋ジム)に次ぐ逸材"と目されるほどの万能型ボクサー。昨年9月には当時の王者・木村 翔(青木ジム)との大激闘を制し、タフネスとハートの強さも証明した。

そんな相手との"真っ向勝負"は田口にとっても望むところ。しかし実は、この試合が決まる前に、田口の心が引退に大きく傾いた時期があるという。

これまでの田口は、派手さはないものの、充実したキャリア(27勝3敗2分け・12KO)を積み重ねてきた。日本ライトフライ級王者時代の2013年には、今をときめく井上尚弥と対戦。0-3の判定負けで王座陥落となったが、17勝(無敗)のうち15KOを誇る"モンスター"の井上を「最も苦しめた選手」と言えるかもしれない。

その後、14年12月には晴れて世界チャンピオンになり、引き分けを挟んだ連勝で通算7度の防衛に成功。その間にWBA、IBFタイトルの統一も果たし、いつの間にか日本ボクシング界の牽引役のひとりになった。

「小学校のときにいじめられていたから、強くなりたかった」という理由でボクシングを始めた好漢は、間違いなく日本のボクシング史に刻まれるだけの実績を残した。

そんな田口が、元WBA世界ミニマム級スーパー王者のヘッキー・ブドラー(南アフリカ)に敗れ、タイトルを失ったのは昨年5月のこと。目標をすべて成し遂げ、いつしか30歳を超えたボクサーが"引退"を考えるのも無理はない。好戦的で、自身のすべてを出し切るような試合をする選手だけに、久々の敗北で一時的に緊張の糸が切れたのだろう。

約1年半前に幻となった田中との因縁の試合を目前に、調整にも力が入る。インタビュー時の物腰は柔らかく、丁寧に思いを伝える姿が印象的だったが、練習が始まると戦う男の表情に一変した

それでも、柔和ななかに芯の強さを感じさせる右ボクサーファイターは、現役続行を選択した。

「ブドラー戦は不完全燃焼だった。ここでやめたら、これまで応援してくれたファンにも失礼」

その言葉は、正直な思いの吐露だったに違いない。常にファンを喜ばせることを意識してきた田口だからこそ、減量苦と危機感不足で心身のコンディションが整わなかったブドラー戦の負けで、自身のキャリアに幕を下ろすわけにはいかなかったのだ。

近年は、年齢を重ねるごとにライトフライ級の体重を作るのが難しくなっていたこともあり、ブドラーヘの挑戦権は同門の京口紘人(ひろと)に譲った(京口が昨年の大晦日に10回TKO勝ちで王座を獲得)。その代わりに田口は田中に挑み、2階級制覇を目指すことが決定する。

「ブドラーにリベンジしたかったんですが、田中選手との試合にはそれ以上の意味があります。技術では相手が上回っているから、相打ち覚悟で打ち合っていくしかない」

年下の無敗王者・田中について語る際、田口の表情が輝いたのは気のせいではなかったはずだ。

田口と田中は、両者がライトフライ級で戦っていた17年に、対戦が実現する寸前までいった"因縁"もある。しかし同年9月、田中が2度目の防衛戦で両目眼窩底(がんかてい)骨折を負い、試合はキャンセル。それから時は流れ、運命の糸に導かれたふたりはついに雌雄を決することになった。

「フライ級に上げてすぐ、いきなり世界戦なんてなかなかできない。田中くんが『やりたい』と言ってくれたから実現したんです。本当にありがたいですね」

"恋人"との2年越しの決戦を前に、田口と田中には通じ合うものがあるのかもしれない。とはいえ、この試合が田口にとって絶対に負けられない"崖っぷち"の一戦であることも事実だ。

本人の言葉どおり、田中はブドラーよりもはるかに難敵だ。スキル、スピード、パワーはすべて田中が田口を上回っており、戦前には「王者有利」の予想が出されるだろう。

ここで負けるようなことがあれば、田口は世界戦2連敗。自身は「負けたときのことはあまり考えない」と述べていたが、不本意な結果が出た場合、冷酷な現実を突きつけられるかもしれない。今度は、現役を続けたくても難しくなる事態も考えられる。

「田中くんに伝えたいこと?『思い切り打ち合いをしよう』ということくらいですね」

不退転の決意で臨む宿敵との一戦で、井上尚弥以来となる強敵を相手に"勝利の術(すべ)"を見つけ出すことができるのか。望みどおりに打ち合いに持ち込み、燃え尽きるような勝負ができるのか。

ボクシングキャリアの分岐点を迎えた田口が、新たな未来を切り開くためには、勝利以外のオプションはない。多くのハイライトに満ちた田口のボクシング人生は、間もなく最大のクライマックスを迎えようとしている。