3月31日(日)、アジア最大の格闘技団体「ONE Championship」が日本に初上陸し、両国国技館大会を行なう。
出場する日本人選手のなかに紅一点、女子選手がいる。日本の団体ではV.V Mei(ヴィー・ヴィー・めい)のリングネームで闘ってきた山口芽生(やまぐち・めい)だ。山口は2016年5月にシンガポールで行なわれたアンジェラ・リー(アメリカ)戦以来、ONEで闘い続けており、今ではアジアで最も名が知られる日本人女子総合格闘家になった。
3年10ヵ月ぶりとなる母国での試合を控えた山口が語る格闘技人生、そして"本当のプロフィール"とは――。
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「最初にうちのマネージャーから『ONEでいきなりアンジェラ・リーとのタイトルマッチを決めてきたから』と伝えられたとき、正直ピンと来なかった。当時はまだONEの知名度も低かったですからね」
山口は2016年のONE初参戦当時のことをそう振り返る。
1983年生まれの山口は2007年にプロデビュー。日本の女子格闘技の黎明期から活躍してきたが、現在、人気を博すRENAのように大舞台でスポットライトを浴びることはなかった。チャンピオンにもなったが、最後の試合から1年近くも団体から連絡がなく、行き詰まりを感じていたという。
「ぶっちゃけ、あと何試合で引退しようかと思っていました」
生活も厳しかった。ファイトマネーだけでは食べていけず、アルバイトで食いつないでいた。一般企業で正社員として働いていたときもあったが、土曜日の午前中に勤務したあと、会場に駆けつけ試合をしたこともあったという。
「今日働いていない奴には絶対負けるもんかと思って闘っていましたね(笑)」
山口はONEと契約する前も海外で闘った経験が何度かある。初めての海外遠征となったフィンランドでは首都ヘルシンキから車で4時間もかかる田舎町で試合をした。
「空港から現地までの移動は他の選手と相乗りの車でした。しかも、彼女まで連れてきている選手もいて車の中はギュウギュウ(苦笑)。ヘロヘロになって現地に到着したら、対戦相手がバカでかくて、本当に私と同じ体重なの?って」
海外ではアウェイの洗礼を受けてばかりだった。フィリピンで闘ったときには、入場テーマ曲が鳴る直前にもかかわらず、バックステージに入ってきた観客から「写真を一緒に撮ってくれ」とせがまれた。その大会では計量時にも災難に見舞われた。
「まず、対戦相手が体重オーバー。私は体重をきちんと作っていたはずなのに、手動の計量機の針が一瞬揺れて、『キミもオーバーだ』と言われたんです。『もう一回計れ』と抗議したんですが聞き入れられず、『ふたりともオーバーなのでキャッチウェイト(規定体重ではなく、両選手の話し合いで決めた体重で行なう試合)になった』という発表までされた。クソッ!と思いましたね」
そんな苦労を重ねてきた山口にとって、「ONEは天国だった」という。ONEでの戦績はこれまで3勝3敗だが、試合内容が高く評価され、試合の条件や待遇を含め、彼女を取り巻く環境は劇的に変化していった。
「今はバイトもしていません。国内で練習以外にやっていることといえば、子供のときからやっている空手の指導だけですね」
山口の格闘技歴は長い。空手のスタートは幼少期を過ごしたアメリカ。伝統派の空手だったが、その先生が奮(ふる)っていた。
「映画『ベストキッド』の「コブラ会の悪役B」みたいな役をやっていた人が先生だったんですよ。その話を聞いて、みんなで震えていましたね(笑)」
アメリカのマーシャルアーツは自由度が高く、悪く言えばなんでもあり。ケンポーカラテや少林寺流カラテなど、日本にはない流派がザラにある。山口が通っていた道場の道衣の色はコブラ会のように「黒」だった。
「アメリカっぽくアレンジしていたんでしょうね。黒のほうがカッコいいじゃないか、みたいな(笑)」
山口の公式プロフィールによると、出身地はアメリカとなっている。かの地に渡ったのは「父親の仕事の都合で」とこれまで語ってきたが、実際は異なる。
「本当の出身地は東京です。アメリカには4~5歳のとき、母と姉の3人で行きました。アメリカに行く前に、両親は離婚しているんです。母はバリバリ仕事をする人で、渡航資金は自分で用意したようです」
