1978年に広報として全日本女子プロレス(全女)に入社してから、現在のスターダム代表取締役まで、42年間、ずっと女子プロレス界に身を置き続けているロッシー小川氏。

今年、自伝『【実録】昭和・平成女子プロレス秘史』を上梓した彼へのインタビュー後編は、「女子プロレスの過去・現在」を語った前編に続き、「未来」へと話は及ぶ――。

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――今、女子プロレスラーを目指す子の動機は何ですか?

小川 新日本プロレスやドラゴンゲートを観て、ですね。

――「クラッシュギャルズに憧れて」という昔とは、動機から違うんですね。

小川 全然違いますね。あと今の子たちは、家族がみんなプロレス好きなんですよ。うちには小学生、中学生、高校生も練習生で来てるけど、みんな親が会場に来てる人たち。東京にいると気づかないかもしれないけど、地方に行くと女性や子供のファンが家族で来たりしますよ。その子供たちがレスラーになったりしてる。「こんな子供がプロレスやって」と思われるかもしれないけど、家族で好きだから親が賛成してるんです。

引退した女子選手の子供たちの中にもプロレスをやりたがっている子もいるから、5年後ぐらいにはその子たちがデビューすることもありえんるじゃないかと思いますね。

――選手のジュニア世代の女子レスラーが誕生する日も近いと。

小川 あと、道場で週に1回やっているワークショップに毎回来るのは、やっぱり子供が多いですね。小さな子が夢を見ているんです。この間も地方の大会で「東京の高校に進学しようと思ってる」という中学生の女の子がいるから、住まいはどうするのって聞いたら「スターダムの寮から通います」って言うから、えっ、そうなんだって、寝耳に水で驚きましたね(笑)。

――夢を見る女の子たちの受け皿としてそこまで期待されたら、辞めるわけにはいかないですね! ところで女子プロレスという仕事は、女性に囲まれて働くというファンにはうらやましい環境になりますが、心がけていることはありますか?

小川 今だともう娘みたいな年齢の子たちばかりだから、自分がひとつ上の立場でいなきゃいけない。これは女性じゃなくてもそうなんですけど、自分の心配事や大変だという思いを見せないで、いい話だけするということ。一対一は別として、それ以外の時は冗談しか言わないですよ。

――安心感を与えることで、女性たちがのびのび働ける環境を作っていると。

小川 女性というか子供たちですね(笑)。

――レスラーと同年代だった頃は、付き合い方は違いましたか?

小川 プロレスが好きでやってるから、女性として見るというよりプロレスラーとして見てたんじゃないかな。いいコだなと思う時もありましたけど、女性っていうより人としてという感じですかね。

――スポーツ界では女子選手へのセクハラ問題も噴出していますが、そういう報道を見てどう思われますか?

小川 同じレベルで生きているからじゃないですか? 同じ次元で生きてたら、怒ったりパワハラしたりセクハラしたりになっちゃうんだけど、もっとひとつ上に構えていれば、まあしょうがないかなと許せるし。その連続ですね。

――男子プロレスと女子プロレスの違いは何だと思いますか?

小川 男子のプロレスは職業だと思います。女子プロレスは職業というよりも、10代から20代のある時期にかけて輝けるところという感じかな。

――日本の女子プロレスは世界でも評価が高いですよね。

小川 外国人でも、日本を経由した選手は非常にいいと言われてますね。

――育成の場としても世界から期待されていると。一説には日本の女子プロレスが世界一とも。

小川 世界一ではないかもしれません。やっぱりWWEは入場からきらびやかで、見るからにすごいコスチュームやガウンでキラキラしていて、照明や演出の効果もあるだろうけど、もうスターの舞台ですよ。

リングデビューわずか4ヶ月でプロレス大賞新人賞を受賞した林下詩美(写真提供/スターダム) リングデビューわずか4ヶ月でプロレス大賞新人賞を受賞した林下詩美(写真提供/スターダム)

――では日本の女子プロレスに足りていない部分は?

