「どこかのマネをする必要はない。日本人のサッカーを突き詰めていくべきだ」と日本代表にエールを送るストイコビッチ監督

"ピクシー"ことドラガン・ストイコビッチは現在、中国の広州にいる。2015年夏から広州富力の指揮を執り、今季で5年目。監督が頻繁に代わることが多い中国スーパーリーグにおいて、現職の監督としては最長の在任期間となる。

かつて、名古屋グランパスの選手、監督としてファンを沸かせたストイコビッチに、中国のサッカー事情と日本での思い出を語ってもらった。

──中国での日々はいかがですか?

「とても満足している。仕事も、環境もいい。広州はとてもモダンな都市だ。気候がよくて、緑や花も多く好感が持てる。中国に対して私と異なる印象を持っている人もいるが、それは実際に来たことがないからだと思う。中国はポジティブに変わっているよ」

──サッカーに関しては?

「私が来たときには、すでにサッカーへの巨額投資が始まっていた。彼らは本気でチームを強くしようとしていて、年々レベルは高まっている」

──日本のサッカーは今もフォローしていますか?

「もちろん。名古屋はここ何年か苦しんでいるようだが、今年は大きなことを成し遂げるかもしれない。名古屋で一緒にプレーしていた、大岩剛監督が鹿島を率いてACLを制したこともすごくうれしかった。それから、川崎は実に興味深いスタイルで、見事にJ1連覇を果たしたね」

──日本代表については?

「アジア杯決勝でカタールに敗れたが、ハンドでPKが与えられるなどアンラッキーだった。カタールがいいサッカーを披露し、驚きを提供したのは事実だ。しかし決勝で日本が敗れたのは、それほど悲観すべきことではない。

若い選手の多いチームだったが、可能性を見せた。日本のスタイルは私好みだ。高い技術をベースに、スピード、知性、連係を駆使して相手を崩していく。アジア杯での彼らの出来には賛否両論あるだろう。ただ私は、若い日本にとって、準優勝は胸を張れるものだと思う」

──確かに日本代表は、ロシアW杯を終えてから世代交代を迎えています。

「なかなか簡単にはいかないものだけど、今の日本代表は前向きにそれを進めているように見える。あくまでこれは私の個人的な見解だが、例えば中国では、ほとんどの人が今のことしか考えていない。しかし日本のサッカー界は長期的な展望に立ち、未来を見据えているね」

──長年住んだ日本のことは恋しくなりますか?

「ああ、ものすごく。日本は私の第二の故郷だ。現役時代に美しい時間を過ごし、監督としては名古屋に史上唯一のリーグ優勝をもたらすことができた。すべてが素晴らしい経験だ。日本の文化を知れたのは、自分の人生にとって非常に大きなものとなった」

──最も恋しいものは?

「すべてだね。食事、人々、彼らの行ない、落ち着いた生活......。今は中国で仕事をしているが、私の心の中には、いつも日本が息づいている。その思い出は絶対に忘れることはない。いずれまた、日本に戻りたいよ」

──あなたの帰りを待っているファンもたくさんいます。

「それは、私と日本のファンが常に心を通わせ、互いを理解し、リスペクトしていたからだと思う。現役時代の私は、プロのフットボーラーとして『観戦しているファンに、いかに楽しんでもらおうか』と、いつも考えていたんだ。

私がそう思い、実際にプレーすることでサポーターは喜び、心が通じ合う。彼らがどれほどサッカーに情熱を傾けているかも知っているよ」

──日本のファンの中には、あなたが監督時代にベンチ前から放ち、ネットを揺らしたボレーシュートを覚えている人も多いと思います。

「あれは(09年の)横浜Fマ戦だったね。ただ、あのシュートを説明するのは簡単ではない。スーツを着た監督がベンチ付近から、飛んできたボールを革靴で蹴って遠くのゴールに決めるなんて、不可能に思える。だがサッカーではどんなことでも起こりうる。あれはその象徴といえるかもしれないね」

──今でも、ベンチ前からボレーシュートを蹴ろうと思うことはありますか?

「いや、もうやらないよ。あのときも、とっさに体が動いたんだ。結果的に信じられない"ゴール"を決めてしまったわけだけど(笑)。

正直、私はボールを大きく返そうとしただけなんだ。あのシーンの前に、われわれは大きなチャンスを逃していた。選手がクロスボールにボレーを合わせられなくてね。

それが私には簡単なシュートに見え、なぜ外したのか理解できなかった。そんなことを考えているところにボールがやって来たから、『ボレーはこうやって打つんだよ』と教えようとしたのかもしれない」

──デモンストレーション?

「そのとおり。当時の審判は私が試合を妨害したと判断して退席処分を命じたが、歴史的なシーンになったのだからOKだ。あれは誰にも再現できないシーンだろうね」

──話を日本代表に戻しますが、彼らがさらに成長していくには何が必要でしょうか?

「どこかのマネをする必要はない。日本人のサッカーを突き詰めていくべきだ。日本には独自のスタイルがあると私は思う。スペイン、ドイツ、ブラジルなど、どこの模倣もしなくていい。

日本には優れた環境があり、選手は幼少期からしっかりと指導を受けている。Jリーグも成熟していて、そこから欧州に巣立っていった選手たちは数え切れない。それは長期的な成功であり、今後もアイデンティティを失わずにいてもらいたいね」

●ドラガン・ストイコビッチ(Dragan Stojković
1965年生まれ、旧ユーゴスラビア(現セルビア)出身。18歳から代表の主力として活躍。1994年に名古屋に加入して2度の天皇杯制覇に貢献。引退後、2008年に名古屋の監督に就任し、初のJ1優勝に導く。2015年からは中国・広州富力で指揮を執る