なぜ、これまで事実とは違うプロフィールを公表していたのかと聞くと、山口は「自分のバックグラウンドに注目してほしくて格闘技をやっているわけではなかったから」と打ち明ける。
「だから、別に本当のことを話す必要もないだろうと思っていたんですけど、ONEは選手たちの生い立ちを掘り下げて紹介している。正直、やり過ぎなんじゃないかと思うところもあるけど、確かに選手紹介のVTRを見ると、自分も頑張ろうと素直に思えることもあるんですよ。だったら、私も本当のことを言ってもいいかなと思ったんです」
山口が明かしてくれた"本当のプロフィール"は壮絶なものだった。9歳のとき、アメリカで母を亡くしている。
「もともと心肺機能が弱かったんですけど、一緒に出かけているときに発作が起きて、救急車を呼んだけど間に合わなかった。母は私の目の前で死んでいきました。人の死を目の当たりにするのは、そのときが初めてでした。本当に呆気なかったので、涙も出なかった。でも、『ここで泣かなかったら私は悪い子になる』と思って、傍らで泣いている姉を手本にして泣きマネをしていました」
母親が突然、目の前で息を引き取るという現実を9歳の子供が即座に受け入れられるはずはない。「泣きマネ」をしたのは、彼女にとって精一杯の行動だったのだろう。
「母は、英語はこの先、絶対必要なものだから子供に身につけさせたいと考えていたみたいで、その環境を与えるために自分のすべてを捧げて私たちをアメリカに連れていってくれたようです」
その後、実の父に引き取られる形で姉とともに帰国。日本でも空手は続けた。
「隣駅近くに昔ながらのお寺の道場がありました。組み手でボコボコにされたら悔しくて泣きそうになるじゃないですか。泣き顔を見られたくないので、道場の窓を開けて外を見る。でも、お墓しか見えないので、もっと悲しくなっていました(苦笑)」
空手の稽古に打ち込みながら、格闘技ブームを牽引していたK-1やPRIDEをテレビで見ていたが、「当時は寝技のことは全然知らなかった。総合格闘技は裸の男がベタベタくっついている感じにしか見えなかったので(笑)、私は断然、立ち技のK-1派でした」という。
空手同様、寝技との出会いもアメリカだった。現地の大学への進学をきっかけに再渡米した山口は出稽古先の空手道場で、たまたまブラジリアン柔術の練習を見る機会に恵まれた。
「そこでちょこっと柔術を教えてもらったら、ハマってしまいました」
その後は柔術一直線。総合格闘技をやるようになったのは、「寝技も立ち技もやっているから、総合をやりたいんでしょう?」と聞かれたことがきっかけだった。「最初は総合に全然興味がなかったんですけど、そう言われたらそうなのかなと思って」。
英語が流暢なので海外で試合が組まれてもコミュニケーションは円滑。最近は、ONEでの待遇もさらに良くなったと感じている。
「自分の生い立ちをオープンにしたことで、そうなったんだと思います。団体側が私に求めているものに自分のキャラをいかに乗せてやっていくか。生き延びるためには、たとえ試合で負けたとしても評価されるものを見せないといけないんです」
ONEの本拠地シンガポールでは、現地の英雄アンジェラ・リーとの2度にわたる激闘でその知名度を不動のものにした。市内を歩けば、握手や写真のリクエストは日常茶飯事になりつつある。
「昨年、アンジェラと闘ったときには街中に大会ポスターが貼ってあり、市内を行き交うバスでも宣伝をしていましたね」
3月31日の両国国技館大会ではクセニヤ・ラチコヴァ(ロシア)と激突する。153cmの山口より相手は10cm以上大きいが、「子供の空手大会に出ているときからずっとそんな感じなので(笑)」と気にしていない。
小さな体に不屈のガッツ。山口は久々のホームでラチコヴァを撃破して、アンジェラ・リーが王座返上することが濃厚な「ONE世界女子アトム級王座」獲りへ一歩前進できるか。
■「ONE:A NEW ERA-新時代-」
3月31日(日)東京・両国国技館 14:30開場/15:30開始
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