小川 その華やかさじゃないですか? 女子プロレスでいちばん大事なのは華やかさですよ。だから例えば、興行は小さな会場であっても照明が完備されているところでやるようにしてるんですよ。なぜかというと、後から残された映像や写真で振り返って見る時に、場末の薄暗いところよりも華やかな舞台でやるものを残した方がいいじゃないですか。

俺がこういうことを言うとまた何言ってんだと思われるけど、自分の中ではずっと「メジャー感」を意識しているので、今やっていることはまだメジャーじゃないと言われるかもしれないけど、今後はその違いが表に出てくると思います。

――なるほど「スターの舞台」であることをブレずに意識していると。今後は海外進出も視野に入れておられると思いますが。

小川 スターダムのプロレスを世界に浸透させたいというのは思っていて、2015年頃から外国人路線も始めて、アメリカ遠征でロサンゼルスに行ったんですよ。そこですごく歓迎されて、これはもうスターダムは世界をリードしなきゃいけないと思ってやっていたんです。

ところがWWEが女子だけの大会をやったり、そこに(紫雷)イオたちが行ったりして、スケール感があることを始めてるんです。やっぱりWWEにやられたらスケール感ではかなわないから。ただ、女子だけのイベントを定期的にやることはないので、そこは手探りですね。今、いろんな団体が海外に行き始めている中で、スターダムは個人ではなくてパッケージで持っていきたいから。

紫雷イオ(写真提供/スターダム) 紫雷イオ(写真提供/スターダム)

――団体というパッケージで見せることには昔からこだわっていますよね。

小川 それは当然ですよ。だって今、人気のある団体はみんなそうですから。それはスターダムも同じで、選手の数も足りているし他の団体と交流する必要もないから。スターダムには今、練習生を含め25人いて、8年間の中で人数がいちばん多いんです。しかも平均年齢は21歳でどこよりも若いんですよ。さらに4月から某人気選手もうちに入りますし、外国人はスターダムの売り物なので人が増えても呼び続けると思います。イベントは巨大化していく方が豪華感があっていいと思っているので。

――拡大していく中、たとえばDDTがサイバーエージェントと業務提携したように、他社と一緒にやることは考えていますか?

小川 それに関してはここで言えることはまだないですね。でも、ある時考えたんですよ。ここまで来たのは自分の力だけど、ここまでしか来れてないのは自分の責任でもあると。少し前までは事務所に住んで、睡眠時間以外は1日中仕事をしていて、雑用から全部自分でやってきたんですけど、ひとりでやるには限界があるんです。

今はスターダムの歴史を作っている最中。その歴史を続けるためには、いろいろな人の協力も必要なのかなと。そうなると、自分たちが今までできなかったことをやってくれるような大きな組織でないとだめですよね。

紫雷イオは受賞した3度の女子プロレス大賞のトロフィーを「自分の力だけじゃなくて会社で獲ったものだから」と事務所に置いて行ったという 紫雷イオは受賞した3度の女子プロレス大賞のトロフィーを「自分の力だけじゃなくて会社で獲ったものだから」と事務所に置いて行ったという

――団体の規模としても次のフェーズに入ったと。

小川 そうですね。団体を設立して8年経ったので、次の段階に行く時期じゃないですか。8年も経つなんて遅すぎたけど、でもいろんなことがあった中でようやく団体が落ち着いてきている。これからスターダムは9周年、10周年を迎えるから、この2年間がすごく重要になってくる。そこで我々が何を残せるかですね。

今年は4月にNYでスターダムのアメリカ大会をやり、6月にはロンドンの団体プロレスリングEVEに選手を6人ぐらい連れていきます。これまで海外には100回以上行ってますが、今年も6月までに4回行きますし、これが面倒になったら俺はもう終わりだと思ってます(笑)。

――小川さんにとって、プロレスとは?

小川 プロレスは趣味なんですけど、女子プロレスは仕事ですよね。ライフワーク。仕事だから成功させなきゃいけない。ただ、5月で62歳になるんですけど、そうするともう最終コーナーを曲がっているわけです。そう考えると時間があるようでないんですよ、命という時間が。その中でできる限りのことを今、やろうって考えています。

全女の時は本当にいろいろなことを経験しているんですよ。それこそマジソン・スクエア・ガーデンにも行ったし、東京ドームで興行をやったこともある中で、今度はスターダムの選手にもいろんな経験をさせたい。

自分のことだけを考えたら面白い人生だなと思うし、やりきったところもあるけど、選手は今、夢を見てやっているわけだから、その子達に体験させたいじゃないですか。そういう意味では、もうちょっと時間が欲しいですね。

ロッシー小川
1957年生まれ。千葉県出身。1978年、広報として全日本女子プロレス入社。ビューティ・ペア、ミミ萩原らの担当となり、その後、クラッシュギャルズのマネージャーを務める。その後、企画広報部長として活躍。その後、「アルシオン」「AtoZ」「JDスター」など数々の団体での活動を経て、2011年「スターダム」を旗揚げ。紫雷イオ、宝城カイリほか数々の人気女子レスラーを輩出した。2019年1月末に自叙伝『【実録】昭和・平成女子プロレス秘史』(彩図社)を上梓