「俺らが『黄金世代』と呼ばれなくなったとき、日本のサッカーが強くなるというか、『本物の世代』が出てきたことになるのかなと思いますね」と語る稲本潤一氏

1999年、フィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表がワールドユース選手権(現U-20W杯)で準優勝した。世界の頂点まであと一歩――20年前、「黄金世代」と称された面々が刻んだ伝説である。

その激闘を主力選手たちが振り返る短期連載「ザ・黄金世代」。最終回は、稲本潤一氏が登場!

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大会前に膝をケガして、痛みが出て、かなりヤバい状態でしたね。それでも、このチームには面白い選手がたくさんいて、部活みたいで楽しいし、同じ価値観を持ってサッカーをやっていたので、ケガをしていても大会に行きたいと思っていました。

だから、ベンチに座ることにも抵抗はなかった。みんな「勝ちたい」という気持ちでひとつになっていたし、(自分だけ)ケガで試合に出られないからといって、不満な態度を取られへんな、と思っていましたから。ベンチでも抵抗がなかったのは、このときと2010年の南アフリカW杯のときだけやったと思います。

印象に残っている試合は、準決勝のウルグアイ戦。後半から出て、わずか11分で交代させられた。最初、「交代や」って言われたときは、「俺が(交代)? まだ、できるやん」って思ったし、10分ちょっとで「(交代の)判断をするんや」って、かなり驚いた。

でも、ああやって交代のカードを切れるところに、トルシエ監督のすごさがあるのかもしれないですね。

ベンチに戻ったときは、みんなが「はやっ」っていう顔をしていたし、自分も「なんやねん」って感じで、すごく悔しかった。

決勝で戦ったスペインは、ほんまに強かった。後半から出場して、(自分の)調子はよかったのに、まったくボールを取れへんかった。今までプレーしていて、そんな経験はなかったから。勝ち上がってきた勢いだけでは埋められない、大きな差が(スペインとは)あったと思います。

決勝のスペイン戦でシャビと競り合う稲本(右)

この差は、Jリーグとリーガ・エスパニョーラの差やなって痛感させられましたね。そこに追いつくためにはどうしたらいいのか。あのとき初めて"世界"というものを意識して、「海外に出ていかなあかん」って思った。

準優勝という結果は、最後にスペインにボコボコにされたんで、「まだまだや」って満足していない選手が多かった。俺もサブ組として、チームのムードを壊さへんとか学んだことはあったけど、試合に出ていないし、充実感はなかったですね。準優勝は、俺は何もせずにもらったというか、準優勝したチームにいただけ、という感覚やった。

ただ、世界を意識させてもらったという点では、価値のある、いい大会やったと思います。

「黄金世代」と呼ばれて、今でも持ち上げられるのはありがたいですけど、でもそれって、下の世代が育ってきていないからなのかなって思う。俺らが「黄金世代」と呼ばれなくなったとき、日本のサッカーが強くなるというか、"本物の世代"が出てきたことになるのかなと思いますね。

●稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
1979年9月18日生まれ、大阪府出身。SC相模原所属のMF。ガンバ大阪ユース→ガンバ大阪→アーセナル(イングランド)→フラム(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→カーディフ・シティ(イングランド)→ウェスト・ブロミッジ・アルビオン(イングランド)→ガラタサライ(トルコ)→アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)→スタッド・レンヌ(フランス)→川崎フロンターレ→北海道コンサドーレ札幌